2016年 12月 15日
2016年の演奏会を振り返って |
2016年12月15日(木)
今年はまずクリスティアン・ツィメルマンのピアノリサイタルで年が明けた。1月16日、場所はびわ湖ホール、あの世界的巨匠がびわ湖へやってくるとは感激ものであるが、これで2度目らしい。今回は魅力のオール・シューベルト・プログラムでとくに興味深く聴き入った。高音の粒立つ煌めき、休符の美、そしていとも容易く弾いて聴かせるテクニック、どれをとっても極め付きである。現在最高峰に位置するピアニストの全貌を見た思いがした。大阪も京都へも立ち寄らずびわ湖へ来てくれたのがまた嬉しい。
2月には、「オーストラリアのお医者さんによるオーケストラ」というチャリティーコンサート(27日)。会場がNHKホールということもあって少し別の意味でも興味を持って出向いた。演目はブラームスの交響曲第1番ハ短調、実はこれがかなりの水準の演奏で大満足であった。
3月には21日に栗東の芸術文化会館さきら大ホールで第2回びわ湖祝祭管弦楽団の演奏会が催された。滋賀に何らかの形で縁のある音楽家たちが集って構成されているが、今回は滋賀音楽振興会設立25周年の記念事業の一貫として17年ぶりの結成され、マーラーの第4番をやった。まとまりと水準の高さに驚く。弦楽器のセクションが第一、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、すべてに最高点。確かに各ポジションで首席奏者クラスを揃えたとはいうものの全体としてのアンサンブルも最高の出来に近かった。また管楽器もすべて粒がそろっていてたいへん良かった。なかでも特に印象深かったのは、第二ヴァイオリン首席奏者石上真由子嬢(京都府立医科大生)で、表情などを見ていると、単に一所懸命とか陶酔したりとかと違って、いかにも音楽をする愉しみや歓びが身体中から湧き出ているようでついこちらまで嬉しくなって見とれてしまうほどであった。これを機に彼女のファンとなった。
そして4月は、いよいよ海外のオーケストラから、その第一弾、ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団演奏会(7日・フェスティバルホール)である。マリナーはもうすぐ92歳を迎える老人にはとても思えない若々しい指揮ぶりで、最初から最後まで立ちずくめで、しかも聴衆の歓声に応えてアンコールを二曲も披露するのには驚いた。ベートーヴェンの交響曲第7番がメインプログラムであったが、とくに心に残ったのは彼がアンコールでいつもやる「ロンドンデリーの歌」、この哀愁に満ちた音色は今も耳の奥底に残っている。そしてマリナーは半年後の10月2日に世を去った。あんな元気だったのに信じられない思いである。
同じく4月には改装なった真新しい岡崎のロームシアターでのミュージックフェスティバル(24日)を聴きに行った。この演奏会はロームが支援する若手音楽家育成のための奨学生を中心としたもので、神尾真由子、萩原麻未、それに2015年ショパンコンクールのファイナルに残った小林愛美などが出演、溌剌とした音楽を聴かせた。ピアノの萩原麻未は久しぶりに聴いた。力強さが増して確実に成長しているのがよく感じ取れ、それにすっかり大人の女性らしくなって、見間違うほどであった。東京の紀尾井ホールで聴いた演奏会がふと思い出された。
5月に入ると、今度は蓼科入りし、軽井沢の大賀ホールでアンドレア・バッティストーニ指揮の東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会(3日)。演目はチャイコフスキーの第4番、そう広くないホールでは不向きな選曲と思えなくもないが、若さで思いっきり押し切ったというような演奏で、それに想像通りロシア臭の少ないチャイコフスキーを聴かせた。
立命館大学交響楽団の春の定期演奏会(28日・びわ湖ホール)、今年はベートーヴェンの第7番、それに独奏大谷玲子のブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番であった。どの演奏も上々の出来ばえで、とくにコンミス唐澤美優さん(文・3)を中心にヴァイオリンのまとまりは例年以上に秀でていたという気がした。
