2017年 04月 19日
「大阪の宿」を読もうとして |
2017年4月19日(水)
そこでこの人の代表作である「大阪の宿」がどうしても読みたくなって本屋へ行くが、むかし岩波文庫で発刊していたが、今は勿論廃刊となっている。で、図書館で借りることにする。
「大阪の宿」は、水上氏が明治生命の創業者である阿部泰蔵の四男として生まれたこともあって、一時期明治生命に勤務、2年余の大阪勤務での思い出を題材にした小説である。筑摩書房の「現代日本文學全集」の第57巻に久保田万太郎と一緒に収められている。万太郎も好きな作家のひとりなのでこの二人が並んで読めるのはありがたい。
ところで、巻末に掲載されている解説書を読むことも楽しみの一つで、水上龍太郎は義弟にあたる小泉信三が、そして久保田万太郎については、これまた河上徹太郎が書いている。この文章がまた面白い。
井伏鱒二にいはせると、「久保田万太郎といふタイプは慶應にも早稲田にもない」のださうだ。さういへばさういふ御当人だって「早稲田にも慶應にもない」タイプに違ひない。しかもそれでゐて、一面早稲田的なものが井伏の風貌の隅々に見出せる。それと同じ意味で、仔細に見ると久保田さんには慶應ボーイの風格が打消すべくもなく現れてゐる。小柄の體をナポレオンのやうに胸を張って交詢社のロビーをせかせか歩き乍ら、電話をかけたり、人に会ったりしてゐる所は、江戸っ子であるよりは、「塾」を出た東京人である。今まで久保田さんは、餘りにも専ら浅草っ子として売れ過ぎてゐた。それは小説家としては滅びゆく浅草情緒を代表する最後の郷土作家であらう。然し人間としては、恬淡としてそんなものにこだはる人ではない。
親しい友人に聞いても、「未だ曾て愚痴をいふのを聞いたことがない」といふ。戦災に遭って、「五月二十四日早晩、極めて無事に罹災」と一知人に書き、その数時間後には、平気な顔をして、鞄一つ持って或る会合に出席してゐた、と別の知人は証言してゐる。古い情緒に未練がましく心中立てをしてばかりゐる人ではない。
その人柄は、あくまで通人とは反対の、当世風なハイカラな人であり、又野暮な人である。何しろ飯にはトンカツ、酒の肴には、かまぼこと玉子焼が好きな人だ。~
初めから話が脱線してしまった。そうだ、水上龍太郎の「大阪の宿」を読むのだった。
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by kirakuossan
| 2017-04-19 13:56
| 文芸
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