ホンマ!気楽おっさんの蓼科偶感

カテゴリ:シネマ( 16 )

懐かしい映画館の想い出

2016年11月29日(火)
年末に娘より先に孫たち二人だけで新幹線に乗ってやってくるらしい。当然、じーちゃんが迎えに行くわけだが、でもあんな小さかったのに二人してやってくるとは大きくなったもんだ。でも初めての遠出だから緊張してやって来るにちがいない。

d0170835_9124423.jpgそこでふと思い出した。昔住んでいた大津市内には映画館が3つあった。菱屋町に大黒座、丸屋町に公楽座、そして中央小学校の近くに有楽座があった。よく親父に連れられてチャンバラ映画を観に行ったものだ。チャンバラ映画は東映系のが多くてほとんど有楽座だった。大映系や日活映画は公楽座だった。大黒座は最初は芝居小屋でのちに映画も上映したが家から一番遠いこともあってかほとんど行かなかった記憶がある。




d0170835_233255.jpgある日、弟の鉄ちゃん有ちゃんと一緒に、母がバリカンで刈ってくれた河童頭の3人だけで有楽座へ映画を観に行ったことがある。何を観に行ったかは全く忘れたが、ただ何かがあってはいけないと兄として随分緊張して映画を観ていた。そんなところへ見知らぬおばちゃんのグループがやって来て、「僕たち3人で観に来てるの?」とか何とか云ってニヤニヤしている。気味悪いので2階席に変ると、そのおばちゃんたちも一緒に2階席に上がってくるではないか。あの時は、人さらいではないかと思い、随分怖い思いをした。だからどんな映画だったかは全く覚えていない。ただ二人の弟たちはそんなことお構いなしで映画を愉しんでいた。自分は、”便所臭いニオイ”と、”ラムネの瓶が転がる大きな音”しか覚えていない。

d0170835_9195535.jpg昭和29年に大津で一番ハイカラな建物、滋賀会館が誕生した。そこではすべての大きな催し物が行なわれたが、映画も上映された。「ベンハー」や「アラビアのロレンス」など洋画の大作はほとんどここで上映された。そういうと思い出したがだいぶ後になってから、大津駅近くの教育会館でも映画をやるようになった。「大脱走」はそこで観たのを覚えている。ここも洋画専門であったが、少し軟弱なものを多くやっていて、あるとき、そこで男女がからみ合うスチール写真が貼られたことがある。その前を、見たさ恥ずかしさで横目でチラッと見ながら歩き去った。今から思えば”性教育会館”であった。
滋賀会館の写真は谷本勇氏撮影とある。中央小学校3年で同クラスだった谷本君のお父さんだ。その滋賀会館も耐震性不足で閉鎖、昨年に解体された。ここはもと滋賀県産業会館が立地していたが、1952年4月に火災により焼失し、跡地に県立公会堂や図書館などの施設を建てることになった。52年の火災は3歳のときだったが強烈な印象で火事を見に行ったことや、その2年後に真新しく出来上がった会館を見物に行ったこともよく覚えている。なおこんど跡地にはNHK大津放送局が移転開局するらしい。
また有楽座だが、調べると、明治時代は稲荷座という芝居小屋で、大正中頃に帝国館と改称、その後映画の上映を始めた。大津映画劇場、大津日活映画劇場、昭和30年頃に有楽座と改称して38年に閉館した。だから東映系だけでなく、当初は日活系だったのだ。



.
by kirakuossan | 2016-11-29 09:12 | シネマ | Trackback

映画って・・・ホントにいいもんですね~

2016年5月26日(木)
BSで興味深いドキュメントをやっていた。ふだん映画はそう見ないが、「ベニスに死す」と「道」はよく知っている。そしてそれを作った二人の巨匠も知っている。
d0170835_6405544.png