さあ6月2日を迎えた。今年もっとも期待していたひとつ、ヤニック・ネゼ=セガン指揮フィラデルフィア管弦楽団演奏会(フェスティバルホール)だ。セガンのタクトさばきは見事であったし、弦も管も全て良かったが中でも特に目を引いたのは切れ味鋭いドン・リウッチのティンパニーだった。今宵のブラームスの2番という曲は親しみやすいが、下手をすると緩慢な聞きどころのない単調な演奏に陥りがちだが、今夜のブラームスは魅力的な緩徐部と決めどころの強奏部のバランスが程よく調和が取れていて最高の演奏を聴かせた。それに加えて、五嶋龍のプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番、難しい曲だが十分に愉しめた。久々にアメリカのオケを聴いたが、やはり切れ味が鋭く、スマートな印象を持った。
6月にはもうひとつ月末に読売日本交響楽団大阪定期演奏会でマーラーの交響曲第5番をシルヴァン・カンブルランの指揮で聴いた。これが超がつくほどの名演奏で、庵原氏ともども感涙をこばさんばかりの非の打ち所がないほど完璧なマーラーであった。翌日のブログにはこう記した。
マーラーの第5番のこれほどの演奏はそうあるものではない。各パートがそれぞれ自分の責務を完全なまでにこなした、そんな演奏だった。例えば、トランペット(長谷川潤)ひとつとらえても、強奏でしっかりと吹き切るところは分かるにしても続いての弱音部分でのあの音色の美しさは尋常ではなかった。そのことはホルン(日橋辰朗)についても同様のことが言えた。ティンパニ(岡田全弘)の出番は4楽章のハープと弦楽器のみで演奏される美しい「愛の楽章」以外はほぼすべてで快調にバチ音がホール内に響き渡った。常任指揮者のシルヴァン・カンブルランも、もう7年目に入り、楽員との息もピッタリとあった、という感じを持った。
そして7月には、大阪府医師会フィルの定期演奏会(3日)をシンフォニーホールで聴いた。チャイコフスキーの「悲愴」をやったが、重要なパートのホルンがあまりにもの不出来で残念な結果に終わった。ただ第46回というからかなりの歴史をほこる楽団である。真の実力はこんなものではないだろう。
今年の後半は、夏場の約2か月にわたる山荘生活などもあって、演奏会へ足を運んだのはこちらへ戻ってきてからの10月以降であった。16日のユリアンナ・アヴデーエワのピアノ・リサイタル(シンフォニーホール)が良かった。彼女は2010年のショパンコンクールの優勝者だが、「英雄」などショパンの演奏はさすが、と思わせたし、後半プログラムのリストはどれも相当の難曲と目されるが、彼女の取り組み意欲が観客席までひしひしと伝わってくる名演奏であった。誠実そうな好感の持てるピアニストである。
そして29日はこれも待望のオペラ。びわ湖ホールにプラハ国立歌劇場がやって来た。演目はモーツァルトの『魔笛』と、これまた最高の出し物。決して派手さはないが、水準の高さは評判通りで、あっという間の2時間、愉しいひとときを過ごした。オペラ鑑賞は今までにほとんどなく、ひょっとすれば本格的なオペラはこれが最初ではなかっただろうか。
11月に入ると演奏会の連続であった。まず2日に神尾真由子&ミロスラフ・クルティシェフのデュオ・リサイタル。山科区制40周年記念事業の一環として山科東野にある東部文化会館で行われた。演奏曲はブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番、第2番、第3番。やはりブラームスは難しい。隣席のかみさん、本番の1時間あまりはほとんど寝てばかりで、アンコール3曲は馴染みもあったり、聴かせる曲が出てきて最後の15分ほどは目ざめておりました。2日おいて4日には長岡京の文化会館で長岡京室内アンサンブルの演奏会。例のお目当ての石上真由子嬢の出る室内楽団だ。ヴィヴァルディの「四季」をやったが、今日も溌剌とした演奏を披露、「夏」のソロ・ヴァイオリンを受け持ち、超技巧で聴衆を圧倒した。ほかにも各ソリストの演奏は冴えわたり、チェロ金子鈴太郎とのやりとりがそれぞれ愉快そうで、ついつい聴衆も惹きこまれてゆく。こんな楽しい演奏会、また次回にも聴きに行くことになるだろう。
13日にはびわ湖ホールへ小泉和裕指揮日本センチュリー交響楽団のマチネ演奏会に。ここでもブラームスの1番をやったが及第点の出来、それよりアンコールのロザムンデの間奏曲が良かった。指揮者小泉和裕はたしか2度目だと思うが、この人の指揮ぶりは、同世代の尾高忠明に似て、もう古臭いイメージが先に立つ。全体に堅いし単調である。その点、立響を振る阪哲朗の方が、柔軟で観ていても楽しめる。
