ホンマ!気楽おっさんの蓼科偶感

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心洗われ、体清め。

2017年5月1日(月)
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d0170835_10005964.jpg午前6時ちょうど、深閑とした秋宮に神楽殿の太鼓が大きく響き渡り、心洗われる。
心のあとは体も清めようと諏訪大社下社秋宮近くの旦過の湯に。番台のおばちゃんに、今日の温度は何度と訊くと、「熱い湯48℃、少しぬるい湯44℃、露天風呂42.9℃」ということ。で、まず露天風呂で身体を馴らし、44℃の湯へ、ここは無事OK、さていよいよ48℃にチャレンジ!足先を湯に入れるなり、今回も1秒で飛び出した。
心洗われ、体清め、朝2時20分に大津を出発してきたかいがあった。.
by kirakuossan | 2017-05-01 08:55 | 信州の風景 | Trackback

「三上山のムカデ退治」ゆかりの寺と神社

2017年4月17日(月)
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d0170835_13523046.jpg民話「三上山のムカデ退治」ゆかりの寺と神社が瀬田の唐橋のたもとに並んである。
雲住寺は、ムカデ退治に活躍した藤原秀郷(俵藤太)の追善供養のために15代目の子孫により建立された。この寺は瀬田の唐橋の守り寺にもなっていて、最初は天台宗であったが、江戸時代から浄土宗に変った。
そのすぐ隣にあるのが、俵藤太と乙姫を祭神とする龍王宮秀郷社。昔から瀬田の唐橋の下には龍神が住むという伝説があって、1440年頃に現在地に橋を架け替えたとき、龍神をご神体として祀ったといわれている。ちなみに藤原秀郷は実在の人物で、平将門の反乱に際し、秀郷が将門の左目を射抜いて見事に征討。これは瀬田橋の龍神の御加護によるものである、という由来から、ムカデ退治の伝説が生まれたと考えられている。
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d0170835_13384982.jpg三上山とここ瀬田の唐橋、だいぶ距離が離れているので俵藤太はその行き来にこのバイクを使った、ということでもないでしょうから、せめて見えないところに駐車しておきましょう。歴史をたどりながら楽しみに訪れる人もあるでしょうし。

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by kirakuossan | 2017-04-17 13:21 | 近江抄 | Trackback

琵琶湖が望める高台にある神社

2017年3月27日(月)
d0170835_15291858.jpg岩間寺へ登る山道の途中に右に折れて奥宮神社に至る。琵琶湖が望める高台にある。岩間寺の山道より風情があると思っていたら、こちらの方がさらに急こう配。隣同士にあるが、岩間寺は滋賀県大津市、ここ奥宮神社は京都府宇治市になる。
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1時間近くも歩くと汗びっしょりとなる。そこでシャツの着替えを持って行くと、風邪をひく心配もないし、爽快で気持ちよい。休憩時の握り飯が最高に美味い。標高400m、握り飯を買ってきたコンビニがはるか下に見える。向うに瀬田ゴルフ場。
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その左向こうにはアトリエのオレンジ色の屋根がわずかに見える。
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さらに遠方に目を移すと石山の街や近江大橋がみえ、東に目をやると近江富士。
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鳥居の間から、はるか向こうに大津プリンスホテル、そして冠雪の比良山系までうっすらと見える。
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往復で2時間。ここも10kmの道のりだが、健脚向きのコースだ。
(なお奥宮神社は昭和46年に個人が造営した神社のようである。)


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by kirakuossan | 2017-03-27 10:48 | 近江抄 | Trackback

ひと汗かきに岩間寺まで

2017年3月25日(土)

昨日は甲子園行で、あまり歩いていないので、今日は天気も良いので少し遠出しようと思う。そこで思いついたのが岩間寺。
d0170835_14425849.jpg岩間山正法寺は山城と近江の国境にある標高439mの岩間山の山頂近くにある。真言宗の寺で、養老年間(717~24)に加賀の白山を開いた泰澄法師がこの地に移り住み開いたとされる。千手観音を安置し、紀伊の熊野、大和の金峰山と並んで第三の霊場と呼ばれた。本尊の観音は俗に「汗かき観音」とか「雷除け観音」と呼ばれる。西国33か所観音霊場の第12番札所であるが、ぼけ封じ観音第4番札所ともなっていて、「ぼけ封じ」の寺としても知られる。本堂は、天正5年(1577年)に再建されたもので、寛永年間に解体修理された。当寺には山門は現存しない。 本堂前には泰澄が最初の本尊を刻んだ後の切り株から再び芽生えたと言われる桂の樹があり、霊木とされている。今日はこの霊木を目指して”ひと汗”かこう。

d0170835_14483527.jpg霊木は「夫婦桂」と呼ばれ、二代目の樹が第二室戸台風(1961年9月)で倒壊したとき残ったひこばえで、三代目である。本堂は靴を脱いで自由に観覧できる。芭蕉の池から不動堂への通路横の扉が薄く開いておりその隙間から観音さまが後光をさして顔をのぞかせた。
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ぼけ封じ観音の前に、仏足石が敷いてあって、「この仏足石の下には近畿十楽観音のお砂が納められています。十か寺のお砂を踏み、観音さまとご縁を結び、健康で長生きされますことをお祈り申し上げます」といった看板が立ってある。さっそく踏んでみた。これで十楽観音をお詣りしたことになるわけだ。

