ホンマ!気楽おっさんの蓼科偶感

カテゴリ:続・指揮者100選( 9 )

続・指揮者100選☆9 フレモー

2017年5月12日(金)

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ルイ・フレモー(Louis Frémaux, 1921~2017)はフランス北部の エール=シュ=ラ=リスで生まれた。ジャン・フルネやジョルジュ・プレートルなど同世代に著名なフランス人指揮者があるなか、もうひとつ地味な存在である。、彼は戦時中ということもあって音楽活動をスタートさせたのが遅く、パリ音楽院入学時は28歳になっていた。そんなこともにも影響されたのかもしれない。1959年38歳でモンテカルロ歌劇場管弦楽団の首席指揮者に迎えられ、表舞台に初めて立つ。そして69年、今度はイギリス中央部にあるバーミンガム市交響楽団の音楽監督に就任。この一地方にあったオーケストラを第一級の水準までに引き上げ約10年後、バトンをサイモン・ラトルに譲り、79年から3年間シドニー交響楽団の首席に就いた、そんなことで母国フランスのオーケストラに客演こそすれ、正式にポストに就くことはなかった。


☆演奏スタイルは・・・
繊細で知的であるが、その一方で思い切った切れ味鋭い指揮ぶりも示した。当然フランスものが得意だが、レパートリーは広い。なかでも「フランスよりイギリスでよく理解される」と、ベルリオーズを得意とした。

☆録音は・・・
d0170835_08595529.jpg今朝、NMLで配信されたルイ・フレモー - CBSO録音全集は聴きものである。これはすべて1970年代に手兵バーミンガム市交響楽団を指揮したもので、彼の実力のほどを知るにはもってこいのディスクである。この中には、ジュール・マスネの歌劇「ル・シッド」バレエ組曲や組曲第4番「絵のような風景」といった珍しい作品や、 ガブリエル・フォーレの「レクイエム」も含まれる。偶然だが、マスネとフォーレは今日が生誕日である。また、モンテカルロ国立歌劇場管をバックにサンソン・フランソワとのショパンのピアノ協奏曲第1番、第2番が好演である。

☆私見・・・
普段はほとんど知ることのない指揮者ではあるが、こうしてフランスものを通して聴いていくにつれ、もう少し他の曲も聴いてみたくなる、そんな指揮者である。

Myライブラリーより・・・d0170835_08585125.jpg
モンテカルロ国立歌劇場管&サンソン・フランソワのショパンのピアノ協奏曲第1番、第2番、それにラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲を保有、また1967年来日時、日本フィルを振った「幻想交響曲」をビデオで残している。



この1月にプレートルが92歳で、そして3月にはフレモーが95歳で亡くなる。今年になってフランスの二人の名指揮者が相ついで世を去った。


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by kirakuossan | 2017-05-12 07:02 | 続・指揮者100選 | Trackback

続・指揮者100選☆8 スヴェトラーノフ

d0170835_07105249.jpg2017年4月20日(木)
ロシアというか、よりソ連時代の色彩を帯びた、そんなイメージを抱かせる指揮者である。その指揮する音楽は、抑圧された日常を、いかにもこの時とばかり大爆発させ、思い切りオケを奮い立たせるような、しかもそこには暗さが存在しないところが救いである。
エフゲニー・スヴェトラーノフ( Евгений Светланов、ロシア 1928~2002)は、指揮者であるとともに作曲家、ピアニストでもあった。いつも指揮台には扇風機を置き、風を送りながら、ブンブンとタクトを振りまくった。その扇風機がまた赤色というのもいかにもソ連らしかった。
20歳半ばですでにボリショイ劇場で指揮台に立ち、1963年から3年間は音楽監督の任に着く。その後、ソ連国立交響楽団(現ロシア国立交響楽団)首席指揮者のポストを35年の長きにわたり君臨した。一方、国外でも比較的早くから知られた存在で、1979年からロンドン交響楽団客演指揮者を務めたり、1992年から2000年まではオランダのハーグ・レジデンティ管弦楽団の首席の地位にあったし、97年から3年間、スウェーデン放送交響楽団の音楽監督も務めた。度々来日もし、N響などを振ったことがあり、確かディスクも存在しているはずである。

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☆演奏スタイルは・・・あまりにも壮絶なダイナミズムな印象を持ちがちだが、よく聴けば意外にも感情には溺れない正確なアプローチでもあるのだ。

