信州の名峰蓼科山麓の女神湖近くの山荘"tutti”は標高1650mにある。これほどの高地にある別荘は日本でもそう多くはない。だから平地とは気温が10℃も違うのです。
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d0170835_9203688.jpg琵琶湖周航の歌100周年
https://youtu.be/lS6GWfXlWYQ
惜別の歌(中央大学学生歌)
https://youtu.be/Cw0Gpv_kgWY
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2017年 08月 09日

ありそうでなかった演奏

2017年8月9日(水)


d0170835_06062417.jpg
バッハの無伴奏チェロ組曲。この曲を管弦楽で演奏するのは聴くことが時折あるが、フルートの独奏は珍しい。しかしよく考えれば、フルート独特のこの澄み切った音色は、この曲想にピッタリ合うではないのか。なぜ今まで気がつかなかったのか、ありそうでなかった演奏である。

バッハ:
フルート編・無伴奏チェロ組曲第1番~第3番 (工藤重典フルート編)
工藤重典 - Shigenori Kudo (フルート)
録音: 9-10 November 2016, Nanso Bunka Hall, Chiba, Japan







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「車輪」とは、少年を押しつぶす社会の仕組みである。


2015年1月15日(木)

午後二時に教室に行くと、受け持ちの先生が先に来ていた。
「ハンス・ギーベンラート」と、先生は大声で呼んだ。
ハンスは前に進み出た。先生は手を出した。
「おめでとう。ギーベンラート。おまえは州の試験に二番で通ったんだよ
教室はしいんと静まりかえった。ドアが開いた。校長先生がはいって来た。
「おめでとう。さあ、なんとかいわないかい?」
少年は、意外さと、うれしさにまったくこわばっていた。


大きなキルヒベルクのボダイ樹はおそい午後のあつい陽光をうけて弱々しげに輝いていた。市のたつ広場では二つの大きな噴泉が音をたてながらきらきらと光っていた。不規則な屋なみの線の上に、近くの青黒いモミの山がのぞきこんでいた。少年は、そんなものをみんなもう長いあいだ見なかったような気がした。なにもかもが非常に美しく魅惑的に思われた。


雪におおわれた森の真ん中にある小さい駅で、みんなは厳しい寒さにふるえながら汽車を待った。みんなはいまだかつてこれほど一つの心に楽しくうちとけあったことはなかった。ハイルナーだけはひとりぽっちで黙っており、汽車が来ると、仲間の乗りこむのを待って、ひとり別な車に乗った。つぎの駅で乗り換えるとき、ハンスはもう一度彼を見たが、恥ずかしさと悔いとの瞬間的な愛情はたちまち帰省の興奮と喜びの中に消えてしまった。


小さな旅行ぶくろをもって旅立って行く神学校生徒のうしろに、会堂や門や破風や塔のある修道院が隠れ、森や丘陵が沈み、そのかわりにバーデン州の国境の豊かに果樹のはえている草原が浮んで来た。それからプフォルツハイムの町が現われ、そのすぐうしろに、シュヴァルツヴァルトの青黒いモミの山が始まった。そのあいだを縫って無数の谷川が流れていた。暑く照りつける夏の日を受けて、モミの山はいつもより一段と青く涼しそうで、豊かな日かげを思わせた。少年は、変って来るとともにますます故郷の気配が濃くなってくるけしきをながめて、楽しい気持になったが、故郷の町に近づいて、父親のことが心に浮ぶと、どんな迎えられ方をするだろうかという苦しい不安が、ささやかな旅の喜びをめちゃめちゃにしてしまった。


ああ、われはいたく疲れたり。
ああ、われはいたく弱りたり。
さいふに一銭だになく、
懐中無銭なり。



総じて―そのころは万事が違っていた。ずっと美しく、ずっと愉快で、ずっと生き生きとしていた。久しいあいだ彼はラテン語や歴史やギリシャ語や試験や神学校や頭痛のことしか知らなかった。だが、あのころは、おとぎ話の本や盗賊の話を書いた本があった。あのころは、小さい庭で手製のきねつき水車がまわっていた。~
それから一年じゅう毎月なにかしら楽しみがあった。刈り草ほしとか、ウマゴヤシ刈りとか、最初の魚釣りや川エビ捕りとか、ホップ取り入れとか、スモモ落しとか、ジャガイモの茎や葉を焼く火とか、麦打ちの始まりとか、そしてそのあいだになお番外にうれしい日曜や祭日が楽しく待たれた。あのころはそのほかに、不思議な魅力で彼をひきつけるものがたくさんあった。家や小路や階段や穀倉の土間や井戸やかきねやさまざまの人間や動物を、彼は愛しなじんでいた。あるいはそれらのものはなんともいえない力で彼を誘った。ホップを摘むときは彼も手伝い、大きい娘たちが歌うのに耳を傾けた。そしてその歌の中の文句を覚えた。たいていのはふきだすほどおどけた文句だったが、中には、聞いていると、のどがつまるほど、きわだって悲しいものもいくつかあった。
そういういろいろなものがいつのまにか影をひそめて、おしまいになってしまった。