072.gifヴィスコンティ VS フェリーニ

イタリア映画のふたり、ルキノ・ヴィスコンティとフェデリコ・フェリーニ。犬猿の仲で、作風も全く対照的だったが、共通点もあった。それはどちらもマフラーを着用し、映画が大好きだったことだ。
互いに張り合っていたときがもっともよかった。先にヴィスコンティが去ったあとは、フェリーニに名作が生まれなかったのは気のせいか・・・


d0170835_744386.jpgルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti, 1906~1976)right
郵便配達は二度ベルを鳴らす Ossessione (1942年)
夏の嵐 Senso(1954年)
山猫 Il gattopardo (1963年)
ベニスに死す Death in Venice / Morte a Venezia (1971年)
ルートヴィヒ Ludwig (1972年)


d0170835_712529.jpgフェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini, 1920~1993)
道 La Strada (1954年)
甘い生活 La Dolce Vita (1959年)
8 1/2 Otto e mezzo (1963年)
サテリコン Fellini-Satyricon (1969年)
フェリーニのアマルコルド Amarcord (1973年)




ニーノ・ロータ(Nino Rota, 1911~1979)はふたりに曲を書いた。

山猫 - アレグロ・マエストーソ
道 - メインテーマ


d0170835_845479.jpgいやあ~映画って・・・ホントにいいもんですね~







★余禄
昔憧れたクラウディア・カルディナーレがドキュメントのインタヴューで出ていたが、異様な老け方にはショックだった。
by kirakuossan | 2016-05-26 06:57 | シネマ | Trackback

北鎌倉を舞台にした映画

2015年11月26日(木)

d0170835_812613.jpg北鎌倉に暮らす間宮家は、初老にさしかかった植物学者の周吉とその妻・志げ、長男で都内の病院に勤める医師の康一、康一の妻・史子、康一と史子の幼い息子たち2人、それに長女で会社員の紀子という大家族である。まだ独身の紀子は、親友のアヤから同級生が結婚することになったという話を聞き、紀子の上司・佐竹からも“売れ残り”だと冷やかされる。
春のある日、周吉の兄・茂吉が大和から上京してきた。茂吉は28歳になっても嫁に行かない紀子を心配する一方、周吉にも引退して大和へ来いと勧めて帰っていく。同じ頃、佐竹も紀子に縁談を持ち込んできた。商大卒、商社の常務で四国の旧家の次男となかなか良い相手のようで、紀子もまんざらでもない風である。
(From Wikipedia)


北鎌倉を舞台にした映画『麦秋』061.gif 
『晩春』で高い評価を得た小津安二郎監督は昭和26(1951)年に撮った『麦秋』でより高い評判をとった。この映画は北鎌倉に住む三世代の家族を描いたもので、原節子と兄役の笠智衆、他に佐野周二、淡島千景、杉村春子、三宅邦子、東山千栄子などが出演して和やかな結婚話が繰り広げられる、そんな平和な映画である。この2年後に小津映画の最高傑作『東京物語』が世に出る。
小津自身は、『麦秋』において「ストーリーそのものより、もっと深い《輪廻》というか《無常》というか、そういうものを描きたいと思った」と発言しており、脚本を担当した野田高梧は「彼女(紀子)を中心にして家族全体の動きを書きたかった。あの老夫婦もかつては若く生きていた。今に子供たちにもこんな時代がめぐって来るだろう。そういう人生輪廻みたいなものが漫然とでも感じられればいいと思った」と語っている。また本作は野田・小津コンビ作品の中で『東京物語』をも越す最もよくできた映画だと言われた。
原節子は昭和24(1949)年、『晩春』で初めて小津映画に登場し、『麦秋』が2作目、『東京物語』が3作目であった。以来、小津映画には原節子が欠かせない女優となっていく。だが小津安二郎が昭和38(1963)年に亡くなるや、原節子は忽然と自ら映画界を去ってしまう。『絢爛たる影絵-小津安二郎』を書いた作家高橋治は原が「小津の死に殉じるかのように」公的な場から身を引いたと表現している。
以降、彼女は決して表舞台に姿を見せることはなかった。その原節子がこの”秋”9月5日に神奈川県内で亡くなった。95歳だった。原の訃報は昨日11月25日にマスメディアで伝えられた。

