ホンマ!気楽おっさんの蓼科偶感

カテゴリ:近江抄( 95 )

「三上山のムカデ退治」ゆかりの寺と神社

2017年4月17日(月)
d0170835_13335548.jpg
d0170835_13523046.jpg民話「三上山のムカデ退治」ゆかりの寺と神社が瀬田の唐橋のたもとに並んである。
雲住寺は、ムカデ退治に活躍した藤原秀郷(俵藤太)の追善供養のために15代目の子孫により建立された。この寺は瀬田の唐橋の守り寺にもなっていて、最初は天台宗であったが、江戸時代から浄土宗に変った。
そのすぐ隣にあるのが、俵藤太と乙姫を祭神とする龍王宮秀郷社。昔から瀬田の唐橋の下には龍神が住むという伝説があって、1440年頃に現在地に橋を架け替えたとき、龍神をご神体として祀ったといわれている。ちなみに藤原秀郷は実在の人物で、平将門の反乱に際し、秀郷が将門の左目を射抜いて見事に征討。これは瀬田橋の龍神の御加護によるものである、という由来から、ムカデ退治の伝説が生まれたと考えられている。
d0170835_13331542.jpg
d0170835_13384982.jpg三上山とここ瀬田の唐橋、だいぶ距離が離れているので俵藤太はその行き来にこのバイクを使った、ということでもないでしょうから、せめて見えないところに駐車しておきましょう。歴史をたどりながら楽しみに訪れる人もあるでしょうし。

.
by kirakuossan | 2017-04-17 13:21 | 近江抄 | Trackback

春霞

2017年4月16日(日)
d0170835_16435184.jpg
今朝は野球観戦の前に、湖岸道路をざっと45分ほど、膳所城跡まで歩いた。9時を過ぎているのに、霧というか靄(もや)というか、霞(かすみ)というか白いベールがかかっている。正式には霧とか靄と呼ぶのだろう。は、春の季語だが、気象学用語ではない、とある。膳所城跡が霞んで見えた。その先には近江大橋が・・・
d0170835_16332335.jpg
d0170835_16455477.jpg

オマケに、膳所高OBのためにサービススナップを一枚どうぞ。(今朝の校門前)
d0170835_16473557.jpg



.
by kirakuossan | 2017-04-16 16:40 | 近江抄 | Trackback

湖岸道路を行く。。。

2017年4月14日(金)
d0170835_14233476.jpg
d0170835_1427021.jpg
d0170835_14243365.jpg湖岸道路を行く。。。
琵琶湖大橋のレイクサイドゴルフ場の桜がちょうど満開だ。そういうとゴルフも4か月御無沙汰だな~と思っていたら、力さんが帰り際にゴルフの平日優待券をくれた。さっそく萩ヤンに電話、今月の終りに行くことに。こんなことは即実行に移す。行動力抜群である。
d0170835_1424503.jpg
d0170835_1429203.jpg


by kirakuossan | 2017-04-14 14:23 | 近江抄 | Trackback

「急がば回れ」由来の唐橋

2017年3月30日(木)
d0170835_14505274.jpg

もののふのやばせの舟は早くとも急がば廻れ瀬田の長橋

連歌師の宗祇の弟子宗長が詠んだこの歌が、「急がば回れ」の語源の由来である。もののふは武士、やばせの舟は矢橋の渡しである。
京へ上るのに、矢橋から舟に乗って琵琶湖を横断する方が陸路より早いのだが、これには比叡おろしの突風が吹き、危険を伴う。急ぐからと言って、そんな危ない航路より、遠回りにはなるが瀬田の橋を渡って行く安全確実な道の方が結局得策である。

この瀬田の長橋は瀬田の唐橋と呼ばれ、宇治橋、山崎橋とならんで日本三名橋に数えられる。その歴史は古く、神功皇后の時代にはすでにあったとされる。交通の要衝であり、京都防衛上の重要地でもあったことから、古来より「唐橋を制する者は天下を制す」と言われてきた。事実、この橋を掌握すべく多くの戦が繰り広げられてきた。壬申の乱(671年)では、天智天皇の後継者争いで大友皇子と大海人皇子の最後の決戦場となった。
d0170835_1532822.jpg平安時代になると、承平年間(931~38年)唐橋を渡ろうとしたとき、百足の害で困っていた老翁(竜神)の願いを聞き入れ、唐橋から三上山(近江富士)に住む大百足を、弓で見事に退治した、という藤原秀郷(俵藤太)の大百足退治伝説の場所となって現れる。

