2017年 03月 04日
「文学温泉紀行」準備編⑩ 石見銀山と温泉津温泉 |
2017年3月4日(土)
「文学温泉紀行」
石州では湯の浦(現在の温泉津温泉)に入湯した。「湯の浦晝時着、タカ屋利右衛門と云ふ宿し直ちに入湯」誕生会にちなんで、一句ひねった。
吾身には旅の薬の産湯哉
「旅の薬り」とあるからには、この人、旅人である。長の旅路にくたくたにつかれはてて、さて湯に浸かって生き返る思いを「産湯」とかけた。つまらない句にはちがいない。ただし旅人の温泉好きは本音だろう。なにしろ文化九年九月三日に故郷を立って、この日が文化十一年五月八日。すでにほぼ二年に近い旅寝の日々であった。~
名を野田泉光院。山伏である。九州宮崎佐土原の安宮寺という山伏寺の住職だったが、五十六歳で隠居して、平四郎という従者一人を連れて九峰を修行しにでかけた。九峰というのは、九州の英彦山、四国の石鎚山、摂津の箕面山、金剛山、吉野の大峰山、熊野山、富士山、羽黒山、湯殿山、南は九州薩摩から北は出羽三山まで、日本全国をそれこそ津々浦々まで托鉢し、九峰に登って(実際には四国の石鎚山をのぞく八峰)、その委細を『日本九峰修行日記』にしたためた。民俗学者宮本常一氏が高い評価をあたえた旅日記である。
「どこが一番秀れているかというと、街道を歩いていない。全部細道を歩いていることです」
(種村季弘著『日本漫遊記』より「山陰道温泉八艘とび」)
種村季弘の著書を読んでいて、山伏の旅人野田泉光院の存在を知り、そしていかにも温泉中の温泉みたいな名の温泉津温泉(ゆのつ)も知り、これが大田市にあるという。港町でもある温泉津町(旧国石見国)は「石見銀山遺跡とその文化的景観」の一部として世界遺産に登録されている場所で、途中この前を通過するが、ここの温泉に立ち寄らない手はない。
共同浴場前の古い日本建築の旅館に電話してみた。
「いい温泉らしいけれど、一人で泊れますか?」
「とてもいい湯ですよ。一人でも結構です、ただ1000円だけ余分にいただくことになりますけど・・・」
ということで、「とてもいい湯ですよ」の一言が、いかにも大げさでなく、その通りに感じたので気に入った。
またHPにこうある。「その歴史は古く、木造三階建ての施設は築100年。落ち着いた明治大正の雰囲気と、存在感のある木造の螺旋階段が印象的。家族的な長命館はどなたでも安心して泊れる信用ある旅館です。温泉津の美味しい地酒と新鮮な海の幸、山の幸で作る当館の美味しいお料理で皆様のお越しをお待ちしております」
そこで旅程を大幅に変更。第6日を石見銀山と温泉津温泉にあて、ここの長命館で宿泊することにした。よって、出雲大社、松江城、玉造温泉は一日繰り下げて第7日の旅程となる。
手前が薬師湯、奧の3階建てが長命館。
<変更後>
第6日
5月23日(火) (予定)
08:00 道の駅「ゆとりパークたまがわ」出発
⇓(R191・R9)☆撮影:惣郷川橋梁(須佐駅と宇田郷駅間)&三隅港と折居駅間
10:30 石見銀山(12:00)
⇓ (R31・R9)
12:30 温泉津
⇓
12:45 櫛島公園・ 温泉津湾・やきものの里・龍御前神社(15:00)
⇓
15:00 温泉津温泉 共同浴場:元湯泉薬湯、薬師湯(6:00〜20:00)
宿泊:「長命館」(TEL.0855-65-2052 1泊2食付き1万円 伊藤さん)
最も古い歴史を持つ「元湯」の前に建つ「長命館」は、「元湯」の湯守直営の旅館。
旅館内に内湯はなく、向かいの共同浴場に入りに行くという、温泉旅館の本 来の形式を保つ宿。
(走行距離:120km)通算850km
温泉津温泉(島根県大田市温泉津町)
島根県大田市温泉津町(旧国石見国)にある温泉で、温泉津は当時中世〜近代に隆盛を誇った石見銀の輸出港でもあった。そのため、同港町は日本国内14例目の世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の登録を受けた 。共同浴場は「元湯泉薬湯」と「薬師湯」の2軒の湯元が存在する。両浴場はごく近接した位置で湧出する別々の泉源を用いており、泉質には相違がある。開湯は古く1300年前と伝えられ、伝説では大狸が入浴しているところを発見したものとされる。
