ホンマ!気楽おっさんの蓼科偶感

カテゴリ:指揮者100選(完)( 101 )

kirakuossan著 『指揮者100選』

2016年10月5日(水)

『指揮者100選』

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d0170835_1154813.jpgちょうど400頁の巻末にこう記した。
本著はマイブログ「ホンマ!気楽おっさんの蓼科偶感」に2010年11月25日から2016年9月25日 かけて掲載したものである。

指揮者100選
著者:kirakuossan
発行日:2016年9月25日
発行:My Books.jp


(に)が一文字脱字であった。
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by kirakuossan | 2016-10-05 11:02 | 指揮者100選(完) | Trackback

指揮者100選☆100 ロジェストヴェンスキー

2016年9月25日(日)
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ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(Gennady Rozhdestvensky、ロシア 1931~)はロシア人指揮者でありながら、ソ連時代から西側では比較的よく知られた存在であった。彼は若くして1961年から14年間、母国モスクワ放送交響楽団の音楽監督に就いたが、その後、ボリショイ劇場の音楽監督に5年就いた後、1978年~1981年にかけてイギリスのBBC交響楽団首席指揮者に、同じく1980年から1982年にウィーン交響楽団の首席指揮者の地位に就いた。それにこれはあまり知られていないが、北欧スウェーデンのロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者での活動も長く、1974年から77年、1991年から95年と二度にわたり首席指揮者の地位にあった。これら一連のことが西側の聴衆に早くから認知された原因といえるだろう。d0170835_9192120.jpg当時、優秀な音楽家がソ連を離れる動きが相次いだが、当局はソ連文化省交響楽団を創設してまで、彼をその音楽監督に据え、国外脱出を留まらせた。その意味でも、ソ連の指揮者としては珍しく、ソ連を脱出しないまま西側でも活躍した稀有な存在といえる。
加えて彼の風貌がどことなく親しみを覚えやすいもので、あの30歳代での若禿げ姿での指揮は印象に残る。そのためか、まだ80歳半ばで今も健在であるということが意外に感じられるのである。

☆演奏スタイルは・・・
彼の指揮は何といってもエフゲニー・スヴェトラーノフと並んで爆演系指揮者として知られるが、アクの強い演奏は確かに感じ取れるが、実際に聴いてみると、意外とおとなしく節度あるものである。そう多くを聴いたわけではないが、マイライブラリーのブルックナー第9番を聴くと、曲想にもよるのだろうが、決して爆演しない。

☆録音は・・・
爆演はないかと探してみると、爆演するのにもってこいの曲があった。思いきっし爆演している。

チャイコフスキー:
交響曲第4番 ヘ短調 Op. 36
ソビエト国立文化省交響楽団
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(指揮)

ソヴィエト国立文化省交響楽団はその後、ソヴィエト・フィルハーモニー交響楽団、モスクワ・シンフォニック・カペレと名を改め、現在のロシア国立シンフォニー・カペラとなった。1991年にソ連崩壊、それまで10年間首席指揮者の地位にあったロジェストヴェンスキーは去ることになる。

Myライブラリーより・・・
d0170835_936053.jpgブルックナー:
交響曲第9番ニ短調
モスクワ放送交響楽団
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(指揮)

ロジェストヴェンスキーのブルックナーというのも珍しいが、当時のモスクワ放送交響楽団とロジェストヴェンスキーの演奏の数々をとらえ、諸井誠は「圧倒的な迫力、柔軟、多彩な表現、生き生きとしたリズム感、華麗な響き・・・」と絶賛している。宇野功芳もこのレコードのライナーノーツで語る。「カラヤンの第4、7番は、いわばムード音楽化されたブルックナーであるが、ロジェストヴェンスキーの第9はスラブ的なブルックナーというべきであろうか」
モスクワ放送交響楽団といえば現在はチャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラとも呼ばれ、昨年6月にウラディーミル・フェドセーエフの指揮でチャイコフスキーの第5番を聴いたが想像をはるかに超える素晴らしいオーケストラだった。あの時の”今迄で一番美しいチャイコフスキー”は忘れない。


