2017年 01月 14日
「明治は遠くなりにけり」 |
2017年1月14日(土)
降る雪や明治は遠くなりにけり
草田男
「明治は遠くなりにけり」だけが独り歩きしたようだが、この句は中村草田男(1901~1983)である。丸谷才一が子規とくらべて「人柄としてはね、イヤなやつだと思うよ。でも、俳句はやっぱりうまいと思うな」といった高浜虚子の弟子である。
昭和6年の作。雪が降りしきる中、20年振りに母校の小学校を訪れて昔のままで少しも変わらないなあと思いつつ、いま校門から出てくる生徒たちの金ボタンの外套を見て、その当時自分が登校していた時の黒絣の着物や高下駄を思い出し、20年の歳月の流れを感じながら、明治の良き時代は遠くになってしまったものだと感慨に耽る。彼は中国で生まれ、親の故郷である愛媛に帰国した。のち松山へ転居、さらには東京へ引っ越し、赤坂の青南尋常小学校にかよい、のち、松山に戻り松山第四小学校に転入した。この句にある訪れた小学校はどちらだったのだろう。
ところで昨夜から今日にかけて寒波襲来、雪が降ると言っていたが、まだ降らない。でも西の空が急に黒くなって来た。いよいよ降るのか。西の方から庵原氏がもうじきやって来るが、それまでは持ちそうだ。
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降る雪や明治は遠くなりにけり
草田男
「明治は遠くなりにけり」だけが独り歩きしたようだが、この句は中村草田男(1901~1983)である。丸谷才一が子規とくらべて「人柄としてはね、イヤなやつだと思うよ。でも、俳句はやっぱりうまいと思うな」といった高浜虚子の弟子である。
昭和6年の作。雪が降りしきる中、20年振りに母校の小学校を訪れて昔のままで少しも変わらないなあと思いつつ、いま校門から出てくる生徒たちの金ボタンの外套を見て、その当時自分が登校していた時の黒絣の着物や高下駄を思い出し、20年の歳月の流れを感じながら、明治の良き時代は遠くになってしまったものだと感慨に耽る。彼は中国で生まれ、親の故郷である愛媛に帰国した。のち松山へ転居、さらには東京へ引っ越し、赤坂の青南尋常小学校にかよい、のち、松山に戻り松山第四小学校に転入した。この句にある訪れた小学校はどちらだったのだろう。
ところで昨夜から今日にかけて寒波襲来、雪が降ると言っていたが、まだ降らない。でも西の空が急に黒くなって来た。いよいよ降るのか。西の方から庵原氏がもうじきやって来るが、それまでは持ちそうだ。
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by kirakuossan
| 2017-01-14 10:05
| 文芸
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