泉質:含土類食塩泉
泉温:元湯 = 49.9℃ 薬師湯 = 45.9℃
湧出時は透明だが湯船では淡茶褐色を呈す。入浴のほかに飲泉も効果があり、味はやや苦渋い。古くからその効能の高さが知られている。
元湯泉薬湯
源泉からの距離わずか2~3m。「熱い湯」「ぬるい湯」「座り湯」の3つの浴槽があるが、どのお湯も40℃以上という熱さ。その熱さと高い効能から、足をつけているだけでも、体中から汗が出てくる。約1,300年前に、湯に浸かって傷口を治しているタヌキを旅僧が見つけたのがはじまりと言われている元湯で、今でも温光寺の裏山の崖に「狸の池」と呼ばれる洞穴がある。
元湯温泉は温泉津を今日まで湯治場としての評判をつくってきた由緒ある温泉で、湯の花が堆積した黄土色の湯船は長い歴史を感じさせる。
薬師湯
日本温泉協会の天然温泉の審査で最高評価の「オール5」を受けた100%本物のかけ流し湯温泉で、しびれるような心地良い「生の温泉」は、体を芯から温めてくれ、免疫力アップや未病対策に好評。1872年(明治5年)に発生した浜田地震により源泉が湧出をはじめた。薬師湯は地震によって湧出したことから「震湯」の別名がある。オール5は山陰では薬師湯だけ。
温泉津界隈
温泉津村の古文書の記述を起こしながら村古図を温泉屋(ゆや)から海辺へと歩く。谷底の一本の狭い道は銀山街道。村の上口から海辺へと伸びている。この道を挟んで両側に町家が窮屈そうに連なりあっている。上口の頭は温泉屋屋敷と温泉津出口御番所で、温泉屋屋敷の内に御薬師堂と浴 屋がある。隣に大森御役所の御茶屋がある。道の左右に入湯宿の名板を掲げた入口が並ぶ。薬師屋、まつや、かどや、福光屋、あぶらや、山梨県丸畑の木喰行者行道も宿泊した浄土宗龍沢寺、甲屋の七軒が下口の方へ連なって並んでいる。入湯宿の名板が見当たらなくなると、村の年寄役を勤める木津屋の上屋敷が現れてくる。次に天正15年(1587)温泉津村に旅装を解いた細川幽斎と関わりのある日蓮宗恵光寺、浄土真宗西楽寺の偉容な寺院構えに会う。さらに下って行くと商家の構が並ぶ中町に入る。御廻米の御米蔵があり四ツ門を過ぎると、廻船問屋、船宿の集まる本町、岩崎に出る。岩崎は温泉津浦の玄関で、浦の浜際には、温泉津船表御番所がある。浜辺の先端の磯道沿いに、橋 ノ階というところがあり、幾人かが座れる大岩がある…
石見銀山
大田市にある、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山。最盛期に日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されるが、当銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めたとされる。明治期以降は枯渇した銀に代わり、銅などが採鉱された。
第7日
5月24日(水) (予定)
09:00 長命館出発
⇓(R9)
10:00 出雲大社(11:00)
⇓(R431)
11:30 宍道湖(12:00)
⇓(R431)
12:00 松江城(13:45)菅田庵
⇓(R9)
14:00 玉造温泉(16:00) ホテル玉泉(11:00~15:00)佳翠苑皆美(11:00~15:00)白石家(12:00~16:00)保性館(12:00~21:00)松の湯(11:30~20:00)旅亭山の井(13:00~17:00)長楽園
⇓(R9)
16:30 道の駅「あらエッサ」
道の駅「あらエッサ」島根県安来市中海町118番地1
TEL0854-23-2510で車中泊
(走行距離:100km)通算980km
追記:
宍道湖に於いて見るべきものはただ一つしか無い。壮麗なる落日のけしきである。そして、これのみが決して見のがすことのできない宍道湖の自然である。雲はあかあかと燃え、日輪は大き隈もなくかがやき、太いするどい光の束をはなって、やがて薄墨をながしかける空のかなたに、烈火を吹き上げ、炎のままに水に沈んで行く。おどろくべき太陽のエネルギーである。
(石川淳「「諸国畸人伝」小林如泥より)