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京都、大阪、奈良の関西一円の車が山を登っていく。なかに習志野からお参りにきた車もあった。アトリエから片道5km、往復10kmほど。ただ往きは急こう配の山道で散歩というより、もう山登りハイキングの域である。

ぼけ封じ近畿十楽観音霊場
第1番 今熊野観音寺(京都市東山区)
第2番 大報恩寺(京都市上京区)
第3番 勝龍寺(長岡京市勝竜寺)
第4番 正法寺(大津市石山内畑町)
第5番 玉桂寺(甲賀市信楽町)
第6番 総持寺(茨木市総持寺)
第7番 太融寺(大阪市北区)
第9番 大龍寺(神戸市中央区)
第9番 七宝寺(兵庫県神崎郡神河町)
第10番 常瀧寺(兵庫県丹波市)


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by kirakuossan | 2017-03-25 10:42 | 近江抄 | Trackback

瀬田川の激流

2017年3月19日(日)

瀬田川の激流があらゆる罪やけがれを流し去ってくれると人々は考えた。
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立木観音傍を流れる瀬田川の激流。奇岩が多く露出し、奇勝をみせる。立木観音にはこの奇勝にまつわる開基伝承がある。815年弘法大師空海を、観音の化身である白い鹿が急流を飛び渡って対岸から立木山上の霊木に導いた。厄年であった空海は、感じて霊木で観音を彫り、寺を建てた。この謂われから厄除け観音として広く知られる。
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d0170835_13544581.jpgd0170835_1355939.jpg11日目の歩きは立木さんの800余段の山登り。10日間歩いて来た効果がはや出たのか、今日は一度も休まず頂上を極めた。


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by kirakuossan | 2017-03-19 13:40 | 偶感 | Trackback

天満宮の梅は午後が見ごろ

2017年3月9日(木)
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d0170835_1724160.jpgd0170835_17274927.jpg北野天満宮が満開だ。
午後の方が見ごろという、朝方は寒さのため花が開ききっていないそうだ。
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d0170835_1735669.jpg3年前にも訪れたが、その時は確かどこも無料で拝観できたのではなかったか?今年は一部に竹の囲いがされて、茶菓子付きで、入場料700円也とあった。で、それはあんまりなので、柵の外から撮った、それで十分だ。
by kirakuossan | 2017-03-09 17:40 | 新日本紀行 | Trackback

「雨乞い」の神事

2017年3月9日(木)
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d0170835_15214280.jpg水の供給を司る「タカオカミノカミ」を祀る貴船神社で毎年3月9日に行われる祭儀。「雨乞い」の名称ではあるが、農耕作業の始まる時節を前に、今年一年の天候の順調、適度な雨の恵みと五穀豊穣を祈念する。平安の昔、「雨乞い」といえば、本物の生馬、黒毛の馬を御神前に捧げて祈願されていた。歴代天皇が数百度にわたり生馬を捧げてご祈願し、やがてかたちを変え、後世「絵馬」ができることとなる。

京都市北区上賀茂柊谷町にある立命館大学総合グラウンド(通称柊野総合グラウンド)で今日、明治大学との野球のオープン試合があるというので出かけて行った。事前に貴船神社での「雨乞い」の神事が行われるのを知り、先に訪れることにした。
d0170835_15542797.jpg洛北もここまでくれば肌を刺す冷気も一段と厳しい。外国人や若者たちが集る中、厳粛に神事は執り行われていた。鴨川の源流貴船川添いに建つ貴船神社、その細い参道に数件の料理屋が立ち並ぶ、夏ともなれば貴船の川床で知られるところである。いつ来ても風情のある所だ。本宮の駐車場が狭いので仕方なく徒歩にして15分程上ったところにある奥の宮の駐車場に止め、参拝した。 この細い道路を和泉式部の恋の道と呼ばれる。そういうと若い二人ずれのカップルがあちらこちらで目についた。貴船口で鞍馬との分かれ道を登って来るとすぐに蛍岩というところがある。

ものおもへば 沢の蛍も わが身より あくがれいづる 魂たまかとぞみる
  
和泉式部(後拾遺和歌集)

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by kirakuossan | 2017-03-09 15:14 | 新日本紀行 | Trackback

今月の一枚:: いざ撞かん Feb.2017

2017年2月25日(土)
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2017年2月25日(土)09:34am いざ撞かん
レンズ:1NIKKOR VR 10-30mm f/3.8 焦点距離:11.8mm(31.9mm) 
露出+0.0 シャッター1/60 ISO800 AUTO 

ただ鐘を撞くだけでは平凡、横でお寺の女性が拭き掃除をしているところのとの組み合わせが面白い。しかもバケツの立木山の字がポイント。これがなかったら絵にならない。
また、右の立札に一人一○○○と書いてあるのは、一人一〇〇円と見えるが、「厄除けの釣鐘なれば 観音を念じ 一人一つきの事」と書いてある。


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by kirakuossan | 2017-02-25 23:06 | PHOTO | Trackback

足も上がらず立木さん

2017年2月25日(土)
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d0170835_10394743.jpg厄除け立木観音開山1200年。
800余段の石段、今年は一気に上り切れるや?