☆所感・・・
2010年11月から書き始めたこの「指揮者100選」も今日でようやく100回目を迎えた。主だったところはすべて網羅したつもりだ。100人の指揮者にはそれぞれ自分のさまざまな思いが凝縮されているが、でもまだまだ書き足りない。ロジェストヴェンスキーの先輩格エフゲニー・スヴェトラーノフを書き洩らしているし、奇演のヘルマン・シェルヘンやアルトゥール・ロジンスキ、ディミトリ・ミトロプーロス、ヤッシャ・ホーレンシュタイン、エーリヒ・ラインスドルフ、比較的最近の指揮者でキリル・コンドラシンやルドルフ・バルシャイ、チャールズ・マッケラス、あるいはホルスト・シュタイン、さらには現存のヘルベルト・ブロムシュテットやロジャー・ノリントン、一方、期待の若手指揮者ではまだほとんどが書けないでいる。
で、とりあえずはここで一度完結させて、あとは続編で綴っていきたい。



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by kirakuossan | 2016-09-25 08:06 | 指揮者100選(完) | Trackback

指揮者100選☆99 アブラヴァネル

2016年9月22日(木)
d0170835_201259.jpgギリシャ出身のユダヤ系スイス人指揮者モーリス・アブラヴァネル(Maurice Abravanel, スイス 1903~1993年9月22日)を知る人は少ないだろう。アメリカのユタ州と縁が深く、彼の演奏の大半はユタ交響楽団とのものである。しかしアメリカにわたるまではユダヤ人ということもあって各国を転々とする。最初ドイツで活動したが、パリに亡命、さらにはオーストラリアへ、そして1947年、戦後まもなくたどり着いたのがユタ州というわけ。フランス時代にブルノー・ワルターに師事した影響だろう、マーラーの交響曲を早くから採りあげていたが全集として世に出したのは実は彼が世界初であった。(バーンスタインに先駆けること10年)当時まだ一部の指揮者、たとえばオイゲン・ヨッフムやレナード・バーンスタインあるいはエリアフ・インバルなどの録音全集しか評判にされなかった頃から、アブラヴァネルのマーラーは玄人好みする演奏として一部では知られていた。

d0170835_21155771.jpg☆演奏スタイルは・・・
若くして、ベルリン歌劇場、パリ・オペラ座、ローマ歌劇場、そしてメトロポリタンと、歌劇で研鑽を積んだ腕前は本物で、彼の指揮は一見地味そうではあるが、それは正反対で楽員とともに音楽を楽しむ姿勢が見られ、じっくり聴けば深みがあり、そこには歌がある。

マーラー:
交響曲第2番 ハ短調 「復活」

ビヴァリー・シルズ(ソプラノ)
フローレンス・コプレフ(コントラルト)
ユタ大学シビック・コラール
ユタ交響楽団
モーリス・アブラヴァネル(指揮)
(1967年)

☆録音は・・・
マーラー以外にはチャイコフスキー交響曲全集があり、バレエ音楽を得意とし「くるみ割り人形」全曲も評価が高い。

☆私見・・・
どういうわけか彼は日本では不当な評価を受けた。というより無名に近い存在であった。またライト・クラシックに一時手を染めたことが災いしたのか、常に二流以下の指揮者でしかなかった。そのことは今後も続くだろうが、彼の誠実な指揮ぶりをレコードなどで一度耳にする機会を得た数少ない聴衆は、きっと認識を新たにすることだろう。

Myライブラリーより・・・
マーラーより先にベルリオーズの「レクイエム」を廉価盤で聴き、厳粛な心地になった。
d0170835_2144142.gifベルリオーズ:
死者のための大ミサ曲(レクイエム) Op. 5
モーリス・アブラヴァネル(指揮)


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by kirakuossan | 2016-09-22 19:59 | 指揮者100選(完) | Trackback

