2018年 01月 09日
センバツ、90年の節目を迎えて。。。⑤ 地方大会に優勝しながらも甲子園切符は届けられなかった。 |
2018年1月9日(火)
第90回記念選抜高校野球大会
こぼれ話 その2
1924年の第1回選抜中等学校野球大会の開幕試合に登場した立命館中学は、それまでに夏の全国中等学校優勝野球大会には1922年(8回大会)23年(9回大会)と連続して出場している。後に立命館高校と名を変え、戦後に2回目の選抜大会に顔を見せるのは30年後の第26回大会である。この年には出場校も増え、北海道・東北(1校)関東(2校)中部(4校)近畿(7校)中国(1校)四国(2校)九州(2校)計19校が甲子園の土を踏んだ。
こうして北は北海道・東北、南は九州まで日本全国から集うようになったのは、1952年の第24回大会からである。当時から各地の秋季大会で好成績を収めたチームが選抜されたが、西日本を中心に、関東、中部に限られ、北海道、東北は出場機会がなかった。
立命館が2回目の出場を果たした第26回大会で中部地区からの出場4校に長野県代表の初出場飯田長姫高が含まれていた。この時、飯田長姫高は前年秋の北信越地区大会決勝で富山の滑川高を3-2で下し、全国大会に選ばれた。同じ中部地区から選出された中京商(愛知)や浜松商(静岡)の優勝候補の強豪チームとは違い、全く無名の山国の高校であった。それがこともあろうに、緒戦で浪華商(大阪)に1-0、準々決勝で高知商(高知)に2-1、準決勝で熊本工(熊本)6-0、と強豪チームを撃破して決勝戦まで勝ち進んだ。そしてエース光沢毅擁する無名校は決勝でも小倉(福岡)を1-0で完封、初出場で初優勝を遂げる。当時から長野県では松本商業(のちの松商学園)が強豪チームで、夏の大会には何度も出場して知名度はあったが、この飯田長姫高の優勝は全国の高校野球ファンを驚かせた。
前年の秋季大会の優勝チームが翌春の選抜大会に出場することは当たり前になっているが、ところが、秋季大会で優勝しながらも甲子園に出られなかった学校があった。
長野北高(現・長野高)である。
1949年秋の北信越大会で長野北は同じ長野の松商学園に6-5で勝利し、優勝を飾る。しかし、翌春の第22回選抜大会(1950)には、中部からは長良(岐阜)韮山(静岡)瑞陵(愛知)の3校が選ばれ、選から漏れる。そしてその次の北信越大会でも新発田(新潟)を2-0で下し連続優勝する。だが、また翌春の第23回選抜大会(1951)でも出場枠は与えられなかった。そして、その翌年の第24回大会(1952)では、前年の北信越大会を制した松商学園が晴れて出場となる。
どうしてか気の毒に、この長野北高には北信越大会に2回優勝しながらもどちらも春の甲子園切符は届けられなかったのである。飯田長姫高が全国制覇したのはその3年後のことであった。
そしてようやく31年後の1982年、長野北高は第54回選抜高等学校野球大会に長野高校と校名を変え、初出場となる。つづく・・・
by kirakuossan
| 2018-01-09 21:33
| スポーツ
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