2016年 10月 04日
加藤周一と信州で出逢った人たち 3 |
2016年10月4日(火)
加藤周一のもう一つの本業は医者であり、専門は血液学、そして内科医でもあった。信州で堀辰雄のかかりつけの医者でもあった。
堀辰雄(1904~53)は私が最初に出会った作家である。その頃堀さんは、夏の夕暮れに、追分村の油屋の前の中山道を着流しで散歩していた。「あれが堀辰雄だ」と油屋に泊まっていた学生が教えてくれた。その散歩姿には一種の濃密な雰囲気があった。気張らずに、静かに、しかしわが道を行くという感じだろうか。すれちがう人たちや周囲のものごとに眼を向けるよりも自分自身の内側の想念に注意を集中しているような人物、そういう人間にそれまで私は会ったことがなかった。
そして、やがて、戦争が来た。日中戦争が拡大し、太平洋戦争がそれに続く。東京では誰も彼も「超憂国主義者」に変身し、巷には軍歌があふれていた。しかし浅間山麓には、碓氷峠の彼方には、別天地が展けていた。そこでは春にこぶしの花が咲き、秋には澄んだ青空に赤とんぼが舞い、常に変わらぬ日常的時間がゆっくりと流れていた。堀さんはそこで、追分や旧軽井沢のから松林のなかの小さな家に暮らしていて、旅へ出ることも稀であった。浅間の高原は東京から限りなく遠かったが、それ以上に堀辰雄その人の世界は軍靴の響きから遠かった。~
書斎はいつも清潔で、書棚はきちんと整理されていた。そこには日本の古代史や内外の画集や文学者の全集などがあり、机上にはモリアックのフランス語の小説やリルケのドイツ語の詩集が置かれていた。そして主人公は、大和路の風景のなかで土地の神々が渡来したばかりの仏教と出会う新しい小説の構想を語って倦むことがなかった。私が東京の文壇から遠く離れたところにも「文学」のあることを知ったのは、浅間山麓の堀さんの書斎においてである。
それからしばらく経って、私は信州よりも、軽井沢や追分よりも、はるかに遠い国へ旅立ち、数年が過ぎた。再び日本国へ帰って来たときに、堀さんはもう居なかった。
信濃追分の交差点を斜め左に入っていくと、綺麗に舗装された道路の一角に堀辰雄文学記念館がある。
芥川龍之介が唯一弟子をとったのが堀辰雄であった。龍之介は堀に「僕の書斎の本は何でも自由に読みたまえ、遠慮するな」と言った。最初は理数系の男であった堀がこんな恵まれた機会をえることによって、徐々に文学に傾注して行った。また堀は龍之介のほかに室生犀星を師としたが、その犀星が彼のことを「自分で半分物を言ひ対手にあとを言はせるやうな、徳のある、好意をもたれる人である」と評している。
記念館の道路をはさんで北向かいにちょうど油屋がある。今では洒落た建物に変っていた。
その頃、1930年代の追分の旅館、油屋の主人は小川誠一郎さんである。中肉中背、日やけして顔色浅黒く、ほとんど精悍というのに近い印象を与えた。折にふれて渋く低い美声で、「追分節」や「馬子唄」を唱い、これを唱えるのは、もはや他に誰もいないと言われていた。~
しかし明治になって鉄道が通じ、旅人は中山道を見捨てて、宿場はさびれた。軽井沢は避暑地として生きのび、沓掛がそれに続いたが、追分はさびれたままで、わずかにかつての脇本陣油屋だけが宿屋として残った。宿屋とはいっても、旅の泊り客はほとんどない、温泉地ではないから遊山の客が集まるわけでもない、客の大部分は、私が初めて訪ねた三〇年代には、高等文官試験の準備に専念していた大学生たちである。
その中には後に外交官となり、モントリオールやパリで再会した井川大使も含まれていて、機知に富み、口が悪く、活気にあふれ、中学生の私にも親切だった。
また試験勉強のためだけではなく夏の油屋に逗留していた学生たちも居た。そのころ油屋に泊まっていた堀辰雄を慕って来た立原道造や野村英夫、また一人、二人の文学部の学生。要するに夏の油屋はほとんど学生寮の観を呈していた。
加藤周一著『高原好日』より。。。
(写真は2013年9月25日撮影)
つづく・・・