指揮者100選☆98 フリューベック

2016年9月15日(木)
d0170835_929671.jpgスペインの後期ロマン派作曲家にヘロニモ・ヒメネスがいるが彼の音楽でスペイン独自の叙情的オペラ音楽サルスエラの「ルイス・アロンソの結婚式」間奏曲がある。ほんの5,6分の短い音楽だが華やかで印象的だ。この曲を決まったようにアンコールで演奏した指揮者がいる。同じスペイン人指揮者のラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス(Rafael Frühbeck de Burgos,スペイン 1933~2014)である。70年代に来日、大阪フィルとの演奏会でもちろん初めて知ったが、背の高いガッチリとしたなかなかの美男子で、この長ったらしい名前もなぜか不思議とスラスラと覚えたものだ。実は名前がラファエル・フリューベックであって、デ・ブルゴスは「ブルゴス出身の」という意味であるが、デ・ブルゴスという語感が親しみやすく、長く姓と思い込んでいた。d0170835_9354387.jpg今別荘に来ているので、この時のプログラムを手にはできないが、グリーンで彩られた、いかにも南欧スペインを思わせるものだった。
2012年に読響を振りに来日した彼の指揮姿の写真を見て、昔の精悍なイメージが年月とともに好々爺に変っていることには少々驚いた。
母国のスペイン国立管弦楽団の首席指揮者を1962年から17年間務め、1988年から91年にかけては音楽監督の地位にあった。一方では1980年から4年間、読売日本交響楽団の常任指揮者にも就き、その後も1990年以降、同楽団の名誉指揮者を務めた。

☆演奏スタイルは・・・
晩年にかけて円熟味が増し、壮大な演奏を繰り広げた。

☆録音は・・・
数々のレーベルにまたがって比較的積極的な録音活動を行なった。パリ・オペラ座管弦楽団とのビゼー歌劇「カルメン」や最近では上原彩子のピアノでロンドン交響楽団とのチャイコフスキーピアノ協奏曲第1番などがある。

☆私見・・・
奇縁で彼の40代の若い時のまだ未熟な指揮に接したこともあって、以降、南欧出身の指揮者ということも相まって彼の印象は常に二流指揮者の域を出なかった。ところが晩年の彼の音楽を聴くに及んで、それは大きな過ちを犯していたことに気づき、後悔したものである。スペイン音楽以外の、例えばブラームスの交響曲第1番などはれっきとしたドイツロマン派音楽の本道をゆくものである。この演奏のオーケストラはこれも2004年から8年の長きにわたり首席指揮者にあった手兵ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団とのものである。2013年6月末、後任のミヒャエル・ザンデルリングの指揮でこのオーケストラ演奏会に接したが、この時も偶然ブラームスの1番だったが、その伸び伸びとした演奏、分厚い響きはさすが本場ドイツのオーケストラという印象を持った。これなども下地はフリューベックが作り上げた音楽なのだろう。

ブラームス:
交響曲第1番 ハ短調 Op. 68
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス(指揮)

Myライブラリーより・・・
唯一のレコードはアンヘレスの「歌の翼に」の伴奏である。

d0170835_1034228.jpgメンデルスゾーン:
6つのリート Op. 34 - 第2曲 歌の翼に
ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス(ソプラノ)
シンフォニア・オブ・ロンドン
ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス(指揮)



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by kirakuossan | 2016-09-15 08:36 | 指揮者100選(完) | Trackback

指揮者100選☆97 ジンマン

2016年8月27日(土)

d0170835_12562155.jpgデイヴィッド・ジンマン(David Zinman, アメリカ 1936~)という指揮者がいる。一部では根強い人気を誇るらしいが、僕にはとてもその良さが分からない。一時期、彼の素晴らしさを会得しようと、CDを買ってみたり、チューリヒ・トーンハレ管との演奏会にも足を運んだものだが、何を聴いても、その音楽は常に上滑りして深い感動を呼び起こさない。どうしてだろう、決して演奏自体は悪くはないのだが、何かが足りない。そのことはいまだに解決し得ていないが、とにかくいつ聴いても面白くないのだから仕方ない。ではなぜこの指揮者100選で採りあげるのか?それはクルト・マズアなどとは違い、いつの日か彼の演奏がこんなに素晴らしいものであったのかと気づかされる、なんかそんな予感がしないでもないからである。


☆演奏スタイルは・・・
現段階では彼のスタイルは熟知していない。ただ1985から98年にかけてボルティモア交響楽団音楽監督の任に就き、このオーケストラをアメリカ一流の水準まで引き上げたと評されている。

