2015年9月28日(月)ベルナルト・ハイティンク指揮ロンドン交響楽団によるブルックナー交響曲第7番ホ長調(ノヴァーク版)の演奏会がいよいよ今週末に迫ってきた。なんといってもブルックナーが楽しみで、実は一日二日前から手持ちの第7番のディスクを順番に聴いているが、ここでブルックナーの交響曲第7番について整理しておこう。
ブルックナーは最初難しくて敬遠しがちである。でもどうしても聴く価値のある音楽にちがいない、しかもマーラーにも少し飽いてもきたし・・・と無理矢理に詰め込むようにブルックナー音楽に手を染めだす。僕もそうだったが、最初は何となく「ロマンチック」という表題につられて第4番から聞き始めるものだ。でもどうも退屈な音楽だ、”霧の中に彷徨う”ような、どこがいいのだろう? そうこうして何度かチャレンジしては挫折し、また気を取り直して聞くといったことがしばらく続く。
ところが突如、目から鱗が・・・とでもいうのか、今まで覆っていたベールが取り払われて方向感覚が鮮やかに浮かび上がる瞬間を迎えるのである。「アッこれだ!」と感じる時を迎えるのである。それはブルックナーに目覚める人はたいがいが第7番を耳にしてだと思う。僕の場合もそうであった。道程は長かったがここまでたどり着くともうしめたもので、あとは第8番、第9番と聴き続け、気が付けばすっかり”ブルックナー音楽の虜”化している自分を発見するのである。
ところでなぜ第7番を聴いて目覚めるかだが、それは男性的なごつごつとしたイメージを抱くブルックナーのシンフォニーにあって、この第7番は比較的穏やかで、美しい旋律に魅了される音楽だからだろう。5番や6番、あるいは8番と比べて柔らかい印象を描く。そのあたりがブルックナー音楽の入門者にはピタリとはまるのであろう。
自筆稿・資料の解釈の相違から、初版・ハース版・ノヴァーク版の間で相違を見せる箇所がいくつかある、そんな
「交響曲第7番ホ長調」だが、多くのエピソードにも包まれた魅力ある交響曲でもあるのだ。
第6番の完成後すぐ、1881年9月末から第1楽章の作曲が開始された。この交響曲で最も美しく、特徴ある第2楽章Adagio.の執筆をしている頃、ブルックナーが最も敬愛してきたリヒャルト・ワーグナーが危篤状態にあり、ブルックナーは「ワーグナーの死を予感しながら」書き進めたとされる。そして1883年2月13日にワーグナーが死去すると、この楽章にコーダを付加し、第184小節以下をワーグナーのための「葬送音楽」と呼ぶようにした。やがて第2楽章は4月21日に書き上げられ、1883年9月5日に全4楽章が完成する。
「葬送音楽」は第2楽章の第184小節、終結3分前ほどから始まるが、4本のワグナーチューバが厳粛な音楽を奏で、最後は消えいるように静かに締めくくられる。
1896年10月、ブルックナーの葬儀の際、このAdagio楽章がホルン四重奏に編曲されて演奏された。
第7番では、1989年4月にウィーン・フィルを振ったヘルベルト・フォン・カラヤンの最後の録音として名高い演奏があるが、ベルリン・フィルとの確執も忘れて伸び伸びしたのか溌剌とした演奏ではあるが、音色が綺麗すぎて、かえってブルックナーからは遠ざかるような気がする。そこへ行くと、ブルックナーには定評のあるロヴロ・フォン・
マタチッチとチェコ・フィルの1967年のプラハ・芸術家の家での収録は聴かせる。チェコ・フィルの全盛期の響きが高音質で聴ける価値ある一枚である。
でもここで敢えて採りあげたいのは隠れたブルックナー指揮者とも呼ばれた(かもしれない?)
オイゲン・ヨッフムである。ギュンター・ヴァントに似て、最初は個性に乏しく地味で印象が薄く一流半の評価しか受けなかったが、晩年になってドイツ風の堅実な中にも懐の深さと実に暖かみに溢れた良い音楽を聴かせた。(相変らず地味ではあったが)
そんな彼が、84歳で逝去するその半年前、1986年9月にコンセルヘボウ管と来日して、人見記念講堂で披露した第7番は筆舌に尽くし難いほど素晴らしい。Adagio楽章での5~6分ほどしてから始まる弦に導かれたあの謳うような美しい旋律。。。もうこの世のものではない、まさに
ブルックナーの真髄に最も近づいた最高の音楽である。もうひとつここで感心するのは、昭和人見記念講堂の音響効果の素晴らしさだ。ノヴァーク版やハース版での違いが多く指摘される例の第2楽章・177小節で、シンバル、トライアングル、ティンパニが登場する箇所、そこにおけるトライアングルの音色が埋もれずにしっかりと収録されており、大きすぎず小さすぎず実に微かに響くところはまさに絶品である。
余談だが、ヨッフムは1961年から3年間アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団首席指揮者に就くが、その時、ベルナルト・ハイティンクとの共同による就任であった。その実は経験の浅いハイティンク(当時32歳)を補佐するために依頼されたものであった。ハイティンク、今では一流のブルックナー指揮者だが、もしかすればこの時にヨッフムから教わったのかもしれない。そのハイティンクもヨッフムの齢を超えた。その教わったブルックナー7番が今週末に聴けるのだ。