2017年 03月 03日
「文学温泉紀行」準備編⑨ 玉造温泉 |
2017年3月3日(金)
「文学温泉紀行」
松江藩時代に宍道湖南岸の護岸を中心に「如泥石」がたくさんあった。湖岸が波で浸食されるのを防ぐため、藩主松平治郷の大工方に名工小林如泥(じょでい)という大工が考案した。円筒の来待石に円形の溝を彫ったものである。曲げ物を得意とし,繊細な浮き彫りでも知られる江戸中後期の木工家である。
「如泥石」は松江の文化遺産でもある。
彼のことは石川淳の「諸国畸人伝」の冒頭にも出てくる。
寛政九年(1797)二月、出雲國松江大工町に住む指物大工小林安左衛門は藩主松平治郷から剃髪を命ぜられ、如泥の號をさづけられた。ときに如泥四十五歳、治郷四十七歳、治郷はすなはち不昩である。~
治郷が如泥に號をさづけたのは、笑殺山翁酔如泥といふ唐人に詩句に由来するといふ。由来はともかくとして、如泥がときに泥のごとくに酔ったといふことはおそらく事実である。酔へばまれには士人にむかって無礼をはたらいたといふはなしもありえた。また如泥が殿中に酔ひつぶれたをりに、治郷が少姓をしてその髪を剃らしたといふはなしにもなって来るだらう。何にしても、治郷の庇護はつひに如泥のあたまにおよんで、これを坊主のかたちに仕立てることに依って、その身分に係らず側近に侍することを許したものとおもはれる。如泥はさきに天明三年三十一歳、当時親がかりながらはじめて奥納戸の用命を受けて以来、寛政二年三十八歳父の死に逢ってその跡をつぎ、給銀三百七十五匁三人扶持、大工竝となり、寛政四年四十歳譜代格大工にすすんだが、前後にかずかずの作品を示して、褒美にあづかることいくたび、技もまたやうやく円熟の期に入ったのか、剃髪の年に至っては、この大工の親方の坊主あたまはすでに風流人の藩主のふところに飛びこんでゐたに相違ない。
治郷の註文と如泥の仕事との交渉から、おほくの機智に富んだ語りぐさが生じてゐる。
あるとき、治郷は如泥と一彫師とにそれぞれ鼠をつくることを命じて、その技をたたかはしめた。二匹の鼠がならべられたとき、これを審判するものは猫であった。猫はただちに如泥の作に飛びついた。鼠はかつをぶしをもってつくられてゐた。~
藩主松平治郷は直政系越前松平家宗家7代であるとともに、江戸時代の代表的茶人の一人で、号を不昧(ふまい)と呼んだ。力士雷電為右衛門を士分(抱え力士)に取り立てたことでも知られる。
第6日
5月23日(火) (予定)
今日は9号線をひたすら東方へ走る。観光とビッグな温泉地の豪華版。朝少し早く出るかな。
06:30 道の駅「ゆとりパークたまがわ」出発
⇓(R191・R9)
10:00 出雲大社(11:00)
⇓(R431)
11:30 宍道湖(11:45)
⇓(R431)
12:00 松江城(13:30)菅田庵
⇓(R9)
13:45 玉造温泉 ホテル玉泉(11:00~15:00)佳翠苑皆美(11:00~15:00)白石家(12:00~16:00)保性館(12:00~21:00)松の湯(11:30~20:00)旅亭山の井(13:00~17:00)長楽園
玉造温泉付近で車中泊(場所は未定、場合によっては旅館泊)
(走行距離:150km)通算880km
玉造温泉(島根県松江市玉湯町玉造)
平安時代より『枕草子』に三名泉と謳われ、奈良時代開湯といわれる古湯で、少彦名命が発見したと伝えられている。『出雲国風土記』抄にも記載があり、神の湯として知られた。規模、歴史ともに島根県随一、鳥取県の皆生温泉や三朝温泉、兵庫県の城崎温泉らと共に山陰を代表する温泉地である。
泉質:硫酸塩 - 塩化物泉
泉温:42度以上
出雲大社(島根県出雲市大社町杵築東)
式内社(名神大)出雲国一宮で、旧社格は官幣大社。
松江城
別名・千鳥城と呼ばれ、現存天守は国宝、城跡は国の史跡に指定されている。1611年(慶長16年)に築城された。
菅田庵(かんでんあん)
島根県松江市の旧松江藩家老有沢家の山荘にある松平不昧治郷ゆかりの茶室。開園時間 - 10:00~16:00 要予約(入場は15:45まで)休園日 - 木曜
宍道湖
松江市と出雲市にまたがる湖で一級水系の斐伊川の一部である。淡水湖ではなく汽水湖となっている(平均塩分濃度は海水の約1/10である)面積は日本国内で7番目となり、琵琶湖の1/9、諏訪湖の6倍の大きさである。こうして考えると琵琶湖は諏訪湖の54倍の広さということになる。やはりずいぶんと大きいわ。
宍道湖に於いて見るべきものはただ一つしか無い。壮麗なる落日のけしきである。そして、これのみが決して見のがすことのできない宍道湖の自然である。雲はあかあかと燃え、日輪は大き隈もなくかがやき、太いするどい光の束をはなって、やがて薄墨をながしかける空のかなたに、烈火を吹き上げ、炎のままに水に沈んで行く。おどろくべき太陽のエネルギーである。
(石川淳「「諸国畸人伝」より小林如泥)
「文学温泉紀行」