☆録音は・・・
ロンドン・シンフォニエッタを指揮したグレツキの「悲歌のシンフォニー」のディスクは早くから話題を呼んだ。確かジンマンの名を世に知らしめたのはこの演奏だったように思う。この演奏は確かに今こうして聴いてみても彫の深い、魅惑的な作品に仕上がっていてこの曲での最上盤をも思わせる。


d0170835_13184690.jpgグレツキ:
交響曲第3番 「悲歌のシンフォニー」 Op. 36
ドーン・アップショウ(ソプラノ)
ロンドン・シンフォニエッタ
デイヴィッド・ジンマン(指揮)


ジンマンのCDは有り難いことにアルテノバやナクソスなどの廉価盤が主流のため手に入れ易いこともあって人気が広まったのも一因かもしれない。古楽奏法を採用したモダン・オーケストラによるグレツキで好評を博した次がベーレンライター新全集版採用のトーンハレ管弦楽団とのベートーヴェン交響曲全集、序曲全集、さらにはミサ・ソレムニスという一連の録音シリーズが出たものだからみな飛びついた。小生もその例外ではなく喜び勇んで手に入れたものだ。しかしその期待は即座に霧散して消え、以降ベートーヴェン音楽を聴くとき、この全集をわざわざ取り出すことはなくなった。でもこのシリーズは世間で色んな雑誌等で採りあげられ、注目された。後でわかったことだが、やはり当時からこの演奏に対する評価は解釈の妥当性などをめぐって賛否両論ではあったようだ。

☆私見・・・
彼ももう80歳になる。今のところ巨匠というイメージには遠い。将来に名を残す巨匠になりうるかどうか、ここもうしばらくは見てみたい気もする。

Myライブラリーより・・・
d0170835_1341361.jpg昨日、tuttiの本棚で眠っていたリヒャルト・シュトラウスの全集を引っ張り出して天狗温泉への道のり久々に聴いてみた。往きはアルプス交響曲、帰りは英雄の生涯を聴きながら・・・でも残念ながらやっぱりただ鳴っているだけであった。



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by kirakuossan | 2016-08-27 12:29 | 指揮者100選(完) | Trackback

指揮者100選☆96 プレートル

2016年8月14日(日)
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ジョルジュ・プレートル(Georges Prêtre, フランス 1924年8月14日~)は今日が誕生日で92歳を迎えた。2008年、83歳だった彼が、突如としてニューイヤーコンサートに登場したのは記憶に新しいが、当時少なからず驚きで迎えられた。それは高齢ということもさることながら、どちらかといえばそう表舞台に出るタイプではないマエストロだけに余計に印象深かったものだ。そして2年後に2回目の登場を果し、地味であった存在を世界的に知らしめた。彼はウィーン交響楽団終身名誉指揮者やシュトゥットガルト放送交響楽団名誉指揮者のポストにあり、もともと実力的には申し分ないのである。

☆演奏スタイルは・・・
フランス人指揮者と言えば、最初に思い浮かべるのがアンドレ・クリュイタンスであり、古くはピエール・モントゥーにポール・パレーであり、そしてジャン・マルティノン、それからドイツから後に帰化したシャルル・ミュンシュである。さらには最近まで活躍したジャン・フルネ、ピエール・ブーレーズ、そして唯一存命のジョルジュ・プレートルである。こうして並べてみると錚々たる顔ぶれである。彼らに共通するのは”管楽器のフランス”を演出したことだろう。フルネはフルート出身であるし、プレートルはトランペットが専門である。こういったこともフランスのオケが管楽器を一層引き立てる要素になった一つかもしれない。そのなかでプレートルは最も個性的な演奏を繰り広げたと評されてきた。それは1970年のパリ管との来日公演における帯同のセルジュ・ボドとの比較に置いて、より鮮明に個性が発揮されたことにほかならないだろう。でも、今こうしてサン=サーンスやドヴォルザークを聴くにつけ、評価とは正反対の基本に忠実な指揮ぶりが蘇るのである。

d0170835_15385550.jpg☆録音は・・・
もちろんフランスものを得意としたが、なかでも特に優れた評価を得ているのは現代作曲家プーランクの作品である。ほかにフランス・オペラを得意とした。晩年のマリア・カラスとの録音も多く、「トスカ」はカラスの最後のオペラへの出演となった。