☆録音は・・・チャイコフスキー、ラフマニノフ、プロコフィエフなどなどやはりロシア物が圧倒的に多い。そのどれもが評価が高く、そしてそのほとんどが彼の手兵であるソ連国立交響楽団とのものである。


チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 Op. 23
エレーナ・ギレリス - Elena Gilels (ピアノ)
ソビエト国立交響楽団 - USSR State Symphony Orchestra
エフゲニー・スヴェトラーノフ - Evgeny Svetlanov (指揮)
(録音: 1968, Live recording)

☆私見・・・
スヴェトラーノフの名を聞けば、どうしても金管が咆哮するイメージがより先に立ってしまう。これはどうしてだろうかと思うが、多分最初に耳にしたチャイコフスキー音楽の影響だろう。同じ咆哮するチャイコフスキーでも、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルとは異質のものである。こちらの方が良し悪しは別として、荒削りで、品よく言えば野性的?ということか。

Myライブラリーより・・・d0170835_08435599.jpg
チャイコフスキー:
エフゲニー・スヴェトラーノフ - Evgeny Svetlanov (指揮)
ソビエト国立交響楽団 - USSR State Academic Symphony Orchestra
(録音:1975年)




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by kirakuossan | 2017-04-20 07:05 | 続・指揮者100選 | Trackback

続・指揮者100選☆7 ブロムシュテット

2017年2月15日(水)
d0170835_9215676.jpgサンフランシスコ交響楽団の音楽監督を1985年から10年間務め、現在は桂冠指揮者にあるヘルベルト・ブロムシュテット(Herbert Blomstedt, スウェーデン 1927~)は今年で90歳になる。ブーレーズが、マリナーが、そしてプレートルの亡き後、いまや世界最高齢の指揮者になった。


もうすこし若い頃の彼をみていると、サンフランシスコ響の同じ地位にあったからでもないだろうが、マイケル・ティルソン=トーマスと雰囲気がとてもよく似ている。スマートで、一見ソフトムードを漂わせるところなどそっくりだ。
ブロムシュテットは恵まれた指揮者活動を今日まで歩んできた。スウェーデン生まれである彼は最初北欧系のノールショピング交響楽団、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団、デンマーク放送交響楽団、スウェーデン放送交響楽団の首席指揮者を歴任、その後、1975年、48歳にして名門シュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者に就く。そこでの10年が彼をスターダムに押し上げたといえるだろう。そしてサンフランシスコ交響楽団を10年、1996年から2年間は北ドイツ放送交響楽団、1998年から7年はライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ということで主だったオーケストラを率いて来た。ただ、これだけのキャリアを誇りながら、大巨匠の印象を抱かせないし、N響との度重なる共演にもかかわらずもうひとつ人気を博さないのも不思議な事である。


d0170835_10585477.jpg☆演奏スタイルは・・・
レパートリーは幅広く、ドイツものをはじめ、シベリウスなどの北欧ものからニールセンまでこなす。全般的に中庸の域を出ないような指揮だが、それが堅実でもあり退屈でもある。ただ、演奏によっては一発ハマれば凄い感動を呼びおこすような指揮ぶりも見せる。

☆録音は・・・
シュターツカペレ・ドレスデンとの録音を多く残し、 最古参オケの戦前からの”くすんだ魅力ある音色”を戦後になってもカイルベルト、ケンペ、コンヴィチュニー、マタチッチ、スウィトナー、ザンデルリングと引き継いできたが、彼がその最後の再現者である。

ドヴォルザーク:
交響曲第8番 ト長調 Op. 88, B. 163
シュターツカペレ・ドレスデン - Dresden Staatskapelle
ヘルベルト・ブロムシュテット - Herbert Blomstedt (指揮)

このドヴォルザークなど、ブロムシュテットとドレスデンの相性の良さを忠実に再現した1枚と言える。

☆私見・・・
リハーサルは非常に厳格なことで知られる。逸話として、来日してN響を振った最初の頃、ホルン奏者の演奏が自分の考えと合わず、演奏会ギリギリまで練習させたことがある。彼のこのような徹底した、厳格さが魅力でもあり、反面、煙たがられる要因にもなっているのだろう。

Myライブラリーより・・・
d0170835_10343373.jpgブルックナー:
交響曲第4番 ホ長調
シュターツカペレ・ドレスデン
ヘルベルト・ブロムシュテット(指揮)
(1980年6月:ルカ教会)
派手さはないが、聴きこめば聴きこむほど味わいが増す演奏である。