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加藤周一のもう一つの本業は医者であり、専門は血液学、そして内科医でもあった。信州で堀辰雄のかかりつけの医者でもあった。
堀辰雄(1904~53)は私が最初に出会った作家である。その頃堀さんは、夏の夕暮れに、追分村の油屋の前の中山道を着流しで散歩していた。「あれが堀辰雄だ」と油屋に泊まっていた学生が教えてくれた。その散歩姿には一種の濃密な雰囲気があった。気張らずに、静かに、しかしわが道を行くという感じだろうか。すれちがう人たちや周囲のものごとに眼を向けるよりも自分自身の内側の想念に注意を集中しているような人物、そういう人間にそれまで私は会ったことがなかった。
そして、やがて、戦争が来た。日中戦争が拡大し、太平洋戦争がそれに続く。東京では誰も彼も「超憂国主義者」に変身し、巷には軍歌があふれていた。しかし浅間山麓には、碓氷峠の彼方には、別天地が展けていた。そこでは春にこぶしの花が咲き、秋には澄んだ青空に赤とんぼが舞い、常に変わらぬ日常的時間がゆっくりと流れていた。堀さんはそこで、追分や旧軽井沢のから松林のなかの小さな家に暮らしていて、旅へ出ることも稀であった。浅間の高原は東京から限りなく遠かったが、それ以上に堀辰雄その人の世界は軍靴の響きから遠かった。~
書斎はいつも清潔で、書棚はきちんと整理されていた。そこには日本の古代史や内外の画集や文学者の全集などがあり、机上にはモリアックのフランス語の小説やリルケのドイツ語の詩集が置かれていた。そして主人公は、大和路の風景のなかで土地の神々が渡来したばかりの仏教と出会う新しい小説の構想を語って倦むことがなかった。私が東京の文壇から遠く離れたところにも「文学」のあることを知ったのは、浅間山麓の堀さんの書斎においてである。
それからしばらく経って、私は信州よりも、軽井沢や追分よりも、はるかに遠い国へ旅立ち、数年が過ぎた。再び日本国へ帰って来たときに、堀さんはもう居なかった。
芥川龍之介が唯一弟子をとったのが堀辰雄であった。龍之介は堀に「僕の書斎の本は何でも自由に読みたまえ、遠慮するな」と言った。最初は理数系の男であった堀がこんな恵まれた機会をえることによって、徐々に文学に傾注して行った。また堀は龍之介のほかに室生犀星を師としたが、その犀星が彼のことを「自分で半分物を言ひ対手にあとを言はせるやうな、徳のある、好意をもたれる人である」と評している。
記念館の道路をはさんで北向かいにちょうど油屋がある。今では洒落た建物に変っていた。
その頃、1930年代の追分の旅館、油屋の主人は小川誠一郎さんである。中肉中背、日やけして顔色浅黒く、ほとんど精悍というのに近い印象を与えた。折にふれて渋く低い美声で、「追分節」や「馬子唄」を唱い、これを唱えるのは、もはや他に誰もいないと言われていた。~
しかし明治になって鉄道が通じ、旅人は中山道を見捨てて、宿場はさびれた。軽井沢は避暑地として生きのび、沓掛がそれに続いたが、追分はさびれたままで、わずかにかつての脇本陣油屋だけが宿屋として残った。宿屋とはいっても、旅の泊り客はほとんどない、温泉地ではないから遊山の客が集まるわけでもない、客の大部分は、私が初めて訪ねた三〇年代には、高等文官試験の準備に専念していた大学生たちである。
その中には後に外交官となり、モントリオールやパリで再会した井川大使も含まれていて、機知に富み、口が悪く、活気にあふれ、中学生の私にも親切だった。
また試験勉強のためだけではなく夏の油屋に逗留していた学生たちも居た。そのころ油屋に泊まっていた堀辰雄を慕って来た立原道造や野村英夫、また一人、二人の文学部の学生。要するに夏の油屋はほとんど学生寮の観を呈していた。
加藤周一著『高原好日』より。。。
(写真は2013年9月25日撮影)
つづく・・・
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by kirakuossan
| 2016-10-04 09:17
| 文芸
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