そして20日が、もう一つの今年の目玉、サンフランシスコ交響楽団演奏会(フェスティバルホール)。指揮者マイケル・ティルソン・トーマスとはもう20年以上のコンビということもあって相性は抜群、最高級のマーラー交響曲第1番 ニ長調「巨人」を聴かせた。彼のマーラーは、動と静、明と暗の対比をより鮮明に強調した輪郭のはっきりとした演奏で、特に管の響きは卓越した技巧と安定した音だしで最高レベル、さすがにあの音色は日本のオケでは出せない。マーラーの1番、あれほどまでに丁寧に弱音を効果的に駆使した指揮者は今までに知らない。まさしくそれがマイケルの真骨頂だと言えよう。前半プログラム、ユジャ・ワンのショパンのピアノ協奏曲第2番、派手に輝く銀色の超ミニスカート姿ばかりが衝撃的で、ピアノの方は正直もう一つよくわからなかった。派手な衣装に反して演奏は意外と控え目であった。ショパンの2番という選曲がよくなかったのかも知れない。
最後に今年の聴き納めは一昨日の立命館大学交響楽団第116回定期演奏会(13日・京都コンサートホール)。ベルリオーズの「幻想」、全体的にはよくできたのだろうが、「幻想」の本来持つ、あの生々しさ、どぎつさは今一歩であって、あらためて「幻想」の演奏の難しさを思うと同時に、男女の”愛憎”など、若者たちに要求するのはちょっと酷かなと思ったりもした次第である。
今年も全部で17公演を聴いた。とくに印象に残る好演は、クリスティアン・ツィメルマンのピアノリサイタルにおけるオール・シューベルト、ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団演奏会でのアンコール曲「ロンドンデリーの歌」、読響大阪定期演奏会でのマーラー交響曲第5番、ユリアンナ・アヴデーエワのリストのピアノ曲、さらに長岡京室内アンサンブルの「四季」、そしてマイケル・ティルソン・トーマス指揮サンフランシスコ交響楽団のマーラー交響曲第1番あたりではなかっただろうか。
さて、来年はまたどんな1年になるのか、愉しみである。
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2月には、「オーストラリアのお医者さんによるオーケストラ」というチャリティーコンサート(27日)。会場がNHKホールということもあって少し別の意味でも興味を持って出向いた。演目はブラームスの交響曲第1番ハ短調、実はこれがかなりの水準の演奏で大満足であった。
3月には21日に栗東の芸術文化会館さきら大ホールで第2回びわ湖祝祭管弦楽団の演奏会が催された。滋賀に何らかの形で縁のある音楽家たちが集って構成されているが、今回は滋賀音楽振興会設立25周年の記念事業の一貫として17年ぶりの結成され、マーラーの第4番をやった。まとまりと水準の高さに驚く。弦楽器のセクションが第一、第二ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、すべてに最高点。確かに各ポジションで首席奏者クラスを揃えたとはいうものの全体としてのアンサンブルも最高の出来に近かった。また管楽器もすべて粒がそろっていてたいへん良かった。なかでも特に印象深かったのは、第二ヴァイオリン首席奏者石上真由子嬢(京都府立医科大生)で、表情などを見ていると、単に一所懸命とか陶酔したりとかと違って、いかにも音楽をする愉しみや歓びが身体中から湧き出ているようでついこちらまで嬉しくなって見とれてしまうほどであった。これを機に彼女のファンとなった。
そして4月は、いよいよ海外のオーケストラから、その第一弾、ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団演奏会(7日・フェスティバルホール)である。マリナーはもうすぐ92歳を迎える老人にはとても思えない若々しい指揮ぶりで、最初から最後まで立ちずくめで、しかも聴衆の歓声に応えてアンコールを二曲も披露するのには驚いた。ベートーヴェンの交響曲第7番がメインプログラムであったが、とくに心に残ったのは彼がアンコールでいつもやる「ロンドンデリーの歌」、この哀愁に満ちた音色は今も耳の奥底に残っている。そしてマリナーは半年後の10月2日に世を去った。あんな元気だったのに信じられない思いである。