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by kirakuossan | 2017-02-15 08:29 | 続・指揮者100選 | Trackback

続・指揮者100選☆6 ヘルビッヒ

2017年2月3日(金)
d0170835_9132061.jpg旧のチェコスロバキア出身のドイツの指揮者にギュンター・ヘルビッヒ(Günther Herbig, チェコ 1931~)がいる。その名はほとんど知られていない。最初あの退屈な指揮をするフィリップ・ヘレヴェッヘ(1947~)かと思い違いするぐらいで、とにかく控え目で地味な指揮者である。現在80歳半ばを越えて、まだ現役かどうかは定かではないが、ここまでの足跡をみても裏方に徹している。

たとえば2001年から2006年までザールブリュッケン放送交響楽団の音楽監督に就任するが、ザールブリュッケンの顔と言えばあのMr.S、ことスクロヴァチェフスキの存在である。
Mr.Sは客演指揮者の立場であるが、ベートーヴェン交響曲全集を録音するなどして華やかな表舞台で評価される。その影でこの無名のオーケストラをしっかりと鍛え上げて来たのは他でもないヘルビッヒだったのだ。
彼は指揮法をヘルマン・アーベントロートやヘルマン・シェルヘンに学んできたというから筋金入りである。東欧圏に生まれたヘルビッヒは30歳代にベルリン交響楽団やドレスデン・フィルの首席や芸術監督を務めるが、彼の本当の活躍は、国外脱出後の50歳代になってからの活動にある。1984年にデトロイト交響楽団の首席指揮者に、1988年から1994年までの間はトロント交響楽団の音楽監督に就任した。デトロイトではアンタル・ドラティの次に就任、ネーメ・ヤルヴィに引き継いだ。トロントでは同じチェコのカレル・アンチェル、そしてアンドルー・デイヴィスのあとを受持ち、ユッカ=ペッカ・サラステにその地位を譲った。この顔ぶれを見ても、相前後する指揮者たちの前に一歩控えた位置にある。ちょうどその隙間に存在したような印象をどうしても持ってしまう。でもアメリカでの活躍をよく知る米国民には人気を博している。他でもときおりあることだが、その割に日本ではほとんど知られていないという事実である。1976年初来日しこれまでに3度も日本を訪れているのに・・・である。



☆演奏スタイルは・・・
奇をてらった演出は一切なく、あくまでも作品に忠実で、淡々とした流れに乗る。このことが聴くものに、退屈さと、平凡さを抱かせるのかもしれないが、真の彼の音楽の表現が、その真面目さ、誠実さを通して聴きこむにつれて安心感とともに醸成されてくる。

☆録音は・・・
ブラームスとハイドンの交響曲が評価されている。ただ不思議なのは、ここでもアメリカのオーケストラとの録音を残していない。すべて美味しいところは、前後する他の指揮者に持って行かれたように。そんなところにもオーケストラビルダーでもあった彼の真骨頂がある。

d0170835_107599.jpgブラームス:
交響曲第2番 ニ長調 Op. 73
ベルリン交響楽団
ギュンター・ヘルビッヒ(指揮)



☆私見・・・
彼の一見変哲もないような音楽が、実はじっくりと耳を傾ければその良さがしみじみと伝わって来る。たとえばブラームスで言えば、彼に向いているのは第1番より第2番の方で、より彼の持ち味が醸し出される、といったそんなふうな指揮者なのである。

d0170835_1021462.jpgMyライブラリーより・・・
持ち合わせていない。



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by kirakuossan | 2017-02-03 08:58 | 続・指揮者100選 | Trackback

続・指揮者100選☆5 コンドラシン

2017年1月27日(金)
NMLでロシア最大のレーベルMelodiyaの追加96枚が配信された。よく見ていくと3人の指揮者をまだ書いていないのに気がついた。コンドラシン、スヴェトラーノフ、そしてキタエンコ。

d0170835_855233.jpg今回はまずそのいちばん先輩格であるキリル・コンドラシン(Кирилл Петрович Кондрашин, ソ連 1914~1981)からである。モスクワで生まれた彼は、最初マールイ小劇場で指揮を初め、29歳でボリショイ劇場の常任指揮者となり、ここで13年間務めたのが本格的な指揮者のスタートである。そして1960年から15年間はモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督となり、その名を不動のものにした。これに続き音楽監督に就いたのがドミトリー・キタエンコで、彼もまた14年間その地位にあり、二人によっての30年間でモスクワ・フィルの基礎が築かれたと言っても過言ではない。1967年のモスクワ・フィル初来日時ももちろんコンドラシンはダヴィッド・オイストラフとともに来日して、各地で公演を繰り広げた。レニングラード・フィル以外でロシア(ソ連)のオーケストラが日本の土を踏んだのは1964年のソビエト国立交響楽団に次いでこれが3つ目であった。