☆私見・・・
意外なのは、彼ほどフランスのオケとの関わり合いが深く、フランス色の強い指揮者はいないのに、なぜかフランスの楽団のポストは1970年にほんの少しパリ国立オペラの音楽監督に就いたぐらいで、パリ管もフランス放送フィルの常任にも就かなかったことである。それでも彼とパリ管の関係は来日公演もあって深いものである。パリ音楽院管弦楽団時代の演奏だが、美しいステレオ録音のサン=サーンスがある。

サン=サーンス:
交響曲第3番 ハ短調 「オルガン付き」 Op. 78
モーリス・デュリュフレ(オルガン)
パリ音楽院管弦楽団
ジョルジュ・プレートル(指揮)


Myライブラリーより・・・
d0170835_13521479.jpgドヴォルザーク:
交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」 Op. 95
パリ管弦楽団
ジョルジュ・プレートル(指揮)
人気No1の名曲「新世界より」の名だたる演奏は数多く存在するが、最近手に入れたこのプレートル/パリ管盤がこれまた無理のない名演奏で聞き飽きしない。




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by kirakuossan | 2016-08-14 13:19 | 指揮者100選(完) | Trackback

指揮者100選☆95 スメターチェク

2016年8月2日(火)

d0170835_2014544.jpgチェコ人でヴァーツラフという名がつくと一等に思い起こすのはヴァーツラフ・ターリヒであり、もうひとりはヴァーツラフ・ノイマンだろう。実はもう一人のヴァーツラフがいる。
彼の名はヴァーツラフ・スメターチェク(Václav Smetáček, チェコ1906~1986)オーボエ奏者で作曲家でもあったが、正直前者ふたりと比べて知名度では劣るが、実力的には三人の中では最も上かも知れない。


評論家宇野功芳の言葉を借りれば、「音楽的にはノイマンよりスメターチェクのほうが断然上なのだが、ノイマンの政治力がすごいのでスメターチェクが目立たないでいる」ということになる。ヴァーツラフ・ノイマン ほど生前の活躍の割には、亡くなってから影が薄くなった指揮者も珍しいのではないか、とノイマンの稿で書いたが、こういうことも遠因にあるのではないかと今気づいた。そういうと昨年暮れ世を去ったクルト・マズアも芸術的力量ではなく政治力によって地位が築かれたものだと言われたが、1年もたたないのにもはや忘れられた存在だ。

チェコでの最高のオーケストラはいうまでもなくチェコ・フィルハーモニー管弦楽団であるが、それに次ぐのがプラハ交響楽団だろう。スメターチェクは1942年から30年間の長きにわたり、首席指揮者の地位に就き、同楽団の基礎を築いた功労者である。

☆演奏スタイルは・・・
誠実で、ありのままで、そして輪郭が明確でスッキリとした演奏を聴かせる。それはある意味、彼の人柄そのものであったであろう。そのことはこのスメタナの交響詩「わが祖国」を耳にすれば大いに頷けるところである。

d0170835_2056261.jpgスメタナ:
連作交響詩「わが祖国」
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
ヴァーツラフ・スメターチェク(指揮)
(録音: 8-13 September 1980, Dvořák Hall Rudolfinum, Prague, Czech Republic)



☆録音は・・・
比較的若い時期から国外に出向き演奏会を開いたが、来日して東京交響楽団などを振ったりもした。お国もの以外にもモーツァルトやベートーヴェンなども演奏したが、全体的に残したレコーディングは多い方ではなかった。

d0170835_22331651.jpgドヴォルザーク:
ミサ曲 ニ長調 Op. 86, B. 153
プラハ交響楽団
ヴァーツラフ・スメターチェク(指揮)
(録音: November 1969, Rudolfinum, Prague, Czech Republic)


☆私見・・・
彼は「チェコのカラヤン」と称された。その本意は分からないが、少なくともふたりの創り出す音楽は全く違った、というより正反対のような思いがする。スメターチェクはギラギラさせない、あくまで質素で、それでいて音楽の核心を突く、そんな上品な指揮であった。