同じく4月には改装なった真新しい岡崎のロームシアターでのミュージックフェスティバル(24日)を聴きに行った。この演奏会はロームが支援する若手音楽家育成のための奨学生を中心としたもので、神尾真由子、萩原麻未、それに2015年ショパンコンクールのファイナルに残った小林愛美などが出演、溌剌とした音楽を聴かせた。ピアノの萩原麻未は久しぶりに聴いた。力強さが増して確実に成長しているのがよく感じ取れ、それにすっかり大人の女性らしくなって、見間違うほどであった。東京の紀尾井ホールで聴いた演奏会がふと思い出された。
5月に入ると、今度は蓼科入りし、軽井沢の大賀ホールでアンドレア・バッティストーニ指揮の東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会(3日)。演目はチャイコフスキーの第4番、そう広くないホールでは不向きな選曲と思えなくもないが、若さで思いっきり押し切ったというような演奏で、それに想像通りロシア臭の少ないチャイコフスキーを聴かせた。
立命館大学交響楽団の春の定期演奏会(28日・びわ湖ホール)、今年はベートーヴェンの第7番、それに独奏大谷玲子のブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番であった。どの演奏も上々の出来ばえで、とくにコンミス唐澤美優さん(文・3)を中心にヴァイオリンのまとまりは例年以上に秀でていたという気がした。
さあ6月2日を迎えた。今年もっとも期待していたひとつ、ヤニック・ネゼ=セガン指揮フィラデルフィア管弦楽団演奏会(フェスティバルホール)だ。セガンのタクトさばきは見事であったし、弦も管も全て良かったが中でも特に目を引いたのは切れ味鋭いドン・リウッチのティンパニーだった。今宵のブラームスの2番という曲は親しみやすいが、下手をすると緩慢な聞きどころのない単調な演奏に陥りがちだが、今夜のブラームスは魅力的な緩徐部と決めどころの強奏部のバランスが程よく調和が取れていて最高の演奏を聴かせた。それに加えて、五嶋龍のプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番、難しい曲だが十分に愉しめた。久々にアメリカのオケを聴いたが、やはり切れ味が鋭く、スマートな印象を持った。
6月にはもうひとつ月末に読売日本交響楽団大阪定期演奏会でマーラーの交響曲第5番をシルヴァン・カンブルランの指揮で聴いた。これが超がつくほどの名演奏で、庵原氏ともども感涙をこばさんばかりの非の打ち所がないほど完璧なマーラーであった。翌日のブログにはこう記した。
マーラーの第5番のこれほどの演奏はそうあるものではない。各パートがそれぞれ自分の責務を完全なまでにこなした、そんな演奏だった。例えば、トランペット(長谷川潤)ひとつとらえても、強奏でしっかりと吹き切るところは分かるにしても続いての弱音部分でのあの音色の美しさは尋常ではなかった。そのことはホルン(日橋辰朗)についても同様のことが言えた。ティンパニ(岡田全弘)の出番は4楽章のハープと弦楽器のみで演奏される美しい「愛の楽章」以外はほぼすべてで快調にバチ音がホール内に響き渡った。常任指揮者のシルヴァン・カンブルランも、もう7年目に入り、楽員との息もピッタリとあった、という感じを持った。
そして7月には、大阪府医師会フィルの定期演奏会(3日)をシンフォニーホールで聴いた。チャイコフスキーの「悲愴」をやったが、重要なパートのホルンがあまりにもの不出来で残念な結果に終わった。ただ第46回というからかなりの歴史をほこる楽団である。真の実力はこんなものではないだろう。
今年の後半は、夏場の約2か月にわたる山荘生活などもあって、演奏会へ足を運んだのはこちらへ戻ってきてからの10月以降であった。16日のユリアンナ・アヴデーエワのピアノ・リサイタル(シンフォニーホール)が良かった。彼女は2010年のショパンコンクールの優勝者だが、「英雄」などショパンの演奏はさすが、と思わせたし、後半プログラムのリストはどれも相当の難曲と目されるが、彼女の取り組み意欲が観客席までひしひしと伝わってくる名演奏であった。誠実そうな好感の持てるピアニストである。
