2017年 03月 06日
ピアニスト列伝―32 マリア・グリンベルク |
2017年3月6日(月)
マリア・グリンベルク( Maria Grinberg 1908~1978)
エリソ・ヴィルサラーゼが11月下旬に来日して新日本フィルとモーツァルト20番など3つの協奏曲コンサートを開くが、運よく中央の好い席のチケットが手に入った。彼女が気に入っている東京のすみだトリフォニーホールでの演奏会、今から楽しみにしているが、実はこのヴィルサラーゼが尊敬しているピアニストにマリア・グリンベルクがいる。
Wikipediaによると、「おそらく20世紀屈指のピアニストの一人であったが、ソ連時代のユダヤ人敵視の風潮から、継続的で安定した演奏活動を阻まれ、西側諸国ではほとんど無名のままだった」とあるが、このピアニストの存在をもっとも端的に言い著している。ソ連とイスラエル国の対立が高まるなか、ユダヤ系であった彼女が29歳のとき、夫と父親が「人民の敵」の烙印を押されて逮捕され、処刑されてしまう。そんな暗い過去を背負いながらも明るい性格が自分自身をささえ、やがて国内では引く手あまたのピアニストになる。やがてモスクワ音楽院の教授にも迎えられるが、チャイコフスキー国際コンクールの審査委員席に就くことはなく、彼女に対する扱いは生涯を通じて変わらなかった。スターリン没後に、ようやく国外での演奏旅行を認められるが、14回の外遊の12回までは東側諸国で、僅か2回、西側のオランダを訪れただけであった。
そんなグリンベルクの演奏に接する機会はごく稀であったが、幸い、1970年に発表したベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音集が遺されている。これは、ソ連のピアニストによる最初のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集という触れ込みで売り出されたものである。
今、「告別」を聴いているが、残念ながらモノ録音で決して良質な音源ではないが、その奥から聞こえてくるピアノは深刻ぶらず、自然で明るく、こころ優しいものである。こちらもマリアという名で、スターリンも一目置いたとされるマリア・ユージナ(1899~1970)と比較されるが、私はユージナのどこか冷徹な響きより、グリンベルクの音色の方が好きである。
ベートーヴェン:
ピアノ・ソナタ第26番 変ホ長調 「告別」 Op. 81a
マリア・グリンベルク - Maria Grinberg (ピアノ)
(録音: 1966, Moscow, Russia)
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エリソ・ヴィルサラーゼが11月下旬に来日して新日本フィルとモーツァルト20番など3つの協奏曲コンサートを開くが、運よく中央の好い席のチケットが手に入った。彼女が気に入っている東京のすみだトリフォニーホールでの演奏会、今から楽しみにしているが、実はこのヴィルサラーゼが尊敬しているピアニストにマリア・グリンベルクがいる。
Wikipediaによると、「おそらく20世紀屈指のピアニストの一人であったが、ソ連時代のユダヤ人敵視の風潮から、継続的で安定した演奏活動を阻まれ、西側諸国ではほとんど無名のままだった」とあるが、このピアニストの存在をもっとも端的に言い著している。ソ連とイスラエル国の対立が高まるなか、ユダヤ系であった彼女が29歳のとき、夫と父親が「人民の敵」の烙印を押されて逮捕され、処刑されてしまう。そんな暗い過去を背負いながらも明るい性格が自分自身をささえ、やがて国内では引く手あまたのピアニストになる。やがてモスクワ音楽院の教授にも迎えられるが、チャイコフスキー国際コンクールの審査委員席に就くことはなく、彼女に対する扱いは生涯を通じて変わらなかった。スターリン没後に、ようやく国外での演奏旅行を認められるが、14回の外遊の12回までは東側諸国で、僅か2回、西側のオランダを訪れただけであった。
そんなグリンベルクの演奏に接する機会はごく稀であったが、幸い、1970年に発表したベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音集が遺されている。これは、ソ連のピアニストによる最初のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集という触れ込みで売り出されたものである。
今、「告別」を聴いているが、残念ながらモノ録音で決して良質な音源ではないが、その奥から聞こえてくるピアノは深刻ぶらず、自然で明るく、こころ優しいものである。こちらもマリアという名で、スターリンも一目置いたとされるマリア・ユージナ(1899~1970)と比較されるが、私はユージナのどこか冷徹な響きより、グリンベルクの音色の方が好きである。
ベートーヴェン:
ピアノ・ソナタ第26番 変ホ長調 「告別」 Op. 81a
マリア・グリンベルク - Maria Grinberg (ピアノ)
(録音: 1966, Moscow, Russia)
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by kirakuossan
| 2017-03-06 06:53
| ピアニスト列伝
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