Myライブラリーより・・・
ステファンスカのショパンのピアノ協奏曲の伴奏が1曲あるのみ。


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by kirakuossan | 2016-08-02 19:59 | 指揮者100選(完) | Trackback

指揮者100選☆94 ネゼ=セガン

2016年6月28日(火)

d0170835_1744345.jpgd0170835_1785512.jpg今月の2日、フェスティバルホールでヤニック・ネゼ=セガン指揮するフィラデルフィア管弦楽団の演奏会で素晴しいサウンドを目の当たりにして興奮した。そしてその演奏会の夜、セガンのもとに朗報が届いた。メトロポリタン歌劇場の次期音楽監督就任決定の知らせであった。もちろん演奏会の時点では本人はまだ知らなかった。

2012年からつとめているフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督の契約が2026年まで延長になったばかり、そのセガンに2020年からもうひとつの大役が回って来た。この電撃発表を受けて、「夢が実現した」と大阪のホテルから本人の喜びが発信された。

d0170835_20181539.jpgカナダ人指揮者ヤニック・ネゼ=セガン(Yannick Nézet-Séguin、カナダ、1975~)は今年40歳を越えたばかりだが、すでに2008年からロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に、それと同時に08年からロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者に6年間就くなど、着実の歩み続けている。メトロの音楽監督としてはまだ確かに若いが、でも彼ならうまくこなすことだろう。

☆演奏スタイルは・・・
地味な曲や難曲でも、セガンは構成上において、的確な指示をオケに要求し、明瞭さだけでなく、音楽の深みも導き出す。だから聴くものを飽きさせない。2日の演奏会でブラームスの2番を振ったが、この曲は親しみやすいが、下手をすると緩慢な聞きどころのない単調な演奏に陥りがちだが、その夜のブラームスは魅力的な緩徐部と決めどころの強奏部のバランスが程よく調和が取れていて、見事に全体を盛り上げて聴かせる。やるじゃん!セガン!という思いであった。

☆録音は・・・
若くして録音にも恵まれた。ブルックナー、マーラー、あるいはシューマンの交響曲全集など意欲的に取り組んできた。30代に多数の録音を共にこなしたモントリオール・メトロポリタン管弦楽団はメトロポリタン歌劇場とは別団体である。
2010年あたりからのロッテルダム・フィルとのベルリオーズの「幻想」や12年のチャイコフスキーの「悲愴」などの演奏は統率力を発揮し、抑えた中にも華やかで美しい彼独自の世界が見え始めてきた。

d0170835_19274655.jpgチャイコフスキー:
交響曲第6番 ロ短調 「悲愴」 Op. 74
ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団
ヤニック・ネゼ=セガン(指揮)
録音: August 2012, Rotterdam, De Doelen, Grote Zaal, Netherlands


それに併録されているチャイコフスキーの「6つの歌」で彼がピアノを弾いているがこれがまた渋い。
チャイコフスキー:
ラトガウスの歌詞による6つの歌 Op. 73 (抜粋)(ヴァイオリンとピアノ編)
リサ・バティアシュヴィリ - Lisa Batiashvili (ヴァイオリン)
ヤニック・ネゼ=セガン - Yannick Nezet-Seguin (ピアノ)
録音: November 2012,


☆私見・・・
彼の存在は、数年前から注目していた。2010年11月13日の当ブログでも<新星☆カナダ人指揮者ネゼ=セガン>としていち早く採りあげていた。当時、2006年録音のブルックナーなどを聴いて、まだ不自然さを感じたことも事実だが、最近とみに成長したといえよう。
昨今、時期を同じくして主要なオーケストラに次代を担う若手がそれぞれに就任した。これからの数年の彼らの活躍は見ものである。
ベルリン・フィルハーモニー(18~)のキリル・ペトレンコ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団(17~)のアンドリス・ネルソンス、来年のニューイヤーコンサートが予定されているロサンゼルス・フィル(09~)のグスター・ボ・ドゥダメル、ロンドン・フィルハーモニー(15~)のアンドレス・オロスコ=エストラーダなどなど・・・(なぜか、彼らの名前がみな長く覚えずらいのがタマニキズ)
そのなかでも、恐らくセガンがもっとも偉大な指揮者の一人になる予感がする。




