ホンマ!気楽おっさんの蓼科偶感

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「文学温泉紀行」 7日目 島根は面白い所~

2017年5月24日(水)
大田市の世界遺産石見銀山をあとにして、昼から、出雲大社(出雲市)と松江城を訪れ、旅の疲れを玉造温泉で癒す。そして今宵の道の駅は安来市の「あらエッサ」といった具合。島根県もこうしてみると各都市にそれぞれ特徴があって面白いところだ。「文学温泉紀行」と銘打って旅を始めたが、どうも文学どころか、毎日写真撮りで大忙しで、観光地巡りとなった。まあ、これはこれで良しとするか。こう言っちゃなんだが、経済発展では明らかに山陽だが、変化に富んで観るところが多いのは、山口(山陰として含めると)や島根の山陰ということになる。

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今日はさすがに歩き疲れた。ブログも中途で切り上げて眠ることに・・・


追記:
2017年5月24日(木)
昨日は強行軍だったし、道の駅に辿り着いたら7時を少し回っていた。そこから冷やし中華とノンアルコールで遅い夕食。ちょっとブログを書きだすと大阪から来たという、毎年日本一周をするという超人の高橋さんに出逢い、いろいろと教えてもらう。
で、そのあと、松江城のことをブログアップしていると、うつらうつらし出したら10時半を過ぎていた。

d0170835_06001700.jpg松江城は、別名千鳥城とも呼ばれ、現存天守は国宝、城跡は国の史跡に指定されている。天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は犬山城、松本城、彦根城、姫路城)
その天守は1607年の築城とされ、400年を越える。 関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾吉晴の子である忠氏が、24万石を得て月山富田城に入城し松江藩が成立。だが月山富田城は山城で、近世の城下町形成には不利であったので、亀田山にあった末次城跡を城地の候補とし、4年後の1611年冬に落成。だが、豊臣政権三中老の1人で松江開府の祖である父堀尾吉晴は完成目前で急死した。堀尾氏は3代で改易となり、のち 京極忠高が若狭国小浜藩より出雲・隠岐両国26万石で入封。三の丸を造営し、ここに松江城の全容が完成することになる。

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玉造温泉では300年以上の歴史を誇る「保性館」に入浴。玉造の湯は無色透明で美人の湯とされるが、そのお湯の効能もさることながら、庭園はさすがに歴史があるだけあって見るべきものであった。
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by kirakuossan | 2017-05-24 21:32 | 文学温泉紀行 | Trackback

「文学温泉紀行」 7日目

2017年5月24日(水)
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元湯泉薬湯は6:00から開いている。
笑顔で「夕べはよく眠れましたか?」と・・・
番台には長命館の女将さんが坐っている。
5分前に行ったのにもう先客が数名雑談をしていた。今朝も熱かった。足の先がじんじんとくる。
泉温:49.7℃、泉質:ナトリウム・塩化物泉






日本の百名湯~温泉津温泉
松田忠徳


日本海に面した温泉津は、リアス式海岸の美しい入り江の奥に港を持ち、江戸時代には石見銀山の銀の積み出し港として栄えた。
温泉津港の東に石見銀山が発見されたのは鎌倉末期。関ケ原の戦いの後、徳川家の天領となり、海外にも輸出されるなど、石見の銀は江戸幕府三百年の財政を支えた。廃鉱になったのは大正十二年(1923)。最盛期には周辺に二十万もの人口を抱えたという。その後、山陰本線の開通もあって、港の方は寂れる一方であったが、温泉津のもうひとつの顔、湯の町の方のにぎわいは途絶えることはなかった。
承平四年(934)ごろ成立した百科事典的な『倭名類聚抄』に「温泉津」の地名が記されている。「温泉(ゆ)という小村にある津(みなと)」という意味である。温泉津温泉「元湯」を経営する伊藤家に残る『温泉記』によると、温泉津の発見は七世紀にまでさかのぼるから、山陰でも有数の古湯なのである。
湯治場の風情を色濃く残す温泉街が、旧銀山街道沿いに五、六百㍍続く。大正か明治時代にでもタイムスリップしたような、渋いモノトーンの街並みである。
狭い通りに石州瓦の小さな温泉宿が十五軒前後、軒を連ね、その間に土産物屋、瀬戸物屋、古刹、共同浴場などが点在する。
北海道や東北の古い屋敷で現在でも見かける、その昔「はんど」と呼ばれていた飴色の大きな水がめは、四百年の歴史を刻む温泉津焼で、ここから北前船で運ばれたもの。かつてはここに回船問屋や商家が軒を連ねていたのであろうが、なまこ壁の内藤豪商屋敷がかろうじて往時の面影を今に伝えているだけだ。
温泉街に二軒の共同浴場がある。明治五年(1872)の浜田地震によって湧き出したサビ色の「藤乃湯」もいいが、やはり温泉津の元祖「元湯」がピカ一だ。老舗旅館「長命館」の経営者でもある伊藤家の先祖伊藤重佐が「元湯」が元湯を開いたのは室町時代。弘治元年(1555)重佐は広島の毛利元就の子、元康によって湯主に命じられた。以来、現館主、伊藤昇介氏で十九代目。
長命館の外湯でもある元湯はいぶし銀の見事な風呂だ。鉄分と炭酸ガスを含んだ含土類食塩泉は、見るからに”温泉力”があった。泉源からわずか一、二㍍、源泉一〇〇%の新鮮な湯が、年季の入った湯船から惜しみなくあふれる。もちろん自然湧出の、理想的な風呂だ。
「旅館は温泉に来る人の宿泊施設。本来、主役は温泉そのもの。ところが今は施設、料理が主で、温泉は二の次」一九代目。厳しいが名言であろう。
(作家・札幌国際大教授)