松江藩時代に宍道湖南岸の護岸を中心に「如泥石」がたくさんあった。湖岸が波で浸食されるのを防ぐため、藩主松平治郷の大工方に名工小林如泥(じょでい)という大工が考案した。円筒の来待石に円形の溝を彫ったものである。曲げ物を得意とし,繊細な浮き彫りでも知られる江戸中後期の木工家である。
「如泥石」は松江の文化遺産でもある。
彼のことは石川淳の「諸国畸人伝」の冒頭にも出てくる。
寛政九年(1797)二月、出雲國松江大工町に住む指物大工小林安左衛門は藩主松平治郷から剃髪を命ぜられ、如泥の號をさづけられた。ときに如泥四十五歳、治郷四十七歳、治郷はすなはち不昩である。~
治郷が如泥に號をさづけたのは、笑殺山翁酔如泥といふ唐人に詩句に由来するといふ。由来はともかくとして、如泥がときに泥のごとくに酔ったといふことはおそらく事実である。酔へばまれには士人にむかって無礼をはたらいたといふはなしもありえた。また如泥が殿中に酔ひつぶれたをりに、治郷が少姓をしてその髪を剃らしたといふはなしにもなって来るだらう。何にしても、治郷の庇護はつひに如泥のあたまにおよんで、これを坊主のかたちに仕立てることに依って、その身分に係らず側近に侍することを許したものとおもはれる。如泥はさきに天明三年三十一歳、当時親がかりながらはじめて奥納戸の用命を受けて以来、寛政二年三十八歳父の死に逢ってその跡をつぎ、給銀三百七十五匁三人扶持、大工竝となり、寛政四年四十歳譜代格大工にすすんだが、前後にかずかずの作品を示して、褒美にあづかることいくたび、技もまたやうやく円熟の期に入ったのか、剃髪の年に至っては、この大工の親方の坊主あたまはすでに風流人の藩主のふところに飛びこんでゐたに相違ない。
治郷の註文と如泥の仕事との交渉から、おほくの機智に富んだ語りぐさが生じてゐる。
あるとき、治郷は如泥と一彫師とにそれぞれ鼠をつくることを命じて、その技をたたかはしめた。二匹の鼠がならべられたとき、これを審判するものは猫であった。猫はただちに如泥の作に飛びついた。鼠はかつをぶしをもってつくられてゐた。~
藩主松平治郷は直政系越前松平家宗家7代であるとともに、江戸時代の代表的茶人の一人で、号を不昧(ふまい)と呼んだ。力士雷電為右衛門を士分(抱え力士)に取り立てたことでも知られる。
第6日
5月23日(火) (予定)
今日は9号線をひたすら東方へ走る。観光とビッグな温泉地の豪華版。朝少し早く出るかな。
06:30 道の駅「ゆとりパークたまがわ」出発
⇓(R191・R9)
10:00 出雲大社(11:00)
⇓(R431)
11:30 宍道湖(11:45)
⇓(R431)
12:00 松江城(13:30)菅田庵
⇓(R9)
13:45 玉造温泉 ホテル玉泉(11:00~15:00)佳翠苑皆美(11:00~15:00)白石家(12:00~16:00)保性館(12:00~21:00)松の湯(11:30~20:00)旅亭山の井(13:00~17:00)長楽園
玉造温泉付近で車中泊(場所は未定、場合によっては旅館泊)
(走行距離:150km)通算880km
玉造温泉(島根県松江市玉湯町玉造)
平安時代より『枕草子』に三名泉と謳われ、奈良時代開湯といわれる古湯で、少彦名命が発見したと伝えられている。『出雲国風土記』抄にも記載があり、神の湯として知られた。規模、歴史ともに島根県随一、鳥取県の皆生温泉や三朝温泉、兵庫県の城崎温泉らと共に山陰を代表する温泉地である。
泉質:硫酸塩 - 塩化物泉
泉温:42度以上
出雲大社(島根県出雲市大社町杵築東)
式内社(名神大)出雲国一宮で、旧社格は官幣大社。
松江城
別名・千鳥城と呼ばれ、現存天守は国宝、城跡は国の史跡に指定されている。1611年(慶長16年)に築城された。
菅田庵(かんでんあん)
島根県松江市の旧松江藩家老有沢家の山荘にある松平不昧治郷ゆかりの茶室。開園時間 - 10:00~16:00 要予約(入場は15:45まで)休園日 - 木曜
宍道湖
松江市と出雲市にまたがる湖で一級水系の斐伊川の一部である。淡水湖ではなく汽水湖となっている(平均塩分濃度は海水の約1/10である)面積は日本国内で7番目となり、琵琶湖の1/9、諏訪湖の6倍の大きさである。こうして考えると琵琶湖は諏訪湖の54倍の広さということになる。やはりずいぶんと大きいわ。
宍道湖に於いて見るべきものはただ一つしか無い。壮麗なる落日のけしきである。そして、これのみが決して見のがすことのできない宍道湖の自然である。雲はあかあかと燃え、日輪は大き隈もなくかがやき、太いするどい光の束をはなって、やがて薄墨をながしかける空のかなたに、烈火を吹き上げ、炎のままに水に沈んで行く。おどろくべき太陽のエネルギーである。
(石川淳「「諸国畸人伝」より小林如泥)
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by kirakuossan
| 2017-03-03 11:45
| 文学温泉紀行
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