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by kirakuossan | 2016-06-28 17:01 | 指揮者100選(完) | Trackback

指揮者100選☆93 クーセヴィツキー

2016年6月27日(月)

d0170835_20335052.jpgバルトークに作曲を委嘱したために「管弦楽のための協奏曲」 BB 123を生むきっかけとなったユダヤ系ロシア人指揮者で作曲家にセルゲイ・クーセヴィツキー(Serge Koussevitzky,ロシア、1874~1951)がいる。彼はこの「管弦楽のための協奏曲」を高く評価し、「今世紀の25年間のうちで、最高のオーケストラ作品である」と激賞した。ピエール・モントゥーの後を継ぎ、1924年から1949年までボストン交響楽団の常任指揮者を務め、シャルル・ミュンシュにバトンタッチした。
彼はバルトークだけではなく内外の作曲家に多くの作品を委嘱した。ラヴェルによる「展覧会の絵」の編曲やレスピーギによる「音の絵」の編曲、さらにはメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」や1931年のボストン交響楽団創立50周年記念のための委嘱作品としては、ストラヴィンスキーの「詩篇交響曲」やルーセルの交響曲第3番が知られる。でもこれだけの経歴を持ちながら、不思議なのは指揮者としての評価は今一歩であることだ。モントゥーよりも、ミュンシュよりも、明らかに影は薄い。それは遺した録音が少なかったのが最大の要因かも知れないが・・・

☆演奏スタイルは・・・
線の太い、豊潤な指揮ぶりを披露した。ただ古典作品などであくが強すぎるといった見方も片方ではあった。

☆録音は・・・
手兵ボストン響とのシベリウスの交響曲第2番は1950年の録音であるが、これはあくの強さが好結果を生んだケースで、スケール感の大きい立派な演奏、音質もよく、オーマンディ指揮フィラデルフィア管と並んで同曲の名演と評価されているのもうなずける。それとあとはやはり得意としたバルトークの「管弦楽のための協奏曲」だろう。

d0170835_19162878.jpgシベリウス:
交響曲第2番 ニ長調 Op. 43
ボストン交響楽団
セルゲイ・クーセヴィツキー(指揮)
録音: 29 November 1950



d0170835_19243394.jpgバルトーク:
管弦楽のための協奏曲 BB 123
ボストン交響楽団
セルゲイ・クーセヴィツキー(指揮)
録音: 30 December 1944,



☆私見・・・
とくに日本では知られていないが、もっと再評価されてもよい巨匠のひとりであると思う。

Myライブラリーより・・・
d0170835_19112843.jpg「20世紀の偉大な指揮者」シリーズの2枚組セットだが、ここにもシベリウス第7番、それにこれも得意としたチャイコフスキーの第5番、ベートーヴェンの第5番などが収められている。濃厚なチャイコフスキーを聴いていて、同世代のメンゲルベルクの演奏が頭をよぎった。こってりこってりがこの時代の要請であったのだろう。そういう意味では現代の聴衆にとっては少しヘビーではある。



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by kirakuossan | 2016-06-27 18:27 | 指揮者100選(完) | Trackback

指揮者100選☆92 小澤征爾

2016年6月21日(火)
d0170835_13313746.jpg小澤征爾(1935~)は2002年から2010年のシーズンにかけてウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は常任指揮者を持たないので、実質歌劇場の音楽監督(楽長)がその地位にあるに等しい。彼の前任はクラウディオ・アバドが6年間勤めたし、後任は小澤との入れ替えでフランツ・ウェルザー=メストが就任したが4年で終わり、現在は空席である。日本人指揮者がこのような重責を8年もの長きにわたり担ったということは先にはもちろんないし、これからもあとに出るかどうかはわからない。それぐらいの偉業であるが、ただ一度だけ最初の年である2002年にニューイヤーコンサートを指揮するという栄誉を得たが、正直このコンサートでの指揮ぶりは今ひとつであった。これも当時演奏の出来に置いて賛否両論あったが、ここで感じたのは、やはり小澤がいくら努力し、経験を重ねても日本人の身体の隅々までウインナワルツの真髄が100%浸透するのは所詮不可能なような思いがした。