ハンスは二、三度「タカ」小路を訪れた。そこには昔ながらの薄明と悪臭と、昔ながらの小さいへやと光のささぬ階段とがあった。戸の前に年老いた男や女がいまもこしかけていた。淡い金髪のきたない子どもたちがわめきながらかけまわっていた。機械工のポルシュは一段と年を取り、もはやハンスを忘れていた。ハンスの内気なあいさつに対しても、あざけるような震え声で答えただけだった。ガリバルディと呼ばれたグロースヨハンは死んでいた。ロッテ・フローミュラーも同様だった。郵便配達夫レッテラーはまだ生きていた。彼は小僧たちが彼の音楽入り時計をこわしてしまったと、こぼした。彼はハンスにかぎタバコをすすめ、さてそれから物をねだろうとした。最後にフィンケンバイン兄弟の話をした。ひとりはいまタバコ工場にはいっているが、もうおとなのように大酒を飲むそうだ。もうひとりのほうは大市の刃傷ざたののち逃亡して、一年前からいなくなっているそうだ。すべてが悲惨なあわれむべき印象を与えた。
ハンスは、暗い玄関をぬけてそっと引き返し、家に帰った。彼はやはりもう二度と子どもにはなれないこと、夕方皮なめし場でリーゼのそばにこしかけることのできないことを感じた。彼は皮なめし工場も「タカ」小路も避けるようにした。


そのときから彼はほとんど一言も口をきかず、娘のまなざしを避けた。そのかわり彼女がよそを向くと、彼は、まだ味わったことのない快感とやましい良心とのまざった気持ちで、じっと彼女を見つめた。そのとき、彼の心の中であるものが断ち切れた。そしてはるかな青い海岸のある異様な魅力をもった新しい国が彼の心の前に開けた。その不安と甘い苦悩とがなにを意味するか、彼にはまだわからなかった。せいぜいほのかに感ずるだけだった。自分の中の苦痛と快感とは、どちらが大きいかも知らなかった。


機械工の仕事場にはいるべき金曜日が近づいた。父親はハンスに青い麻の服と青い半毛の帽子を買ってやった。ハンスはそれを着てみた。鍛冶屋の服を着ると、彼は別人のように、かなりこっけいな気がした。学校や校長先生と数学の先生の住居やフライクの仕事場や牧師さんの家のそばを通り過ぎるときは、みじめな気持になった。あれほどの苦しみも、勉強も汗も、あれほど身をうちこんだささやかな喜びも、あの誇りも功名心も、希望にはずんだ夢想、なにもかもむだになり、結局、すべての仲間より遅れ、みんなから笑われながら、いまごろいちばんびりの弟子になって仕事場にはいるというのが、けりだった。


昼間になってから彼は発見されて、家へ運ばれた。驚いた父親はつえをわきに置き、積もり積もった憤りを放棄せねばならなかった。彼は泣きもせず、苦痛をほとんど顔にも出さなかったが、あくる晩も寝ずに、ときどき戸のすきまから、ものをいわなくなった子どものほうを見た。清い寝床に横たわっている子どもは相変わらず、美しい額と青白い利口そうな顔をして、なにか特別なもので、ほかの人とは違った運命を持つ生来の権利があるかのように見えた。




『車輪の下』
ヘルマン・ヘッセ
高橋健二訳
(新潮文庫)
周りの人々から期待され、その期待に踏み潰されてしまった少年の姿を描くヘッセの自伝的小説である。
主人公のハンスは、周りに誰も支えてくれる人がなく、機械工となり出直そうとするが、挫折感と、劣等感から自暴自棄となり、慣れない酒に酔って川に落ちて溺死してしまう。
d0170835_23374963.jpg著者ヘッセもまた、少年時代の神学校在学時に、詩人なりたさのあまりに悩み、ノイローゼに陥いる。神学校を退学し、精神療養をして、やがて別の高校に転校するも退学、本屋の見習いとなるが、三日目で消息を絶ってしまった。でもヘッセには母親がいた。その存在があったおかげで、彼は立ち直ることが出来た。ハンスとヘッセとの違いである。

