2018年 02月 20日
第九伝説 その6 ドヴォルザークの9番 |
2018年2月20日(火)
チェコ国民楽派を代表する作曲家アントニーン・ドヴォルザーク(1841~1904)が最初の交響曲を書いたのは、1865年、24歳の時で、1番、2番と続けて書き上げた。その後、32歳になってから、3番から5番まで毎年1曲ずつを作曲し、30歳代最後の年に6番を作った。最初の2曲を書いた同じ年に、音楽教師を通して知った女性に失恋、それに基づいて歌曲「糸杉」を作曲、こちらの方は初期の作品として有名になった。
1884年、ロンドン・フィルハーモニック協会の招きでイギリスを訪問するが、大歓迎を受け、協会の名誉会員に推薦されるとともに新作交響曲の依頼を受ける。これに応えて作曲されたのが交響曲第7番である。6番から4年の時をおいて作られたこの曲は明らかに今までのものとは違った。本人も言うように、初めて「本格的な交響曲」が誕生したのである。つづく第8番は、さらに進化し、”ドボ八”の愛称で呼ばれ、人気のあるシンフォニーであるが、従来のチェコの出版会社からロンドンのノヴェロ社へ出版会社を変更、このことからこの交響曲に「イギリス」という標題がつくこともあったが、最近ではほとんどなくなった。曲想からして、「イギリス」というよりどちらかといえば「ボヘミア」という方が相応しい。
1891年、50歳の春、突然ニューヨーク・ナショナル音楽院の創立者・理事長ジャネット・サーバーからドヴォルザークに音楽院院長職への就任依頼が届く。最初は断りを入れるが、高報酬と理事長の熱心な勧誘で渡米を決意する。アメリカでも大歓迎を受けたドヴォルザークは作曲にも専心、「テ・デウム」に続き、いよいよ最大の名曲を書くことになる。
ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」 Op. 95
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 - Czech Philharmonic Orchestra
完成度の極めて高いベートーヴェンの全9曲の交響曲は別格として、たとえばブルックナーの9曲の交響曲のなかではどれが優れているか、楽曲としての水準、あるいは人気からしてやはり後期の7番、8番、9番が挙げられるだろう。一方、マーラーについてはもちろん4番や5番がいいが、最初の方の、1番、2番、3番も捨てがたい。逆に、後半の7番以降の作品が、ぼくにとっては理解しがたい作品群である。でもこの二人の作品についてはやはり聴く人によって好き好きがあって一概には言えないだろうということになってしまう。
しかし、ドヴォルザークも同じように9曲を残したが、これはもう万人が認めるところであって、誰もが後期の3曲を挙げるだろう。玄人好みする7番、聴くたびに新鮮な感じを抱かせる軽快な8番、そして永遠の名曲9番「新世界から」、この3曲は素晴らしい出来なのに、1番から6番までの前6曲があまりにも退屈な作品といえるのではないか。ドヴォルザークは交響曲に関しては書き進めていくなかで徐々に成長していったのではないか。
交響曲第1番 ハ短調 作品3、B.9 「ズロニツェの鐘」1865年
交響曲第2番 変ロ長調 作品4、B.12 1865年
交響曲第3番 変ホ長調 作品10、B.34 1873年
交響曲第4番 ニ短調 作品13、B.41 1874年
交響曲第5番 ヘ長調 作品76、B.54 1875年
交響曲第6番 ニ長調 作品60、B.112 1880年
交響曲第7番 ニ短調 作品70、B.141 1884~85年
交響曲第8番 ト長調 作品88、B.163 1889年
交響曲第9番 ホ短調 作品95、B.178「新世界より」1893年
今またこれを書くにあたって1番から順に聴き直しているが、明らかに3番以降から成長の跡が見られるが、でも繰返しの旋律が多く退屈な楽曲には変わりなく、ようやく第5番あたりから彼独自の色合いが感じられるようになってくる。第二楽章の”スラブ風の牧歌的な作風”とでも言おうか、明らかに今までとはずいぶんと違った印象を受ける。その延長線上に第6番が成り立っていると思われる。ここでもよく言われるブラームスの影響とされるが、6番の最終楽章など、オーケストレーションの今一歩の未熟さなど、むしろシューマンの色彩の方が強いように思う。
交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」 Op. 95 は、1893年1月に着手、5月に完成を見る。この曲も以前は出版順により第5番と呼ばれていたが、その後の番号整理で、今では第9番で統一されている。渡米は思い以上の好結果を生むことになった。それは弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」、チェロ協奏曲、そしてこの「新世界」交響曲と、彼の三大名曲がいずれもこの異国の地で生まれることになる。もうこの曲に関してはとやかく言う必要はないだろう。
ドヴォルザーク:交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」 Op. 95
録音: 6 September 1989, Rudolfinum Studio, Prague, Czech Republic
by kirakuossan
| 2018-02-20 08:40
| クラシック
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