彼はトロント交響楽団首席指揮者(1965~69)に始まり、サンフランシスコ交響楽団音楽監督(1970~77)、ボストン交響楽団常任指揮者(1973~2002)と華やかな指揮者活動を運よく歩んできた。とくにボストン響との30年に及ぶ演奏活動は彼の指揮者活動の根幹をなす。
恩師として斉藤秀雄に始まり、シャルル・ミュンシュ、ヘルベルト・フォン・カラヤン、そしてレナード・バーンスタインと60年~70年代に一世を風靡した大巨匠に接する機会を持てたのも大きな幸運であった。

僕は斉藤先生にしぼられてからフランスに行ったでしょう。プザンソンの国際指揮者コンクールに優勝してミュンシュに会ったわけ。ミュンシュは長い棒を持ってリラックスしてサーっとやるのね。それをパリのシャンゼリゼ劇場ではじめて見てね、なるほど指揮者にはこんな芸当ができるのかと思ったんですよ。あのくらいびっくりしたことはなかったね。~
その後カラヤン先生の弟子になるためのテストにも受かって半年間教えられたの。カラヤン先生は内的でね。棒なんかどうでもいいというようなことを言うわけよ、本当に。僕が立っている指揮台の真下の椅子に腰掛けて、背後から睨むようにして、シベリウスのシンフォニーの終り、ターリーラー、ラーリーラーがあるでしょう。僕が一生懸命に振っていると「セイジ!振りすぎる」棒なんかどうでもいい、流れがあればいい。精神が終りまで持続すればいい、じーっと立っていればいい、そういう禅問答みたいなことを半年間ぐらいやられたんだよ。彼からは手の動かし方、スコアの読み方は勿論、音楽のキャラクターの作り方を教えられた。そして演奏を盛り上がらせるには、演奏家の立場よりも聴衆の心理状態になれ、理性的に少しずつ盛り上げてゆき、最後の土壇場に来たら、全精神と肉体をぶっつけろ!そうすれば客もオーケストラも自分自身も満足する、ということを教えられた。

カラヤンの教えは、それこそいかにもカラヤンらしいところが見えて微笑ましいが、でもここでカラヤンが言う「セイジ!振りすぎる」「じーっと立っていればいい」というところはまさにその指摘通りであって、小澤征爾の指揮を見ていると、というより日本人指揮者のほとんどが振りすぎてしまう。先のニューイヤーコンサートの印象のように、どうしても動き過ぎるからかえって聴衆はしらけるのである。

☆演奏スタイルは・・・
直截的で明確な指揮をする。一方では感情移入が過剰とも思えるところもあるが、これがこの人の一生懸命さであり、音楽に対する真摯な取り組みの表れなのだろう。

☆録音は・・・
古典派からロマン派、さらには現代音楽と器用にこなし、録音数は膨大なものである。最近ではとくにサイトウキネンオーケストラでの名演が多い。ただ、これが「小澤だ!」「小澤といえば、これだ!」という脱帽するほどの名盤がまだ見当たらないような気がする。

武満徹:
弦楽のためのレクイエム
サイトウ・キネン・オーケストラ
小澤征爾(指揮)

☆私見・・・
80歳を越えた小澤征爾、最近とみにTVで見る機会が増えたし、話題も活発である。まだ生演奏を一度も観ていない。近いうちに松本の音楽祭でも観に行こうと思う。
(追記:松本での8月19日、22日どちらの公演もチケットはとっくに売り切れ)

Myライブラリーより・・・
d0170835_1452810.jpg昔、鉄ちゃんがヨーロッパかアメリカへ旅行に行った時の土産として向こうで買ってきてくれたレコードが2枚ある。1枚はサンフランシスコ響とのベートーヴェンの「英雄」、もう一枚は、パリ管とのチャイコフスキーのバレエ音楽だ。
どちらも小澤征爾が若い頃のもので70年代中葉の録音である。
久々に針を置いた。


追記:
2016年6月24日(金)
思い出したが土産のレコードは「英雄」と、もう一枚はベームのシューベルト第6番だった。




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by kirakuossan | 2016-06-21 13:27 | 指揮者100選(完) | Trackback

信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。


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