by kirakuossan | 2015-11-26 08:12 | シネマ | Trackback

ギャレットの奏でるヴァイオリンに魅了されて

2014年9月8日(月)
d0170835_17164567.jpg
「パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト」
音楽史上、これほどスキャンダラスな伝説をまとったヴァイオリニストが存在しただろうか。ニコロ・パガニーニ──聴衆を驚愕の嵐に巻き込み、「悪魔に魂を売り渡して手に入れた」と恐れられた前代未聞の超絶技法、派手な女性関係、ギャンブル・・・尽きることのない逸話の影には、彼の人生を変えた知られざる二人の人物がいた。一人は、パガニーニを一大スターへと押し上げた敏腕マネージャー。もう一人は、生涯ただ一度の"純愛"の相手──不世出の才能に恵まれながらも、破滅型の異端児だったパガニーニがいかにしてヨーロッパ随一のアーティストへと上りつめたのか?そのカリスマ性に群がる女性たちと放蕩の限りを尽くしていた男が、なぜ一人の女性に魂を奪われたのか?そして純粋すぎる愛の思いがけない行方とは?いま、パガニーニのドラマティックな生涯に秘められた真実が明かされる──!
キャスト:
デビッド・ギャレット(ニコロ・パガニーニ)
ジャレッド・ハリス(ウルバーニ)
アンドレア・デック(シャーロット・ワトソン)
クリスチャン・マッケイ(ジョン・ワトソン)
監督:バーナード・ローズ
原題 Paganini: The Devil's Violinist  製作 2013年 ドイツ映画

d0170835_1751372.jpgd0170835_1753641.jpg



四条烏丸の京都シネマで独占上映。平日なので空いていると思ったらとんでもない。一日一公演、座席数も僅か105席しかなく満席に、番号札も71番と危なかった。呑気に始まる少し前に行っていたら入場できないところだった。シニア料金1100円というのは嬉しいね。(一般1800円だから700円も割引き、電車と地下鉄を乗り継いで来たかいがあるというもんだ)
平日ということも当然あるが、会場は90%が中高年のご婦人方でありました。
音楽映画としてはまああんなものだろうが、ギャレットの奏でるヴァイオリンには魅了された。ヒローイン・シャーロットとのアリア共演もなかなか聴かせた。彼女の素人歌唱がかえって効果を生んだ。バーナード・ローズの映画は、極端に重くなく、適度に見せ場とドラマ性を含んでいて娯楽映画としては上質の部類でないか。
ところでこの印象に残ったアリア「あなたを想っているわ、愛しい人よ」はヴァイオリン協奏曲第4番の第2楽章に出てくる。


映画に出てくる曲
24のカプリース Op.1/MS 25~
第4番、第5番、第9番、第13番、第14番、第19番、第24番
ヴァイオリン協奏曲第1番 ニ長調 Op.6/MS 21~第1楽章、第2楽章
ヴァイオリン協奏曲第2番 ロ短調 Op.7/MS 48~第3楽章「ラ・カンパネルラ」
ヴァイオリン協奏曲第4番 ニ短調 MS 60~第2楽章
《うつろな心》による序奏と変奏曲 ト長調 Op.38/MS 44
モーゼ幻想曲 Op.24/MS 23
ヴェニスの謝肉祭 Op.10/MS 59
英国国歌《ゴッド・セイヴ・ザ・キング》による変奏曲 Op.9/MS 56
ヴァイオリンとギターのためのソナタ Op.3/MS 27~ 第12番
アリア「あなたを想っているわ、愛しい人よ」(ヴァイオリン協奏曲第4番から第2楽章)060.gif
by kirakuossan | 2014-09-08 15:58 | シネマ | Trackback

ミステリー性と本格的な音楽で魅せる伝記映画

2014年7月14日(月)

d0170835_22512134.jpg
061.gif 『不滅の恋/ベートーヴェン』(Immortal Beloved)

偉大な作曲家が息を引き取った場面から映画は始まる。弟が遺産を一人占めしようとするところに、ベートーヴェンの書いた遺書が発見された。それは彼が〈不滅の恋人〉と呼ぶある一人の女性に想いを込めて書かれた手紙で、彼女に自分の音楽遺産すべてを託す気持が書かれていた。でも宛て名がないために弟子であり親友であったシンドラーがその〈不滅の恋人〉を探しにでる。
よくある単純な伝記映画ではなく、謎解きをさせる本格的なミステリー作品にもなっていて愉しませてくれる。それと何より魅力的なのは、バックで流れるベートーヴェンの作品群の演奏の素晴らしさだ。ゲオルグ・ショルティが音楽監督となり、ロンドン交響楽団が演奏を手がけるといった本格的なもので、他にヨー・ヨー・マ、エマニュエル・アックス、マレイ・ペライアらも加わる充実した布陣。道理で聴かせるはずだ。