ヘルマン・ヘッセ(1877~1962)ドイツの作家



今日はヘルマン・ヘッセ55回目の命日である。




by kirakuossan | 2017-08-09 05:51 | クラシック | Trackback
2017年 08月 03日

「9月9日会うのが楽しみです。また続きメールします」

2017年8月3日(木)

元気みたいだね。
暑くて倒れそうだ。倒れないけど。
今日の新聞にクラシック音楽名演名盤という記事があったので添付しました。


松井くんが、日経新聞の昨日の夕刊から「クラシック名曲・名盤」(福島章恭・文)の記事のコピーをメールしてきてくれた。
さっそく記事を読んで、順次NMLで聴いている。



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d0170835_14575351.jpgベートーヴェン:
ボストン交響楽団 - Boston Symphony Orchestra
ピエール・モントゥー - Pierre Monteux
(指揮)録音: 1 December 1963, Boston, United States


ここでは記事にあるような87歳での第九の演奏ではないけれど、ピエール・モントゥー88歳、亡くなる前年のベートーヴェンのライブである。たしかに「奇を衒ったところがまるでない」、そんな演奏である。



ベートーヴェン:
リン・ドーソン - Lynne Dawson (ソプラノ)ヤルト・ファン・ネス - Jard Van Nes (コントラルト)アンソニー・ロルフ=ジョンソン - Anthony Rolfe-Johnson (テノール)アイケ・ヴィルjム・シュルテ - Eike Wilm Schulte (バリトン)グルベンキアン合唱団 - Gulbenkian Choir
18世紀オーケストラ - Orchestra of the 18th Century
フランス・ブリュッヘン - Frans Brüggen (指揮)


フランス・ブリュッヘン指揮の18世紀オーケストラのベートーヴェン演奏、当時一世を風靡したのを昨日のように思い出す。今聴き直してみて、やはりこれも基本に忠実で、オーソドックスな演奏であるのがよくわかる。


そしてハイジお爺さんのベートーヴェン。「一点の隙も見せず堅牢なベートーヴェン演奏の内側には、温かな血が流れ、音楽と人生への感謝が宿っている。これぞまさに究極の愛の形と呼べるだろう」
20年前、放映された来日中のギュンター・ヴァントの指揮姿を突然目にして、小生の長年中断していたクラシック熱を再び呼び覚ましてくれるきっかけとなった、そんな恩人でもある。

ベートーヴェン:
ベルリン・ドイツ交響楽団 - Deutsches Symphonie-Orchester Berlin
ギュンター・ヴァント - Gunter Wand (指揮)
(1992年)
ここでは北ドイツ放送響ではなく、ベルリン・ドイツ響とのものであるが、ここでも80歳とは思えない、溌剌とした、ベートーヴェンが聴ける。




9月9日会うのが楽しみです。また続きメールします。



もう新聞を取っていないので助かります。。。



by kirakuossan | 2017-08-03 14:35 | クラシック | Trackback
2017年 07月 21日

カリスマ指揮者とは?

2017年7月21日(金)

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再考・古今東西のカリスマ指揮者

佐伯茂樹/相場ひろ/青澤唯夫/池田卓夫/奥田佳道/國土潤一/嶋田邦彦/高山直也/寺西基之/寺西肇/東条碩夫/戸部亮/那須田務/舩木篤也/平野昭/満津岡信育/山崎浩太郎/山田治生


過去・現代の音楽界において〝カリスマ〟と呼ばれる指揮者たちを俯瞰。彼らの芸風、レパートリーなどを紹介するとともに、〝職業としての指揮者〟の起源にまでさかのぼり、〝カリスマ指揮者〟について様々な角度から考える。


今月号の雑誌「音楽の友」で、カリスマ指揮者”私的ベスト1”というのを特集している。昨今のこういった企画はほとんど決まりきったことか、また受けを狙ったものが多く、内容的には乏しいものが多い。今月号の企画もやはりそれに近い類だったが・・・

「18人の音楽記者、音楽評論家の皆さんに独断と偏見で世界のカリスマ指揮者の中から現在、往年の”私的ベスト1”をそれぞれ選んでいただき、その選定理由と”カリスマ指揮者”の何たるかについても自由にお書き頂きました」
とあるのでここでも素人クラシックおたくの一人が思いきし独断と偏見で述べてみたい。