立木さん二題

ミニ姿足も軽やか立木さん
四度休み足も上がらず立木さん

耕庵




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by kirakuossan | 2017-02-25 10:21 | 近江抄 | Trackback

芭蕉と門人たち

2017年2月7日(火)

d0170835_11241460.jpg松尾芭蕉の優れた高弟10人を指して蕉門十哲と呼ぶ。ただ江戸時代の諸書ではその顔ぶれが一致しないが、蕪村の選んだ次の10人が一般的である。其角,嵐雪,去来,丈草,支考,許六,杉風,野坡,越人,北枝。

蕉門第一の高弟、江戸座を開くいた宝井其角(1661~1707)、其角とならんで蕉門の双璧をなし、雪門の祖である服部嵐雪(1654~1707)、嵯峨野に別荘「落柿舎」を所有した向井去来(1651~1704)、義仲寺無名庵に住んだ内藤丈草(ないとうじょうそう1662~1704)、芭蕉の遺吟・遺文を集めて「笈日記」を著した各務支考(かがみしこう1665~1731)、画の名人でもあった森川許六(1656~1715)、芭蕉の経済的支援者であった杉山杉風(すぎやまさんぷう1647~1732)、芭蕉の遺書を代筆したことで知られる志太野坡(しだやば1662~1740)、「更科紀行」の旅に同行した越智越人(1656~没年不詳)そして「奥の細道」の道中に芭蕉と出会い入門した立花北枝(たちばなほくし生年不詳~1718)。もう一人「奥の細道」の旅に同行した河合曾良(1649~1710)を十哲に含めることも多い。
また各務支考は、芭蕉の亡き後、伊賀・伊勢・近江・江戸などを巡って芭蕉の遺吟・遺文を集めた「笈日記」を著したが、多くの弟子も育成した。そして1719年に加賀千代女に出会い彼女の才能を認める。偶然だが、今日2月7日は支考の命日でもある。


これらの高弟のなかでとくに近江の国にかかわりの深い人がいる。森川許六で、彦根藩の藩士であり、絵師でもあった。他に漢詩を嗜み、武士としては剣術、馬術、に加え槍の名人でもあった。1692年(元禄5)に芭蕉に入門するが、芭蕉より六芸に通じた多芸の才人であったことから「許六」と言う号を授けられることになる。
松尾芭蕉(1644~1694)は「奥の細道」の翌年に初めて近江膳所を訪問し、晩年頻繁に訪れ終の棲家に選び「旧里」と呼ぶほど近江を愛した。彼は生涯980句を残したとされるがそのうち奥の細道では52句、近江湖南では89句を残している。そこでは多くの近江蕉門が輩出し、蕉門十哲の一人とされる森川許六も近江蕉門の一人として名を連ねた。
知られた近江蕉門はほかに、小庵・幻住庵を提供するなどした膳所藩の菅沼曲翠(1659~1717)、同じく膳所藩士で曲水の伯父にあたる水田正秀(1657~1723)、堅田本福寺住職の三上千那(1651~1723)、大津枡屋町の医師江左尚白(1650~1722)、芭蕉の甥とも伝えられ、蕉門十哲の一人として挙げられることもある天野桃隣(1638~1719)、さらには芭蕉の最期を大坂で看取った大津の医者望月木節などがいた。
なかでも菅沼曲翠は芭蕉が最も信頼した門人であったが、1717年藩の悪家老曽我権太夫を槍で刺殺し、自らも責任を取って切腹した。芭蕉は「幻住庵記」に「勇士曲水」と記し、初見の印象を「ただ者に非ず」と称している。 

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d0170835_15374580.jpg1694年、芭蕉は50歳の生涯を終え、近江の義仲寺に運ばれ、翌日には遺言通り木曾義仲の墓の隣に葬られた。(手前が木曽義仲の墓、その奥隣りが芭蕉の墓である)

木曽殿と背中合せの寒さかな
この句については、最初芭蕉の句と思われていたが、実は門下の島崎又玄(ゆうげん)の句である。


d0170835_16134284.jpg今日、義仲寺を訪れるが、この前の小学校の同級会で出逢ったH君の家がちょうどその西隣にあって、近くまで行くと偶然にも彼が家の前に立っていて、前のガレージに駐車させてもらった。そして彼の口添えで拝観料までまけてもらう。境内奥に義仲寺を復興させた保田與重郎氏の墓と、左奥に小さな菅沼曲翠の墓標があり、その塀の向こうがH君の家である。
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d0170835_193188.jpg境内にひときわ華やかなピンクの花が。。。


叱られて次の間へ出る寒さかな 支考

雁渡る雁風呂時の夜寒かな   許六

時鳥背中見てやる麓かな 曲水


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by kirakuossan | 2017-02-07 11:19 | 文芸 | Trackback

信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。


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d0170835_9203688.jpgシマノフスカ:
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