☆演奏スタイルは・・・
男性的で精悍、力強さに溢れ、一種のロシア色を感じさせるが、それは統率力に優れ、極端な偏重した演奏はしない。彼の曲に対する理解力は明晰で、その手腕は協奏曲においても如何なく発揮される。その証拠に世界各地のさまざまな一流ソリストとの共演が多く、その貴重な演奏も多く残されている。国内のオイストラフやリヒテル、ギレリス、ロストロポーヴィッチなどを筆頭に、マルタ・アルゲリッチ、ヴラディーミル・アシュケナージなど。
彼が、単にドカーンとやってのけるロシア人指揮者ではなかったのがこの洗練されたマーラーを聴けばよくわかる。

d0170835_10531959.jpgマーラー:
交響曲第4番 ト長調
ガリーナ・ピサレンコ(ソプラノ)
モスクワ・フィルハーモニー交響楽団
キリル・コンドラシン(指揮)

☆録音は・・・
初めてショスタコヴィッチの交響曲全集をモスクワ・フィルと録音したのはコンドラシンであり、1960年代ではムラヴィンスキーはまだ来日しておらず、ソビエト響で来日したコンスタンティン・イワノフやアルヴィド・ヤンソンスの存在より、日本でのロシア人指揮者としてはコンドラシンの知名度の方が高かった。
ウィーン・フィルをはじめ、シュターツカペレ・ドレスデン、バイエルン放送響、ロンドン交響楽団、フランス国立放送管、チェコ・フィル、南西ドイツ放送響、アムステルダム、コンセルトヘボウなど、想像以上に多くのオーケストラを振った、しかもヨーロッパの一流どころばかりを・・・

☆私見・・・
d0170835_11145822.jpgムラヴィンスキーの日本への登場の仕方があまりにも待たされ待たされして衝撃的であり、また来日までの噂がある意味ムラヴィンスキーを神格化させたために、来日してからの1970年代以降は国内はムラヴィンスキー一色になってしまったが、ひと回り若いがコンドラシンの存在も忘れてはならない。彼はモスクワ・フィルを世界に通用する団体に仕上げたし、早くから西側とのパイプも築き、立派な演奏を数多く遺した。
コンドラシンは1978年にアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団に客演中のアムステルダムにおいて、オランダへの亡命を表明し、常任客演指揮者に就任するという出来事が起きる。これを受けて、当時ムラヴィンスキーの4度目の来日がキャンセルするなど、当局は貴重な人材の亡命阻止にピリピリと神経を尖らせていた頃だ。
亡命後彼は1982年からラファエル・クーベリックの後任として、バイエルン放送交響楽団の首席指揮者になることが内定していたが、急逝により実現することはなかった。西側の正式な常任に初めて就く機会だけに残念であった。

Myライブラリーより・・・
d0170835_10112411.jpgショスタコーヴィチ:
交響曲第8番
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
キリル・コンドラシン(指揮)
録音:1967年4月20日東京文化会館(ライヴ)
67年来日時の演奏である。



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by kirakuossan | 2017-01-27 08:22 | 続・指揮者100選 | Trackback

続・指揮者100選☆4 コシュラー

2016年12月19日(月)
d0170835_7503338.jpg地味な指揮者であった。それに風貌からしても失礼ながら巨匠の風格はなかった。でもその指揮ぶりは堅実で、血の通ったものであった。ズデニェク・コシュラー (Zdeněk Košler, チェコ 1928~1995)はそんな指揮者であった。
1956年のブザンソン国際指揮者コンクールで優勝、さらに63年、35歳の時、ミトロプーロス国際指揮者コンクールでは30歳のクラウディオ・アバドとともに優勝し、レナード・バーンスタインのアシスタントとして研鑽を積んだ。もうこの時から、華やかさを持ち合わせたアバドとは好対照であった。1976年からチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就き、80年からは今年びわ湖ホールで鑑賞したあのプラハ国立歌劇場の音楽監督に就任する。一方で、日本とも早くからなじみが深く、78年から3年間、東京都交響楽団の常任客演指揮者の地位にもあった。76年11月には当時の首席であったバーツラフ・ノイマンに同行してチェコ・フィルと来日、フェスティバルホールでは「新世界」」と黒沼ユリ子のヴァイオリンでスークの幻想曲を披露、好評を博している。