d0170835_5343467.jpgd0170835_23184886.jpg流れる音楽は以下の通り・・・

交響曲第5番ハ短調op.67「運命」~第1楽章
エリーゼのために
交響曲第3番変ホ長調op.55「英雄」~第1楽章(抜粋)
ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調op.27-2「月光」~第1楽章
交響曲第6番ヘ長調op.68「田園」~第4楽章
ピアノ三重奏曲第5番ニ長調op.70-1「幽霊」~第2楽章(抜粋)
ヴァイオリン協奏曲ニ長調op.61~第1楽章(抜粋)
ピアノ・ソナタ第8番ハ短調op.13「悲愴」~第2楽章
ピアノ協奏曲第5番変ホ長調op.73「皇帝」~第2楽章,第3楽章(抜粋)
ミサ・ソレムニス ニ長調op.123~キリエ(抜粋)
交響曲第7番イ長調op.92~第2楽章(抜粋)
ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調op.47「クロイツェル」~第1楽章(抜粋)
交響曲第9番ニ短調op.125「合唱」~第4楽章“歓喜に寄す”(抜粋)


監督・脚本:バーナード・ローズ
出演者:ゲイリー・オールドマン、ジェローン・クラッベ、イザベラ・ロッセリーニ、ヨハンナ・テア・ステーゲ。
公開:1994年。イギリス・アメリカ合作映画。
by kirakuossan | 2014-07-14 22:38 | シネマ | Trackback

20数年前のモスクワの様子をたっぷりと見られる映画

2014年6月17日(火)

061.gifスパイ・サスペンス映画  The Russia House

d0170835_648761.jpg
ペレストロイカ体制下のソ連、ひとりのロシア人女性(カーチャ)からイギリスの出版社社長(バーリー)宛てに3冊のノートを託される。そのノートには東西のパワー・バランスを一気に崩しかねない、ソ連の核兵器システムの重大な欠陥が事細かに記されていた。ノートは英国情報部「ロシア・ハウス」の手に渡り、かつてソ連の作家村で「ダンテ」と名乗る作家と交流を持っていたバーリーは尋問を受ける。俄スパイに仕立て上げられたバーリーは、CIA、KGBも参戦した英米ソ三つ巴のスパイ戦争に巻き込まれていく。最初は英米の作戦通りに動くが、そんな中、バーリーとカーチャの間に愛が芽生え、最後は人間愛の道を選ぶ・・・
d0170835_6584054.jpgd0170835_659373.jpgスコットランドの映画俳優サー・トマス・ショーン・コネリー(1930~)は、好きな男優のひとりだ。『007』シリーズのジェームズ・ボンド役で一躍有名となったが、彼の俳優としての力量がより発揮されるのは、ボンド以降の中年になってからだと思う。彼の人間味あふれる演技力は幾つになっても魅かれる。あまりにも強かったボンドのイメージ、普通の俳優ならばそのイメージが終生つきまとい大成しないことが多いが、『アンタッチャブル』もそうだが、彼にはそれが完全に拭いさられているところが見事というしかない。本当の名優なのだろう。
『ロシアハウス』という映画、アクションや戦いの場面はまったくないが、静かに進められていくスパイ作戦、そのなかに終始緊張を保ち続け、筋を交錯させながら見せる凝縮した2時間余りである。20数年前のモスクワの様子をたっぷりと見られるのも魅力のひとつ。
d0170835_7152067.jpg
ショーン・コネリー、ミシェル・ファイファー、ロイ・シャイダー、ジェームズ・フォックス、ジョン・マホーニー、クラウス・マリア・ブランダウアー、監督フレッド・スケピシ。
ジョン・ル・カレの小説を映画化したもの。米国映画(1990年)
by kirakuossan | 2014-06-17 06:46 | シネマ | Trackback