さらに寿永年間、1183年(寿永元年)に源義仲対平家、その翌年に源義経対義仲の合戦が繰り広げられ、その際に源範頼が攻める唐橋の橋板をはずして守っていたのが今井兼平であり、義仲と合流し、粟津で敗死する。
鎌倉時代には、承久の乱が1221年(承久3年)に起き、後鳥羽上皇の軍と北条義時の弟時房率いる鎌倉幕府軍が瀬田川を挟んで交戦。そして1336年(建武4年)には足利直義率いる足利勢と名和長年率いる朝廷軍が交戦。
やがて安土桃山時代に入り、現在の位置に幅四軒長さ一八〇軒の唐橋を90日で完成させたのは織田信長の時である。

d0170835_14513543.jpgd0170835_14514915.jpg唐橋から夕照の道を少し南下したところに瀬田城跡がある。代々山岡氏が城主で、城主山岡景隆は、信長上洛のたびに瀬田城を宿所としていたほどに信長からの信頼が厚く橋を守る役目を任されていた。
本能寺の変で明智光秀は、安土城を占拠するため瀬田唐橋に軍を進めたが、山岡景隆は信長への忠義を守り橋を焼き落とし光秀の進軍を阻んだ。これにより光秀はいったん兵を引かざるを得なくなり、橋の修復に3日間を要し、天下の趨勢に大きな影響を与えたとされる。その瀬田城跡も今では高層マンションが建ち、その面影はない。
江戸時代以降になると、膳所藩(本多家)が管理するようになり、江戸幕府は、瀬田川に唐橋以外の橋をかけることを禁じた。1795年(寛永7年)から1894年(明治27年)までの100年間で、18回の架け換えの記録が残っている。1924年(大正13年)にはこれまで木造であった橋が、鉄筋コンクリートの橋に架け替えられ、1979年(昭和54年)に現在の橋が竣工した。

アトリエから北上、唐橋を通り、夕照の道を南下して、京滋バイパスの陸橋を渡り戻って来る。ちょうど1時間のコースである。


.
by kirakuossan | 2017-03-30 14:50 | 近江抄 | Trackback

琵琶湖が望める高台にある神社

2017年3月27日(月)
d0170835_15291858.jpg岩間寺へ登る山道の途中に右に折れて奥宮神社に至る。琵琶湖が望める高台にある。岩間寺の山道より風情があると思っていたら、こちらの方がさらに急こう配。隣同士にあるが、岩間寺は滋賀県大津市、ここ奥宮神社は京都府宇治市になる。
d0170835_14231476.jpgd0170835_14235278.jpgd0170835_17323212.jpgd0170835_14222750.jpgd0170835_14292846.jpg



1時間近くも歩くと汗びっしょりとなる。そこでシャツの着替えを持って行くと、風邪をひく心配もないし、爽快で気持ちよい。休憩時の握り飯が最高に美味い。標高400m、握り飯を買ってきたコンビニがはるか下に見える。向うに瀬田ゴルフ場。
d0170835_14324444.jpg
その左向こうにはアトリエのオレンジ色の屋根がわずかに見える。
d0170835_14333638.jpg
さらに遠方に目を移すと石山の街や近江大橋がみえ、東に目をやると近江富士。
d0170835_15471084.jpg
鳥居の間から、はるか向こうに大津プリンスホテル、そして冠雪の比良山系までうっすらと見える。
d0170835_14211785.jpg

往復で2時間。ここも10kmの道のりだが、健脚向きのコースだ。
(なお奥宮神社は昭和46年に個人が造営した神社のようである。)


.

by kirakuossan | 2017-03-27 10:48 | 近江抄 | Trackback

ひと汗かきに岩間寺まで

2017年3月25日(土)