d0170835_927215.jpg☆演奏スタイルは・・・
NMLで今朝配信のベルリオーズの「幻想」を聴いているが、思いのほかおとなしい演奏である。この曲としてはもう一つ物足りないが、そもそもこの指揮者の特徴としてバランスの取れた演奏をするところにある。必要以上に民族色を前面に出さず、細部までその音楽の持つ真理を追究することを優先する。そういった点からしても聴く者には地味な印象を与えるのだろう。

☆録音は・・・
やはりボヘミアのお国物を得意とするが、とくにスメタナに好演が多い。歌劇「売られた花嫁」は彼の代表盤である。ほかにマーラーやリヒャルト・シュトラウスなど、あるいはフランスものなど・・・と幅広くこなした。

☆私見・・・
冷静に音楽の真理を追究し、バランスを崩さなかった面からも意外にも彼のモーツァルトの演奏が挙げられる。1985年にスロヴァキア・フィルと録音した「レクイエム」はなかなかのもので、隠れ名盤だと思う。

d0170835_9392431.gifモーツァルト:
レクイエム ニ短調 K. 626
マグダレーナ・ハヨーショヴァー - Magdaléna Hajóssyová (ソプラノ)
ヤロスラヴァ・ホルシュカ - Jaroslava Horská (コントラルト)
ヨゼフ・クンドラク - Jozef Kundlak (テノール)
ペーテル・ミクラーシュ - Peter Mikuláš (バス)
スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団 - Slovak Philharmonic Chorus
スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団 - Slovak Philharmonic Orchestra
ウラディーミル・ルソ - Vladimir Ruso (オルガン)
ズデニェク・コシュラー - Zdeněk Košler (指揮)
録音: March 1985, Concert Hall of Slovak Philharmonic, Bratislava


Myライブラリーより・・・
d0170835_914771.jpg廉価盤7枚セットのドヴォルザーク交響曲全集と管弦楽曲集。
まず聴くことはなかったが、これを期に聴き直してみようかな、とも思う。


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by kirakuossan | 2016-12-19 07:41 | 続・指揮者100選 | Trackback

続・指揮者100選☆3 デ・ワールト

2016年11月5日(土)
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管弦楽曲はもとよりオペラにも精通した指揮者にイタリア人指揮者リッカルド・ムーティがいるが、彼と同い年のオランダ人指揮者にエド・デ・ワールト(Edo de Waart, オランダ 1941~)がいる。二人はある意味対照的な歩み方をしてきた。ムーティが表舞台を、ワールトは裏道を・・・とそこまで言えば言い過ぎかもしれないが、それでも二人の足跡を辿るとそうとも言えそうだ。ムーティはフィルハーモニア管、フィラデルフィア管、ミラノ・スカラ座、シカゴ響、さらにウィーン・フィルハーモニー管のニューイヤーコンサート指揮者という晴れやかさ。一方のデ・ワールトはロッテルダム・フィル、サンフランシスコ響、ミネソタ管、オランダ放送フィル、シドニー響、そして現在ロイヤル・フランダース・フィルとニュージーラン響の首席指揮者にある。もうひとつ言い換えれば、前者がすでに名も通り、実力を備えたオーケストラに君臨してきたのに対して、後者はまだ発展途上の未成熟なオーケストラとともに歩んできた、とも言える。そういうところからも彼がオーケストラ・ビルダーとして傑出した能力の持ち主であるといわれる所以でもある。39歳でムーティはフィラデルフィア管の音楽監督になるが、ワールトも36歳で同じくアメリカのサンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就く。今月待望のサンフランシスコ交響楽団演奏会に出向くが、もっぱら20年君臨するマイケル・ティルソン=トーマスのオーケストラといわれるが、実はその前に、たっての小澤征爾の推薦もあって後任として1977年から1985年までの8年間昼夜を共にし、このオーケストラを育てたのだ。
また、彼は若くしてベルナルト・ハイティンクのもとコンセルトヘボウ管弦楽団の指揮者助手に任命されたこともあって、1988年、ハイティンクが下りるとき、次期首席はワールトと思われたが、リッカルド・シャイーが引き継いだ。これも運命のいたずらで、もしも彼があの世界有数の首席に就いていたら、彼の人生も、そしてコンセルトヘボウにとってもまた変わっていたかもしれない。