そして29日はこれも待望のオペラ。びわ湖ホールにプラハ国立歌劇場がやって来た。演目はモーツァルトの『魔笛』と、これまた最高の出し物。決して派手さはないが、水準の高さは評判通りで、あっという間の2時間、愉しいひとときを過ごした。オペラ鑑賞は今までにほとんどなく、ひょっとすれば本格的なオペラはこれが最初ではなかっただろうか。
11月に入ると演奏会の連続であった。まず2日に神尾真由子&ミロスラフ・クルティシェフのデュオ・リサイタル。山科区制40周年記念事業の一環として山科東野にある東部文化会館で行われた。演奏曲はブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番、第2番、第3番。やはりブラームスは難しい。隣席のかみさん、本番の1時間あまりはほとんど寝てばかりで、アンコール3曲は馴染みもあったり、聴かせる曲が出てきて最後の15分ほどは目ざめておりました。2日おいて4日には長岡京の文化会館で長岡京室内アンサンブルの演奏会。例のお目当ての石上真由子嬢の出る室内楽団だ。ヴィヴァルディの「四季」をやったが、今日も溌剌とした演奏を披露、「夏」のソロ・ヴァイオリンを受け持ち、超技巧で聴衆を圧倒した。ほかにも各ソリストの演奏は冴えわたり、チェロ金子鈴太郎とのやりとりがそれぞれ愉快そうで、ついつい聴衆も惹きこまれてゆく。こんな楽しい演奏会、また次回にも聴きに行くことになるだろう。
13日にはびわ湖ホールへ小泉和裕指揮日本センチュリー交響楽団のマチネ演奏会に。ここでもブラームスの1番をやったが及第点の出来、それよりアンコールのロザムンデの間奏曲が良かった。指揮者小泉和裕はたしか2度目だと思うが、この人の指揮ぶりは、同世代の尾高忠明に似て、もう古臭いイメージが先に立つ。全体に堅いし単調である。その点、立響を振る阪哲朗の方が、柔軟で観ていても楽しめる。
そして20日が、もう一つの今年の目玉、サンフランシスコ交響楽団演奏会(フェスティバルホール)。指揮者マイケル・ティルソン・トーマスとはもう20年以上のコンビということもあって相性は抜群、最高級のマーラー交響曲第1番 ニ長調「巨人」を聴かせた。彼のマーラーは、動と静、明と暗の対比をより鮮明に強調した輪郭のはっきりとした演奏で、特に管の響きは卓越した技巧と安定した音だしで最高レベル、さすがにあの音色は日本のオケでは出せない。マーラーの1番、あれほどまでに丁寧に弱音を効果的に駆使した指揮者は今までに知らない。まさしくそれがマイケルの真骨頂だと言えよう。前半プログラム、ユジャ・ワンのショパンのピアノ協奏曲第2番、派手に輝く銀色の超ミニスカート姿ばかりが衝撃的で、ピアノの方は正直もう一つよくわからなかった。派手な衣装に反して演奏は意外と控え目であった。ショパンの2番という選曲がよくなかったのかも知れない。
最後に今年の聴き納めは一昨日の立命館大学交響楽団第116回定期演奏会(13日・京都コンサートホール)。ベルリオーズの「幻想」、全体的にはよくできたのだろうが、「幻想」の本来持つ、あの生々しさ、どぎつさは今一歩であって、あらためて「幻想」の演奏の難しさを思うと同時に、男女の”愛憎”など、若者たちに要求するのはちょっと酷かなと思ったりもした次第である。
今年も全部で17公演を聴いた。とくに印象に残る好演は、クリスティアン・ツィメルマンのピアノリサイタルにおけるオール・シューベルト、ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団演奏会でのアンコール曲「ロンドンデリーの歌」、読響大阪定期演奏会でのマーラー交響曲第5番、ユリアンナ・アヴデーエワのリストのピアノ曲、さらに長岡京室内アンサンブルの「四季」、そしてマイケル・ティルソン・トーマス指揮サンフランシスコ交響楽団のマーラー交響曲第1番あたりではなかっただろうか。
さて、来年はまたどんな1年になるのか、愉しみである。
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by kirakuossan
| 2016-12-15 11:01
| クラシック
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