昨日行くだった予定の石見銀山を今朝訪問した。知らなかったが、銀山の坑道を観るだけでなく、武家屋敷や町家、あるいは代官所ゾーンなどもあって、これらをみな歩いて見て回ると6~7kmにも及び、3時間ほど費やしてしまった。こんな調子だから昨日の夕方ならとてもじゃないがゆっくりと観られなかっただろう。
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d0170835_20224214.jpg坑道のことを「間歩」と呼ばれるが、江戸時代中期には代官所直営の間歩は600以上あったとされ、実際に坑道内部を観ることが出来るのは、2番目に大きいとされる龍源寺間歩である。
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d0170835_21111524.jpg代官所ゾーンを歩いていると、偶然にも「熊谷家住宅」で第72期本因坊戦の第2局が行われていた。

本因坊文裕が挑戦者本木克弥八段に白番中押し勝ちしたようだ。

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by kirakuossan | 2017-05-24 05:49 | 文学温泉紀行 | Trackback

「文学温泉紀行」 6日目 古さと新しさが混在する温泉街 温泉津

2017年5月23日(火)

夕暮の温泉津温泉街・・・
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少女、振り返る。。。

この町は、古くなっても建物を一から建て替えてはいけない。だから、こうして洒落た雰囲気に改装するのです。

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by kirakuossan | 2017-05-23 21:27 | 文学温泉紀行 | Trackback

「文学温泉紀行」 6日目 温泉津温泉「長命館」~

2017年5月23日(火)
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旅も今日で6日目、いよいよ山陽道から山陰に入る。ここからは本格的に温泉の醍醐味が愉しめそうだ。温泉津温泉の共同浴場元湯は1300年以上の歴史を誇る。とにかく熱い。温い方でも45℃、熱い方となると47.5℃を越えていた。いくら熱い風呂が好きと言っても、45℃でさえ四苦八苦した。お蔭で身体の芯に溜まっていた疲れが一ぺんに吹き飛んだ。
宿泊は創業100年を越える「長命館」、この元湯を守っている旅館で、前2階が明治2年、後3階が大正11年の建築、その建物はさすがにあちこちで軋んでいかにも歴史を感じさせる。こんな宿に一度は泊ってみたかった。夜の食事も美味しくボリューム満点。
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by kirakuossan | 2017-05-23 21:01 | 文学温泉紀行 | Trackback

「文学温泉紀行」 6日目 今日は鉄道写真の日~

2017年5月23日(火)

d0170835_21235910.jpg今日は鉄道写真の日。やはり段々と慣れてくると要領も分かってきて、ほぼ満足のいく写真が撮れる。今日2か所目は島根県に入って、山陰線、三原三隅~折居間にある道の駅「ゆうひパーク三隅」から見下ろすポイントは絶好の位置にあって、これ以上の場所はない。ここでは特急のおき3号の通過と快速アクアライナーの走りをタイミングよくとらえられことが出来た。
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by kirakuossan | 2017-05-23 18:54 | 文学温泉紀行 | Trackback

「文学温泉紀行」 6日目

2017年5月23日(火)
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昨夜は道の駅「ゆとりパークたまがわ」で車中泊した。ここは山口県と島根県の県境に位置し、もう少し東に走るとすぐ島根県である。萩から須佐へ、海岸線を走り、徐々に人里離れるが、ここの道の駅は名の通り、”ゆとり”があって広く、いろんな店先が揃う。ところが夕方から夜半にかけて数台の車があったが、深夜2時に用を足そうと起きてみると、なんとこの広い駐車場に泊っている車はわがOUT BACK 一台のみではないか!
道路を挟んでローソンの灯だけが明々とし、ときおりその横を走る列車の音が侘しいことよ。

それから1~2時間うとうととしてもう眠れず、売店横のコンセットで充電し、ブログをアップしている。
さて、今日は鉄道写真を撮って、初めて唯一の宿屋泊である。昨日、宿屋のかみさんが携帯に電話してきた。「つかぬことをお尋ねしますが、明日、こちらへ見えるのでしょうか?何せ、だいぶ前にお聞きして、”仮”となってまして・・・」
「すみません、旅は順調に進んでまっせ、明日そちらへ寄せてもらいまっせ!」


山陰本線/須佐-宇田郷の撮影ポイントは・・・宇田郷駅前を右折し線路沿いを須佐方向へ道なりに約2㎞進むと惣郷橋梁の下に着く。そこから高台に上ったところがポイント。宇田郷駅から徒歩約25分。ということだから、昨夕こちらへ向かって来た場所へ戻ることになる。果して、その場所がわかるかな?