☆演奏スタイルは・・・
誠実なアプローチに導かれた自信に満ち溢れる指揮ぶりは、いわゆる玄人好みするものであって、そこには表面だけを目立たせる演出はない。真の奥底から響く彼の音楽こそ本物である。そんな彼はひとつにワーグナーを得意としたが、その中から、たとえば歌劇「リエンツィ」序曲、一曲をとりあげ、その華麗で、優艶、雄大で広壮な音楽つくりを聴くにつけ、そのことは確信にかわるのである。

d0170835_8281835.jpgワーグナー:
歌劇「リエンツィ」序曲
オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団
エド・デ・ワールト(指揮)


☆録音は・・・
d0170835_975479.jpgマーラーやワーグナー、あるいはリヒャルト・シュトラウスやオペラの演奏の数々が挙げられるが、意外なのは彼の存在を世に出したのは、モーツァルトのセレナード集であったとされる。その演奏は、引き締まった、しかものびやかで生き生きとした表現と絶賛された。

モーツァルト:
セレナード第10番 変ロ長調 「グラン・パルティータ」 K. 361
セレナード第11番 変ホ長調 K. 375
オランダ・ウィンド・アンサンブル
エド・デ・ワールト(指揮)


☆私見・・・
ピエタリ・インキネンの後を受けて、今年からニュージーランド交響楽団音楽監督に就任したばかりである。近いうちに彼の指揮ぶりを是非みてみたい。どこかペーター・マークとダブるところがある。マークの存在を知った時には、かれはすでにこの世にいなかった。
で、ワールト(デ・ワールト)なら現役指揮者、まだ間に合うのである。

Myライブラリーより・・・
今手元に見当たらないが、索引ではフィルハーモニア管との演奏でベートーヴェンの管弦楽曲「ロマンス」第1番と第2番をもっている。


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by kirakuossan | 2016-11-05 07:23 | 続・指揮者100選 | Trackback

続・指揮者100選☆2 アルブレヒト

2016年11月4日(金)
d0170835_9222675.jpg先日ネヴィル・マリナーが92歳で亡くなったが、現役最古参の指揮者がヘルムート・ヴィンシャーマンの96歳、続いてルイ・フレモーの95歳、そして93歳のスタニスワフ・スクロヴァチェフスキと健在である。スクロヴァチェフスキは読売日本交響楽団との関係が深く、2007年から2010年にかけて3年間常任指揮者の地位にあった。
話は遠回りになったが、その彼の一代前の読響の常任指揮者がゲルト・アルブレヒト(Gerd Albrecht, ドイツ 1935~2014)である。アルブレヒトは1998年から2007年まで9年間の長きにわたり就任した。それは名門チェコ・フィルハーモニーの首席指揮者に1993年から就きながら様々な軋轢(政治的理由)により、わずか3年で辞任することとなって日本にやって来た経緯がある。そのアルブレヒトの前に、1992年から6年間常任を務めたのが尾高忠明であるが、今の読売日本交響楽団のすぐれた水準(現在日本のオケでNO1と思う)は、尾高のままであったら多分ここまでには育っていなかったであろう。アルブレヒトとスクロヴァチェフスキを招いたのが功を奏して、この12年間でその実力が培われたと考えられる。

☆演奏スタイルは・・・
誇張のない、自然な表現から作品の魅力を引き出すような指揮である。

☆録音は・・・
現代音楽、とりわけ演奏機会の少ない曲を積極的に取り上げる傾向があった。それはヒンデミットやツェムリンスキーなどである。やがてチェコ・フィルとはシューベルトやブルックナーなどの比較的スタンダードな作品も採りあげていただけに僅か3年ほどの首席辞任は残念であった。

d0170835_1011894.jpgブルックナー:
交響曲第6番 イ長調 WAB 106 (ノヴァーク版)
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
ゲルト・アルブレヒト(指揮)
(録音: 2004 February)