この日の日の入りは19:12とあるから、それまで玉造温泉でゆっくりと過ごし、宍道湖畔で落日を見てから、道の駅「あらエッサ」に行く事になりそうだ。
「文学温泉紀行」
石州では湯の浦(現在の温泉津温泉)に入湯した。「湯の浦晝時着、タカ屋利右衛門と云ふ宿し直ちに入湯」誕生会にちなんで、一句ひねった。
吾身には旅の薬の産湯哉
「旅の薬り」とあるからには、この人、旅人である。長の旅路にくたくたにつかれはてて、さて湯に浸かって生き返る思いを「産湯」とかけた。つまらない句にはちがいない。ただし旅人の温泉好きは本音だろう。なにしろ文化九年九月三日に故郷を立って、この日が文化十一年五月八日。すでにほぼ二年に近い旅寝の日々であった。~
名を野田泉光院。山伏である。九州宮崎佐土原の安宮寺という山伏寺の住職だったが、五十六歳で隠居して、平四郎という従者一人を連れて九峰を修行しにでかけた。九峰というのは、九州の英彦山、四国の石鎚山、摂津の箕面山、金剛山、吉野の大峰山、熊野山、富士山、羽黒山、湯殿山、南は九州薩摩から北は出羽三山まで、日本全国をそれこそ津々浦々まで托鉢し、九峰に登って(実際には四国の石鎚山をのぞく八峰)、その委細を『日本九峰修行日記』にしたためた。民俗学者宮本常一氏が高い評価をあたえた旅日記である。
「どこが一番秀れているかというと、街道を歩いていない。全部細道を歩いていることです」
(種村季弘著『日本漫遊記』より「山陰道温泉八艘とび」)
共同浴場前の古い日本建築の旅館に電話してみた。
「いい温泉らしいけれど、一人で泊れますか?」
「とてもいい湯ですよ。一人でも結構です、ただ1000円だけ余分にいただくことになりますけど・・・」
ということで、「とてもいい湯ですよ」の一言が、いかにも大げさでなく、その通りに感じたので気に入った。
またHPにこうある。「その歴史は古く、木造三階建ての施設は築100年。落ち着いた明治大正の雰囲気と、存在感のある木造の螺旋階段が印象的。家族的な長命館はどなたでも安心して泊れる信用ある旅館です。温泉津の美味しい地酒と新鮮な海の幸、山の幸で作る当館の美味しいお料理で皆様のお越しをお待ちしております」
そこで旅程を大幅に変更。第6日を石見銀山と温泉津温泉にあて、ここの長命館で宿泊することにした。よって、出雲大社、松江城、玉造温泉は一日繰り下げて第7日の旅程となる。
<変更後>
第6日
5月23日(火) (予定)
08:00 道の駅「ゆとりパークたまがわ」出発
⇓(R191・R9)☆撮影:惣郷川橋梁(須佐駅と宇田郷駅間)&三隅港と折居駅間
10:30 石見銀山(12:00)
⇓ (R31・R9)
12:30 温泉津
⇓
12:45 櫛島公園・ 温泉津湾・やきものの里・龍御前神社(15:00)
⇓
15:00 温泉津温泉 共同浴場:元湯泉薬湯、薬師湯(6:00〜20:00)
宿泊:「長命館」(TEL.0855-65-2052 1泊2食付き1万円 伊藤さん)
最も古い歴史を持つ「元湯」の前に建つ「長命館」は、「元湯」の湯守直営の旅館。
旅館内に内湯はなく、向かいの共同浴場に入りに行くという、温泉旅館の本 来の形式を保つ宿。
(走行距離:120km)通算850km
温泉津温泉(島根県大田市温泉津町)
島根県大田市温泉津町(旧国石見国)にある温泉で、温泉津は当時中世〜近代に隆盛を誇った石見銀の輸出港でもあった。そのため、同港町は日本国内14例目の世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の登録を受けた 。共同浴場は「元湯泉薬湯」と「薬師湯」の2軒の湯元が存在する。両浴場はごく近接した位置で湧出する別々の泉源を用いており、泉質には相違がある。開湯は古く1300年前と伝えられ、伝説では大狸が入浴しているところを発見したものとされる。
泉質:含土類食塩泉
泉温:元湯 = 49.9℃ 薬師湯 = 45.9℃
湧出時は透明だが湯船では淡茶褐色を呈す。入浴のほかに飲泉も効果があり、味はやや苦渋い。古くからその効能の高さが知られている。
元湯泉薬湯
