2016年 12月 04日
”おそらく”づくめの作曲家 .......知られざる作曲家97 クレメンス・ノン・パパ |
2016年12月4日(日)
”おそらく”づくめの作曲家がいる。盛期ルネサンスのフランドル楽派の作曲家ヤコブス・クレメンス・ノン・パパ(おそらく1510年から1515年の間~おそらく1555年または1556年)
彼はおそらくオランダのゼーラントに生まれ、30歳代におそらく皇帝カール5世の宮廷礼拝堂の楽長を務めたとされ、おそらくライデンなどでも居住し活動した可能性があるが、当時の皆が行ったイタリアへは足をはこばなかったようだ。彼の音楽からはイタリアの影響がないとされる。「ノン・パパ」という呼び名がついたのも珍しく、これはローマ教皇クレメンス7世と区別するため「パパ(教皇)ではない」と付け加えたとする説があるが、今ではおそらく彼が一時住んだ西フランドルの詩人ヤコブス・パパと区別するためとする説が有力であるとされる。パレストリーナ(1525-1594)やモンテヴェルディ(1567-1643)フレスコバルディ(1583-1643)よりも旧い音楽家ということになるが、多作家でモテットやミサ曲を多く残した。このことは”おそらく”ではなく間違いなく事実である。
ヤコブス・クレメンス・ノン・パパ:
ミサ曲「羊飼いたちよ、地上で何を見たのか」
タリス・スコラーズ
なお演奏者タリス・スコラーズは、男女混成の10名程度のメンバーを中心にルネサンス音楽、ミサ曲やモテットなどの宗教合唱曲をレパートリーに持つ、定評のあるグループである。
日曜の朝、たまに聴くミサもいいものだ。
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”おそらく”づくめの作曲家がいる。盛期ルネサンスのフランドル楽派の作曲家ヤコブス・クレメンス・ノン・パパ(おそらく1510年から1515年の間~おそらく1555年または1556年)
彼はおそらくオランダのゼーラントに生まれ、30歳代におそらく皇帝カール5世の宮廷礼拝堂の楽長を務めたとされ、おそらくライデンなどでも居住し活動した可能性があるが、当時の皆が行ったイタリアへは足をはこばなかったようだ。彼の音楽からはイタリアの影響がないとされる。「ノン・パパ」という呼び名がついたのも珍しく、これはローマ教皇クレメンス7世と区別するため「パパ(教皇)ではない」と付け加えたとする説があるが、今ではおそらく彼が一時住んだ西フランドルの詩人ヤコブス・パパと区別するためとする説が有力であるとされる。パレストリーナ(1525-1594)やモンテヴェルディ(1567-1643)フレスコバルディ(1583-1643)よりも旧い音楽家ということになるが、多作家でモテットやミサ曲を多く残した。このことは”おそらく”ではなく間違いなく事実である。
ヤコブス・クレメンス・ノン・パパ:
ミサ曲「羊飼いたちよ、地上で何を見たのか」
タリス・スコラーズ
なお演奏者タリス・スコラーズは、男女混成の10名程度のメンバーを中心にルネサンス音楽、ミサ曲やモテットなどの宗教合唱曲をレパートリーに持つ、定評のあるグループである。
日曜の朝、たまに聴くミサもいいものだ。
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by kirakuossan
| 2016-12-04 08:31
| 知られざる作曲家
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