撮影現場は容易に分かった。そのうち来るだろうと、椅子を持ち出し読書しながら待つことに。
d0170835_09390724.jpgしかし、待てども待てども来ない、ようやく1時間経って、益田方面行きが、そしてその10分後に東萩行がやって来た。
でも、おかげで打ち寄せる波の音を耳にしながら、満ち足りたひとときを過ごすことが出来た。こんな思いをするのも珍しい。
撮影後、最寄りの須佐駅へ。そこで時刻表を確認、これまた驚いた。益田方面は9:21発のあと、5時間後にしか便がない。切符売り場のパートさんみたいな女性は、益田行きが出ると、軽四輪車で自宅へ帰っていった。山陰本線での話。
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by kirakuossan | 2017-05-23 05:15 | 文学温泉紀行 | Trackback

「文学温泉紀行」 5日目 おいでませ萩へ~

2017年5月23日(火)

城跡を見るのは嫌いではない。その姿を見ながら、想像し、思い浮かべるのも好いものだ。
萩城は、関ヶ原の戦いに西軍の総大将に就いたことにより周防国・長門国の2ヶ国に減封された毛利氏が、広島城に代わる新たな居城として慶長9年(1604)に築いた城である。明治7年(1874)に廃城令により天守・櫓などの建物が破却され、今はその跡だけが残っている。解体までの270年間、毛利氏13代にわたり、萩城の象徴としてその威容を誇っていた。
またその城下町も石積の垣根が並び、南国風の、独特の風情がある。
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d0170835_05080174.jpg駐車場を探しながら城下町の一角にある洒落た喫茶店を見つける。萩の街はいたるところに細い道が縦横左右に張り巡らされている。それがまた、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
今回旅して気づいたことだが、広島は街が焼き払われ再興されたために、高層ビルが立ち並び、近代都市化された。一方、隣県の山口は、ほとんど高層ビルが見当たらない、静かな町である。それに気のせいか、気性もだいぶ違うような気がした。どことなくやんちゃに映る広島に対して、「おいでませ山口へ~」と、山口は控え目で、優しい心遣いが感じられた。僕の気のせいだろうか?
萩城跡に数軒の萩焼の窯元があった。そこで楽しみにしていた萩焼を買う。
(2017年5月22日)

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by kirakuossan | 2017-05-23 04:21 | 文学温泉紀行 | Trackback

「文学温泉紀行」 5日目 萩本陣温泉~

2017年5月22日(月)
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d0170835_21153527.jpg松蔭神社近くにある巨大な観光ホテル萩本陣。ここのお湯がなかなか良かった。
14種の風呂が愉しめるというが、なかでも源泉28.9℃の青い大きな丸い瓶の風呂が気に入った。
地下2000メートルから毎分200リットルの湯量を誇る自家源泉は、氷河期にあたる2万年前から少しずつ地底に蓄えられた地下水という。

泉質:カルシウム・ナトリウム-塩化物温泉

by kirakuossan | 2017-05-22 21:08 | 文学温泉紀行 | Trackback

「文学温泉紀行」 5日目 萩の生んだ英雄たち~

2017年5月22日(月)

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d0170835_20371286.jpg吉田松陰の叔父玉木文之進が松下村塾を起こし、のちに松蔭が引き継ぐ。ここ玉木文之進の居住地は松蔭神社の上手に位置する。さらに奥へ登ると松蔭の生誕地がある。高台から萩を見下ろす絶景にある。



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松陰神社内にある三畳半の松蔭幽囚の間。
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d0170835_20473084.jpgd0170835_20491442.jpg木戸孝允と高杉晋作の生誕地。
さらには伊藤博文の旧宅まである。
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by kirakuossan | 2017-05-22 20:37 | 文学温泉紀行 | Trackback

「文学温泉紀行」 5日目

2017年5月22日(月)
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d0170835_05584317.jpg道の駅「みとう」の朝は、鶏声暁を告げる一声で目が覚める。昨夜は、石川県小松から見えたHさんと話がはずみ、楽しいひとときを過ごす。
さあ、花子ちゃんともお別れだ。またどこかで逢えるかも?
今日は秋芳洞と萩だ。なにか、温泉巡りというより観光地巡りになってきた。


秋吉台と秋芳洞

秋吉台でまず朝食。カルスト風景を観ながらのホットコーヒーが美味い。

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by kirakuossan | 2017-05-22 05:41 | 文学温泉紀行 | Trackback

信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。


by kirakuossan

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d0170835_9203688.jpgシマノフスカ:
夜想曲 変ロ長調

グリンカ:
歌曲「ひばり」

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