源泉からの距離わずか2~3m。「熱い湯」「ぬるい湯」「座り湯」の3つの浴槽があるが、どのお湯も40℃以上という熱さ。その熱さと高い効能から、足をつけているだけでも、体中から汗が出てくる。約1,300年前に、湯に浸かって傷口を治しているタヌキを旅僧が見つけたのがはじまりと言われている元湯で、今でも温光寺の裏山の崖に「狸の池」と呼ばれる洞穴がある。
元湯温泉は温泉津を今日まで湯治場としての評判をつくってきた由緒ある温泉で、湯の花が堆積した黄土色の湯船は長い歴史を感じさせる。
薬師湯
日本温泉協会の天然温泉の審査で最高評価の「オール5」を受けた100%本物のかけ流し湯温泉で、しびれるような心地良い「生の温泉」は、体を芯から温めてくれ、免疫力アップや未病対策に好評。1872年(明治5年)に発生した浜田地震により源泉が湧出をはじめた。薬師湯は地震によって湧出したことから「震湯」の別名がある。オール5は山陰では薬師湯だけ。
温泉津界隈
温泉津村の古文書の記述を起こしながら村古図を温泉屋(ゆや)から海辺へと歩く。谷底の一本の狭い道は銀山街道。村の上口から海辺へと伸びている。この道を挟んで両側に町家が窮屈そうに連なりあっている。上口の頭は温泉屋屋敷と温泉津出口御番所で、温泉屋屋敷の内に御薬師堂と浴 屋がある。隣に大森御役所の御茶屋がある。道の左右に入湯宿の名板を掲げた入口が並ぶ。薬師屋、まつや、かどや、福光屋、あぶらや、山梨県丸畑の木喰行者行道も宿泊した浄土宗龍沢寺、甲屋の七軒が下口の方へ連なって並んでいる。入湯宿の名板が見当たらなくなると、村の年寄役を勤める木津屋の上屋敷が現れてくる。次に天正15年(1587)温泉津村に旅装を解いた細川幽斎と関わりのある日蓮宗恵光寺、浄土真宗西楽寺の偉容な寺院構えに会う。さらに下って行くと商家の構が並ぶ中町に入る。御廻米の御米蔵があり四ツ門を過ぎると、廻船問屋、船宿の集まる本町、岩崎に出る。岩崎は温泉津浦の玄関で、浦の浜際には、温泉津船表御番所がある。浜辺の先端の磯道沿いに、橋 ノ階というところがあり、幾人かが座れる大岩がある…
石見銀山
大田市にある、戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山。最盛期に日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定されるが、当銀山産出の銀がそのかなりの部分を占めたとされる。明治期以降は枯渇した銀に代わり、銅などが採鉱された。
第7日
5月24日(水) (予定)
09:00 長命館出発
⇓(R9)
10:00 出雲大社(11:00)
⇓(R431)
11:30 宍道湖(12:00)
⇓(R431)
12:00 松江城(13:45)菅田庵
⇓(R9)
14:00 玉造温泉(16:00) ホテル玉泉(11:00~15:00)佳翠苑皆美(11:00~15:00)白石家(12:00~16:00)保性館(12:00~21:00)松の湯(11:30~20:00)旅亭山の井(13:00~17:00)長楽園
⇓(R9)
16:30 道の駅「あらエッサ」
道の駅「あらエッサ」島根県安来市中海町118番地1
TEL0854-23-2510で車中泊
(走行距離:100km)通算980km
追記:
宍道湖に於いて見るべきものはただ一つしか無い。壮麗なる落日のけしきである。そして、これのみが決して見のがすことのできない宍道湖の自然である。雲はあかあかと燃え、日輪は大き隈もなくかがやき、太いするどい光の束をはなって、やがて薄墨をながしかける空のかなたに、烈火を吹き上げ、炎のままに水に沈んで行く。おどろくべき太陽のエネルギーである。
(石川淳「「諸国畸人伝」小林如泥より)
この日の日の入りは19:12とあるから、それまで玉造温泉でゆっくりと過ごし、宍道湖畔で落日を見てから、道の駅「あらエッサ」に行く事になりそうだ。
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by kirakuossan
| 2017-03-04 10:10
| 文学温泉紀行
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