一本桜までの小津の散歩道

2014年5月26日(月)
d0170835_2054100.jpg
d0170835_21302426.jpgいつも行く蓼科温泉共同浴場の2~300m南西に小津安二郎監督(1903~1963)の無藝荘がある。小津の生誕100年を記念して2003年にこの地に保存された。元の場所はさらに南へ下ったところにあった。小津が初めて蓼科に入ったのは、昭和29年8月、直ちにこの地に惚れ込み、ここを仕事場にすることになる。親友であって仕事仲間であった脚本家の野田高梧(1893~1968)とともに蓼科に住みつき、そこから世に出た作品は多い。
「早春」「彼岸花」「お早よう」「秋日和」「秋刀魚の味」など。
二人の勧めで、映画仲間の新藤兼人や井上和男、今村昌平、あるいは小津映画には欠かせない俳優笠智衆や佐田啓二らも蓼科に山荘を持った。

d0170835_21133461.jpg二人の山荘での生活は・・・
「朝9時頃に起床、朝風呂。続いて朝食、二人で酒を3合。午後の一時頃まで昼寝。夕食を美味しく食べるために昼食は食べない。
それから2時間ほど散歩。夕方4時から6時まで仕事。夕飯は夜の8時まで。この時は二人で5合。夜の12時頃まで仕事」


d0170835_21141245.jpg
二人で蓼科の疎林をよく散歩した。中でも一本桜へは仕事が行き詰まった時や、客人が東京から見えたときなど、足繁く通った。その一本桜までの散歩道が、後に野田高梧の実娘から教わり、地図にあるようなコースが確認された。二人の蓼科での足跡は野田高梧の山荘「雲呼荘(うんこそう)」に備え付けられていたノート全18冊の「蓼科日記」から知ることができる。(蓼科観光協会「小津の散歩道」参照)

ふたりでいつも飲み交わした酒は「ダイヤ菊」であった。この散歩道は一度歩いてみる価値ありだ。


061.gif 秋刀魚の味
by kirakuossan | 2014-05-26 20:02 | シネマ | Trackback

討ち入り

2012年12月14日(金)
d0170835_2225351.jpg
以前は12月14日といえば”討ち入り”の日、といってよく覚えていた。赤穂藩国家老・大石内蔵助をはじめとする「赤穂四十七士」が、元禄15年12月14日(1703年)未明に本所・吉良邸への討ち入りに及び、見事その首級をあげた。この元禄赤穂事件は「忠臣蔵」として、昔より映画、TVで幾度となく見てきた。最近でこそ滅多に見ることがなかったが、今夜、BSプレミアムで放映された「忠臣蔵・四十七人の刺客」(1994年)は2時間10分とたっぷりあったが久しぶりに最後まで見た。大石内蔵助は高倉健、吉良上野介は西村晃が演じていた。よく考えると高倉健の映画をこうしてじっくり見るのは多分初めてか?決して器用な役者には見えないが、迫力というか、貫禄というか、さすがである。健さん63歳の時の作品だ。(僕とおなじ歳) 最近はこんな存在感のある俳優さんがなくなってきたのでよけいにそう感じる。d0170835_23131133.jpgこの映画の原作は池宮彰一郎の小説『四十七人の刺客』、「日本映画誕生100周年記念作品」として東宝の威信を賭けた作品であった。ストーリーは他の「忠臣蔵」とは少し趣が違い、あくまでも大石内蔵助ひとりを中心に見据え、討ち入りに至るまでの日々のやりとりをとらえて進む、それは家族との絆や葛藤、他の女性たちが恋慕するシーンも多くあって、華やかな印象を与えるが、決して冗長な事にはならない。緊張感を常に持ち続けて討ち入りまでに至る。これも市川崑監督がメガホンを撮っているためだろう。
印象に残るシーンは、内蔵助が妻(浅丘ルリ子)と最後の会話を交わすところがある。そこで母として息子・大石主税のことを案じる場面があるが、その時内蔵助が・四十七士のなかには親子、兄弟で参集するものもいる中で、自分としても息子を出さないわけにはいかないというようなことを話すところがある。その複雑な心境が現実的で、この映画をより人間臭いものに仕上げていると感じた。娯楽映画として成功しているのには一方で配役が揃っていることも挙げられる。吉良方の色部又四郎役、弱冠33歳の中井貴一が存在感のある渋い演技を見せ、わき役も 松村達雄、 山本學、 小林稔侍、 中村敦夫、 森繁久彌、 岩城滉一と演技達者どころが出演しているし、女優陣も 浅丘ルリ子、 宮沢りえ、 黒木瞳らが好演している。