昨日は甲子園行で、あまり歩いていないので、今日は天気も良いので少し遠出しようと思う。そこで思いついたのが岩間寺。
d0170835_14425849.jpg岩間山正法寺は山城と近江の国境にある標高439mの岩間山の山頂近くにある。真言宗の寺で、養老年間(717~24)に加賀の白山を開いた泰澄法師がこの地に移り住み開いたとされる。千手観音を安置し、紀伊の熊野、大和の金峰山と並んで第三の霊場と呼ばれた。本尊の観音は俗に「汗かき観音」とか「雷除け観音」と呼ばれる。西国33か所観音霊場の第12番札所であるが、ぼけ封じ観音第4番札所ともなっていて、「ぼけ封じ」の寺としても知られる。本堂は、天正5年(1577年)に再建されたもので、寛永年間に解体修理された。当寺には山門は現存しない。 本堂前には泰澄が最初の本尊を刻んだ後の切り株から再び芽生えたと言われる桂の樹があり、霊木とされている。今日はこの霊木を目指して”ひと汗”かこう。

d0170835_14483527.jpg霊木は「夫婦桂」と呼ばれ、二代目の樹が第二室戸台風(1961年9月)で倒壊したとき残ったひこばえで、三代目である。本堂は靴を脱いで自由に観覧できる。芭蕉の池から不動堂への通路横の扉が薄く開いておりその隙間から観音さまが後光をさして顔をのぞかせた。
d0170835_1446372.jpg




d0170835_1513429.jpg





ぼけ封じ観音の前に、仏足石が敷いてあって、「この仏足石の下には近畿十楽観音のお砂が納められています。十か寺のお砂を踏み、観音さまとご縁を結び、健康で長生きされますことをお祈り申し上げます」といった看板が立ってある。さっそく踏んでみた。これで十楽観音をお詣りしたことになるわけだ。

d0170835_15255431.jpgd0170835_15283323.jpg
京都、大阪、奈良の関西一円の車が山を登っていく。なかに習志野からお参りにきた車もあった。アトリエから片道5km、往復10kmほど。ただ往きは急こう配の山道で散歩というより、もう山登りハイキングの域である。

ぼけ封じ近畿十楽観音霊場
第1番 今熊野観音寺(京都市東山区)
第2番 大報恩寺(京都市上京区)
第3番 勝龍寺(長岡京市勝竜寺)
第4番 正法寺(大津市石山内畑町)
第5番 玉桂寺(甲賀市信楽町)
第6番 総持寺(茨木市総持寺)
第7番 太融寺(大阪市北区)
第9番 大龍寺(神戸市中央区)
第9番 七宝寺(兵庫県神崎郡神河町)
第10番 常瀧寺(兵庫県丹波市)


.
by kirakuossan | 2017-03-25 10:42 | 近江抄 | Trackback

「蘆花浅水荘」

2017年3月17日(金)

「江村即事」司空曙(唐の詩人)

     釣罷帰来不繋船 (釣罷んで帰り来たり 船を繋がず)
     江村月落将堪眠 (江村月落ちてまさに眠るに堪えたり)
     縦然一夜風吹去 (よし一夜風吹き去るも)
     只在蘆花浅水辺 (只在らん 蘆花浅水の辺り)

山元春挙の別荘「蘆花浅水荘」を訪ねて。

d0170835_15391010.jpg
d0170835_15394196.jpg
d0170835_15401044.jpg
d0170835_1540461.jpgd0170835_15411041.jpg
d0170835_15425361.jpg
d0170835_15431056.jpg
d0170835_15443958.jpg「静居」
二畳ほどの和室。
春挙はこの狭い空間に独り座し、画像をイメージした。
また、建物のあらゆるところに春挙の遊び心や様々な工夫が施されている。
d0170835_15434885.jpg
d0170835_15514461.jpg春挙は、生地に近い膳所に別荘を建てた。大正三年、書院造りに茶室を点在させ、数寄屋造りを基調とする洗練された手法の建物で、敷地内に、両親と師である森寛斎の恩を記するために持仏堂-円融山記恩寺を建立した。
山元春挙旧邸「蘆花浅水荘」は国の重要文化財に指定されている。

1時間にわたり懇切に、お孫さんにあたられる山元寛昭氏にご案内いただいた。


.
by kirakuossan | 2017-03-17 14:45 | 近江抄 | Trackback

山元春挙の別荘「蘆花浅水荘」

2017年3月13日(月)
d0170835_22481422.jpg
石山寺横の公園にある周辺の案内図を見ていると、大津膳所の中ノ庄界隈に記恩寺という寺が載っている。なぜか気になって調べてみると、興味ある記事を見つけた。
日本画家の大家山元春挙の別荘「蘆花浅水荘」、この園内に先師森寛斎と父を祀るために記恩禅寺という小寺を建てた。京阪電鉄瓦ヶ浜駅の北東近くにあって、大正時代の作庭の自然の中に自己の芸術を表したという庭園は、いかにも画家の庭らしく絵画風で名高い。もともとは庭続きに琵琶湖が広がっていて、書院の前に、なだらかな芝生の2つ小丘を作り、その間に幅広い白砂を流して小ぶりの松をところどころに配置している。これらの配置はすべて庭向こうの琵琶湖と背後の山々(三上山)を借景にと、意識して作られただけに見事に調和している。「蘆花浅水」という別荘名にちなんで、手水鉢の周りに蘆が植えられている。蘆花浅水荘は重要文化財、庭園は大津市指定の名勝になっている。