まず最初にここに挙がる顔ぶれの何と小粒さよ。これだけ見ても多くを期待するのは無理なのがわかる。(一部例外の方もいらっしゃるが)
それに次に驚いたのは、「現在」のカリスマ指揮者として、ヴァレリー・ゲルギエフを名指ししたのが3人もいた。ゲルギレフはただ”カリスマ”ぶっているだけである。カリスマ性と言うのは見た目も大切で、彼の場合は他の指揮者にない、ただむさくるしいだけの風貌を、カリスマと取り違えているのではないだろうか。音楽性に至ってはもうひとつ何が言いたいのか不明瞭である。この不明瞭さもカリスマと勘違いする原因だろう。
「精力絶倫のエネルギーが凄い。無免許運転みたいなところもあるが」(青澤唯夫)「ソ連崩壊後の新生ロシアを基盤に展開してきたゲルギエフの軌跡は”カリスマの末裔”だ」(國土潤一)「新しいか歌劇場と演奏会場とを続けざまに建てさせてしまった牽引力の凄さたるや、まさにカリスマ的と言っていいのでは?」(東条碩夫)
みなひどい幻想だが、まだ3番目が一理あるか、でも指揮者は実業家ではないのだし、そんな指揮者はカラヤンひとりでもう十分なのだが・・・「精力絶倫」「カリスマの末裔」には吃驚した。
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方や、アンドレア・バッティストーニを思い切って挙げていたのが二人いたが、これには敬意を評する。https://youtu.be/RJER5bZx3no
「深い譜読みと歌手&オーケストラの完全な掌握、シンフォニーのレパートリーにも放たれる強いオーラなどで客席を熱狂に陥れる。この条件を満たしているのは今年30歳の東フィル首席指揮者、バッティストーニである」(池田卓夫)「将来への期待も込めてここでは一応バッティストーニを挙げておく」(寺西基之)
池田卓夫氏の説明は簡潔で的を得ている。カリスマ性には”オーラー”の存在は絶体に欠かせない。小林研一郎や井上道義を挙げているのは御愛嬌にしても、フランツ・ヴェルザー=メストやチョン・ミョンフンなどを挙げている御仁がいるのはどうも理解できない。ただ好きな指揮者を挙げたに過ぎないのではないだろうか。ひとり舩木篤也氏が「現在」のカリスマ指揮者は「該当なし」としている。これがまさに正解かも知れない。

「過去」のカリスマ指揮者も評が分かれたが、納得性は「現在」より高かった。
ヘルベルト・フォン・カラヤン、カルロス・クライバー、ニコラウス・アーノンクール、ギュンター・ヴァントをそれぞれ2人づつが挙げ、レナード・バーンスタイン、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、アルトゥー・トスカニーニ、オットー・クレンペラー、エフゲニー・ムラヴィンスキーなど。なかにはヘルマン・シェルヘンを挙げた変わり種も見られたが、さらには知らない名だったが、カルル・チェリウスという往年の京響創設時の音楽監督の名も見えた。
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カリスマ指揮者というのは、聴衆を魅了するバトンテクニックと音楽性、オーケストラの統率力に加えて楽団員からは畏敬の念を持たれる存在、そこには不思議なオーラーが発散される。
そこで私のカリスマ指揮者といえば、
「現在」・・・残念ながら存在せず。
「過去」・・・カルロス・クライバー https://youtu.be/oCl9cO_WfrU




余録:

池田卓夫氏
日経電子版に多く投稿している音楽ジャーナリスト。東京都出身、早稲田大学政治経済学部卒業後、日本経済新聞社勤務。経済畑のフランクフルト支局長などを経て文化部へ移り、長く音楽担当の編集委員を務めた。過去に日経ホール、紀尾井ホール等で音楽イベントをプロデュースする。エンジン01文化戦略会議メンバーのひとりでもある。2年前のベルリン・フィルの次期首席指揮者のペトレンコが選出された際、いち早く詳細な情報を日経電子版で流した。この人の評論は筋金入りである。



by kirakuossan | 2017-07-21 08:18 | クラシック | Trackback
2017年 07月 15日

姉妹のリスト演奏

2017年7月15日(土)