ところで「忠臣蔵」の映画は、二代目尾上松之助が演じた実演忠臣蔵(1908年)が最初で、以降、今年までの100余年の間に39本撮られている。この映画は35本目にあたる。今までに大石内蔵助役になった俳優は昭和になってからは大河内傳次郎(4回)、片岡千恵蔵(3回)、市川右太衛門、長谷川一夫、萬屋錦之介、津川雅彦、片岡仁左衛門、真田広之ら、一方、吉良上野介役は月形龍之介と滝沢修が2回、ほかに金子信雄、田村高廣など。面白いところでは悪役で有名だった進藤英太郎が内蔵助も吉良役も両方ともやっている。(ウキペディア参照)

たしか長谷川一夫は派手な衣装で太鼓を持っていたのに、健さんは質素な姿で手ぶらだった。
by kirakuossan | 2012-12-14 21:51 | シネマ | Trackback

映画館も変わったもんだ

2012年12月9日(日)
d0170835_2030074.jpg
二人で映画は半世紀ぶり・・・は大袈裟にしても、記憶にないほど随分久しい。007シリーズの50周年記念作品「007 スカイフォール」を大津湖岸のユナイテッドシネマ大津に見に行く。封切り間もないのとしかも日曜日なので満員かと思いきや、予想に反して館内はガラガラ。ネットで予約するまではなかった。嬉しかったことは金曜日に限らず、60歳以上はいつも大幅割引の1000円で見られること。これは値打ちがある。
さらに驚いたことはトイレがものすごく綺麗で洒落ていること、幾何学的模様にあっけにとられた。昔、東映のチャンバラ映画三本立てを見に行ったとき、時折ラムネの空瓶がどこかで転がる音がしたり、隙間からホノホノと消臭剤の香りに混じって異様な匂いがしたのとは雲泥の差だ。清潔だけではなく、ロビーには気のきいた喫茶店やポップコーンなんかも売っていたりして、今さらながらに映画館も随分変ったもんだとつくづく思った。
d0170835_20475133.jpgd0170835_20481236.jpg
6代目ボンドのダニエル・クレイグはやはり渋かった。初代のショーン・コネリーの甘さとは好対照だ。ジェームズ・ボンドはこの二人に限る。映画はいきなりのカーチェイスに始まって、バイクチェイスに、列車上での肉弾戦と冒頭部分から圧倒的な迫力だった。安くて、こんなに楽しめて気楽に来れるならこれからもチョクチョク来るか。
by kirakuossan | 2012-12-09 20:15 | シネマ | Trackback

モンローの映画を見て、思うこと

2012年11月11日(日)
d0170835_20143354.jpg久しぶりに洋画を見た。マリリン・モンローの出世作「ナイアガラ」1953年、今から60年も前の作品だ。これが予想に反してよかった。
少しヒッチコック風のサスペンス映画、筋書きはともかくとして思うのは、60年前のアメリカは、見るものすべてが美しく、センスがあって、そこには希望と夢があった、未来があった。終戦からさほど時間の経っていない貧しい日本人にとってはそれはそれは憧れの世界だっただろう。とにかく見るものすべてがなんとかっこいいか・・・それから60年経ったアメリカと日本、どれだけの夢が叶えられたのだろう?
d0170835_21255359.jpgd0170835_21263826.jpg
追記:
モンローの相手役はジョセフ・コットン、「第三の男」に出てくる男優だったんだ、どこかで見たことあると思った。彼は当時一世を風靡したトップスターで、「ガス燈」や「白昼の決闘」にも出ていた。
by kirakuossan | 2012-11-11 20:11 | シネマ | Trackback

信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。


by kirakuossan

プロフィールを見る





ブログパーツwww.rock-roll-bands.com











47NEWS

世界時計

・・・・・・・・・・・・・・・
exciteカウンター
373725
直近1週間訪問者数
430
385
383
354
372
320
549(昨日)
2793


d0170835_742451.jpg
d0170835_9203688.jpgシマノフスカ:
夜想曲 変ロ長調

グリンカ:
歌曲「ひばり」

カテゴリ

タグ

記事ランキング

以前の記事

フォロー中のブログ

ブログジャンル