電話、またはFAXで予約することになっており、「なるべく拝観希望日の3日前までにご連絡ください」とある。明日一度電話してみよう。
(電話&FAX:077-522-2183)


d0170835_8281646.jpgd0170835_22412558.jpgd0170835_8284858.jpg

山元春挙(1872~1933)
滋賀県滋賀郡膳所町(現在の大津市中庄付近)で生まれる。明治から昭和初期にかけ活動した円山四条派の日本画家。竹内栖鳳と共に、近代京都画壇を代表する画家。画風は、四条派の伝統を受け継ぎつつも西洋の刺激を受け、墨彩や色彩表現を豊麗さへと徹底的に純化した表現に特色がある。明治天皇も春挙のファンで、亡くなる際、床の間に掛かっていたのは春挙の作品だったといわれる。滋賀県立近代美術館 には春挙の作品が多数所蔵されている。


.
by kirakuossan | 2017-03-13 22:04 | 近江抄 | Trackback

毎日1時間歩くぞ!

2017年3月11日(土)
d0170835_1831444.jpg
石山公園横のアトリエから、京滋バイパス陸橋横の側道を渡って瀬田川東岸に出る。そこから瀬田川沿いに北上、瀬田の唐橋を通って西側へ渡り、今度は石山寺に向って南下、ちょうど「瀬田川ぐるり散歩道」を半周廻るかたちで、所要時間がジャスト1時間であった。ぐるり散歩道を一周すると8.5kmとあるから、おおよそその半分4kmほど歩いたことになり、計算は合うわけだ。
アトリエから南郷の自宅までが往復でこれも1時間になる。最近運動不足が甚だしく、先日の立木さんの800段の石段を登るのにもかみさんに大きく後れを取ってしまった。これではいけない。目医(名医)の力さんから「食事は一日2,000kcalまで、そして毎日1時間ほど散歩をすること」とお達しを受けた。ご飯軽く一膳で200kcal、パンだと400~500kcalもあるそうで、今までのようにおかわりをしていると一気にカロリーオーバーしてしまう。萩ヤンも以前言っていた。「おまえ、よー食うなあ、食べ過ぎとちがうか?」を思い出した。そう、運動不足の上に明らかにて食べ過ぎなのです。それに、これも前に確か、松井君が話していたと思うけど、「せっかく環境のいいところに住んでるんだから、いくらでも散歩できるよ」、そうなんだ、散歩をしない手はないのだ。
そんなんやあんなんやで大いに反省し、生活習慣を改善しないといけないと悟った次第。あれだけ吸っていた煙草も11年前に孫娘が生まれると同時にポイ!と止めてしまい、あれから一本も口にしていない。自分で言うのもなんだが、こう見えてもこうと決めたら意思は固い方である。まあ、散歩の方はまだ、昨日、今日と二日目だけど・・・確かに体が快調である。雨の日は除いて、これから毎日1時間歩くぞ!
d0170835_16123836.jpg

by kirakuossan | 2017-03-11 15:57 | 近江抄 | Trackback

足も上がらず立木さん

2017年2月25日(土)
d0170835_10391156.jpg
d0170835_10394743.jpg厄除け立木観音開山1200年。
800余段の石段、今年は一気に上り切れるや?

立木さん二題

ミニ姿足も軽やか立木さん
四度休み足も上がらず立木さん

耕庵




.
by kirakuossan | 2017-02-25 10:21 | 近江抄 | Trackback

信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。


by kirakuossan

プロフィールを見る





ブログパーツwww.rock-roll-bands.com











47NEWS

世界時計

・・・・・・・・・・・・・・・
exciteカウンター
373725
直近1週間訪問者数
430
385
383
354
372
320
549(昨日)
2793


d0170835_742451.jpg
d0170835_9203688.jpgシマノフスカ:
夜想曲 変ロ長調

グリンカ:
歌曲「ひばり」

カテゴリ

タグ

記事ランキング

以前の記事

フォロー中のブログ

ブログジャンル