☆私見・・・
チェコ・フィルハーモニーは楽団員の満場一致で外国人として初めての指揮者としてアルブレヒトを迎えながらわずか3年で終止符を打ち、次にピアニストのウラディーミル・アシュケナージ (1996年~2003年)を起用した。これがチェコ・フィル低迷の元凶と僕は思っている。この7年間のブランクはあまりに大きかった。アシュケナージはピアニストのままで良かったのだ。
なおゲオルゲ・アレクサンダー・アルブレヒト(1935~)という指揮者もいるが別人である。

Myライブラリーより・・・
d0170835_10154421.jpgメンデルスゾーン:
ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op. 64
フランク・ペーター・ツィンマーマン(ヴァイオリン)
ベルリン放送交響楽団
ゲルト・アルブレヒト(指揮)



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by kirakuossan | 2016-11-04 09:20 | 続・指揮者100選 | Trackback

続・指揮者100選☆1 シェルヘン

2016年10月21日(金)
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「指揮者の仕事に特有のことといえば、それは直観により形作りながら、批判する眼で観察することにある。だから指揮者の身振りにも二重の役目がある。芸術作品を表現することと、オーケストラを導くこと、である。だがオーケストラを導くというのは、つまり、油断なく見張っていて直すこと、準備していて奏者の仕事をやり易くしてやること、演奏中に失敗を取り戻すこと、間違いの発生を予防したり阻止したりすること、である。オーケストラのいわば極度に醒めた良心といえる指揮者は、じっと見守り、支え、助ける、のである。完全に作品に精通して、以上に述べたことが思いのままにできるときにはじめて、その演奏はまったく楽々と行なわれるようにみえる」

また新たに指揮者を綴っていきたい。題して『続・指揮者100選』である。上の言葉は指揮者ヘルマン・シェルヘンが著した『指揮者の奥義』からの一節である。
ヘルマン・シェルヘン(Hermann Scherchen、1891~1966)は、ドイツ出身の指揮者であり、作曲家、教育者そして現代音楽の推進者としても知られた。最初はベルリンフィルのヴィオラ奏者であったが、20歳のときにシェーンベルクとともに演奏旅行に出かけ、そこで指揮を覚えた。彼が現代音楽を知るきっかけとなったのはこんな経緯によるものであろう。また、現代音楽と言えばスイスのグラヴェサーノにある山荘に電子音楽のスタジオを設けたりして常に良き理解者であったが、どちらかといえば彼の振るバッハやヘンデル、あるいはハイドンの演奏に人気があったのも面白い。

☆演奏スタイルは・・・
「古典から現代にかけての幅広いレパートリーに、それぞれ独自の視点で解釈を試み、噴き上がるような熱さと知的な冷静さがせめぎあうスリリングな演奏に反映させました」とあるのはタワーレコードのキャッチコピーだが、もともとシェルヘンといえば奇抜な解釈による演奏を行うこともあって奇異な指揮者というイメージが定着しているが、多くを聴いたわけではないからはっきりとしたことは言えないが僕にはそうは思えない。とくに得意としたベートーヴェンの「田園」(フランス放送管弦楽団) なんかを聴いてみると、きわめてオーソドックスな演奏である。ただ確かに旧来の古臭さはない、そんなところが当時は斬新とされ、奇抜に聴こえたのかもしれない。

☆録音は・・・
d0170835_849818.jpgウェストミンスター・レーベルに膨大な録音が残された。今年は彼の没50年ということになるが、亡くなる前年にルガノ放送管弦楽団とベートーヴェン全集をライヴ収録。実はこれが演奏中の”唸り”、”叫び”音が凄いらしい。これにつられて楽員たちも異様に燃え盛ったようだ。

☆私見・・・
ARIOSO レーベルのルガノとのベートーヴェンライヴ、機会があれば是非聴いてみたいものだ。

Myライブラリーより・・・
廉価盤全集「20世紀の偉大なマエストロ」の中に1枚保有している程度でほとんど持ち合わせがない。エクセルでは他にフルニエとのドヴォルザークのコンチェルトが挙がっているが、今手元には見当たらない。で、NMLで「20世紀の偉大な指揮者たち」からハイドンを掲載。
d0170835_8265471.jpgハイドン:
交響曲第100番 ト長調 「軍隊」 Hob.I:100
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
ヘルマン・シェルヘン(指揮)
録音: 1958



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by kirakuossan | 2016-10-21 07:03 | 続・指揮者100選 | Trackback

信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。


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