リスト
モナ=飛鳥・オット - Mona Asuka (ピアノ)
録音: 9-11 March 2017, Bavaria Musikstudios, München
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モナ=飛鳥・オットのディスクが1枚、NMLから配信された。シューベルトとリストのピアノ作品集だが、姉のアリス=紗良・オットのピアノとは幾分違うように感じ取れた。リストの巡礼の年の一部を聴いてみたが、一つ一つのタッチが明確で力強いが、フォルテがまだ直線的で未熟な気がした。
また先のシューベルトの4つの即興曲などは、強いタッチが先に立ち、ピアニシモの洗練さがもう少し欲しい。好みで言うならやはりアリスの方だ。

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リストFranz Liszt (1811-1886)
アリス=紗良・オット - Alice Sara Ott (ピアノ)
録音: June 2008, Friedrich-Ebert-Halle, Hamburg, Germany

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by kirakuossan | 2017-07-15 20:37 | クラシック | Trackback
2017年 07月 14日

ベームのモーツァルトが聴きたくなって・・・

2017年7月14日(金)

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なぜか朝からベームのモーツァルトが聴きたくなって・・・


d0170835_07283060.jpgモーツァルト:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 - Berlin Philharmonic Orchestra
カール・ベーム - Karl Böhm (指揮)


ベルリン・フィルとのモーツァルトのセッション録音は、1960年代、9年の歳月を経て全集として完結した名盤。




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どこかの飼い猫がベランダでうずくまりクマザサの方をうかがっています。別にモーツァルトを聴きに来た様子でもなさそうで、ここから飛び下りようか、どうしようか、せんど思案、こちらが近づいても気にせずに神経を集中させておりました。
おかげでかみさん、前から気にかかっていた台所ガラス戸のくもりを外側から掃除してよく見えるようになりました。

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by kirakuossan | 2017-07-14 07:27 | クラシック | Trackback
2017年 07月 11日

トスカニーニのワーグナー

2017年7月11日(火)
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今年はイタリアの大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(Arturo Toscanini, 1867~1957)の生誕150年、没60年の年にあたる。

戦後、トスカニーニは何度かスカラ座のオーケストラを指揮している。その最後の機会となったのが1952年9月19日のワーグナー・コンサート。曲毎に観客の熱狂的な反応もそのまま収録されていて生々しい。まるで当日のラジオ放送を聞いているような気分にさせてくれる。というより、録音状態はあまりにも粗悪なため、ひょっとしてこのディスク、ラジオ放送からの音源かも知れない?
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トスカニーニの4枚入りのCDでちょうどこの演奏を収録したものがtuttiの書棚にあったので、温泉へ行く往復の車で聴いてみた。やはりとても聴くに堪え難い音質であるが、演奏そのものの水準の高さは何とか辛うじて伝わって来るようである。

そもそも、フルトヴェングラーといい、トスカニーニといい、彼らの演奏を好んで聴こうとしないのは、この録音状態の悪さにも起因している。もちろんモノ録音であるが、とくにトスカニーニの演奏は音質が堅く、しかもあの独特の快速演奏だけに、じっくりと耳を傾けようという心境にはあまりならないのである。
フルトヴェングラーの最後の収録は、ウィーン・フィル とのベートーヴェン第5番とワーグナーの「ワルキューレ」全曲のスタジオ録音で彼が亡くなる1954年3月ころとされる。一方のトスカニーニも、1952年のこのスカラ座でのお別れ演奏会、そして1954年4月4日のカーネギー・ホールでのNBC響との演奏会が最後の演奏となるが、犬猿の間柄でもあったこの二人は奇しくも同時期に指揮者人生の幕を閉じたことになる。そしてそれはまさしくステレオ録音前夜でもあった。

ただ前にも記事に書いたが、トスカニーニの演奏でステレオ前夜の1954年にもかかわらず、唯一当時のステレオ実験録音の音源があった。トスカニーニの演奏が正真正銘のステレオで聴ける貴重なもので、チャイコフスキーの「悲愴」と、それにワーグナーの幾つかの管弦楽作品である。
そんなわけで、昼聞いたワーグナーを、夜もう一度、今度はステレオ録音で聴き直している。
「タンホイザー」が好い。


歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 - 第1幕 前奏曲
5.

Die Meistersinger von Nurnberg, Act I: Prelude


歌劇「タンホイザー」 - 序曲 - バッカナール(ヴェヌスベルクの音楽)

4.

Tannhauser: Overture - Bacchanale (Venusberg Music)


  • NBC交響楽団 - NBC Symphony Orchestra
  • アルトゥーロ・トスカニーニ - Arturo Toscanini (指揮)
  • 録音: 04 April 1954, Live Recording, New York.



by kirakuossan | 2017-07-11 21:42 | クラシック | Trackback