2016年 09月 14日
山の温泉 その1 |
2016年9月14日(水)
夕立ともつかず、時雨ともつかないような、夏から秋に移り変る時の短い雨が来た。草木にそそぐ音は夕立ほど激しくない。最早初茸を箱に入れて、木の葉のついた樺色なやつや、緑青がかったやつなぞを近在の老婆達が売りに来る。
一月ばかり前に、私は田沢温泉という方へ出掛けて行って来た。あの話を君にするのを忘れた。
温泉地にも種々あるが、山の温泉は別種の趣がある。上田町に近い別所温泉なぞ開けた方で、随って種々の便利も具わっている。しかし、山国らしい温泉の感じは、反って不便な田沢、霊泉寺などに多く味われる。あの辺にも相応な温泉宿は無いではないが、なにしろ土地の者が味噌や米を携えて労苦を忘れに行くという場所だ。自炊する浴客が多い。宿では部屋だけでも貸す。それに部屋付の竃が具えてある。浴客は下駄穿のまま庭から直に楼梯を上って、楼上の部屋へ通うことも出来る。この土足で昇降の出来るように作られた建物を見ると、山深いところにある温泉宿の気がする。鹿沢温泉(山の湯)と来たら、それこそ野趣に富んでいるという話だ。
半ば緑葉に包まれ、半ば赤い崖に成った山脈に添うて、千曲川の激流を左に望みながら、私は汽車で上田まで乗った。上田橋――赤く塗った鉄橋――あれを渡る時は、大河らしい千曲川の水を眼下に眺めて行った。私は上田附近の平地にある幾多の村落の間を歩いて通った。あの辺はいかにも田舎道らしい気のするところだ。途中に樹蔭もある。腰掛けて休む粗末な茶屋もある。
青木村というところで、いかに農夫達が労苦するかを見た。彼等の背中に木の葉を挿して、それを僅わずかの日除としながら、田の草を取って働いていた。私なぞは洋傘でもなければ歩かれない程の熱い日ざかりに。この農村を通り抜けると、すこし白く濁った川に随いて、谷深く坂道を上るように成る。川の色を見ただけでも、湯場に近づいたことを知る。そのうちに、こんな看板の掛けてあるところへ出た。
┏━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 湯 ┃
┃ み や ば ら ┃
┃ 本 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━┛
升屋(ますや)というは眺望の好い温泉宿だ。湯川の流れる音が聞える楼上で、私達の学校の校長の細君が十四五人ばかりの女生徒を連れて来ているのに逢った。この娘達も私が余暇に教えに行く方の生徒だ。
楼上から遠く浅間一帯の山々を望んだ。浅間の見えない日は心細い、などと校長の細君は話していた。
十九夜の月の光がこの谷間に射し入った。人々が多く寝静まった頃、まだ障子を明るくして、盛んに議論している浴客の声も聞えた。
「身体は小さいけれど、そんな野蛮人じゃねえ」
理屈ッぽい人達の言いそうな言葉だ。
翌日は朝霧の籠った谿谷に朝の光が満ちて、近い山も遠く、家々から立登る煙は霧よりも白く見えた。浅間は隠れた。山のかなたは青がかった灰色に光った。白い雲が山脈に添うて起るのも望まれた。国さんという可憐の少年も姉娘に附いて来ていて、温泉宿の二階で玩具の銀笛を吹いた。
そこは保福寺峠と地蔵峠とに挟まれた谷間だ。二十日の月はその晩も遅くなって上った。水の流が枕に響いて眠られないので、一旦寝た私は起きて、こういう場所の月夜の感じを味った。高い欄に倚凭って聞くと、さまざまの虫の声が水音と一緒に成って、この谷間に満ちていた。その他暗い沢の底の方には種々な声があった。――遅くなって戸を閉める音、深夜の人の話声、犬の啼声、楽しそうな農夫の唄。
四日目の朝まだ暗いうちに、私達は月明りで仕度して、段々夜の明けて行く山道を別所の方へ越した。
千曲川のスケッチ「山の温泉」より(島崎藤村)
「夕立ともつかず、時雨ともつかないような、夏から秋に移り変る時の短い雨が来た。草木にそそぐ音は夕立ほど激しくない」
今日はまさしくそんな日になりそうだ。よし、少し足を伸ばして島崎藤村がよく逗留した山の温泉に行ってみよう。
ますや旅館にて。
「升屋(ますや)というは眺望の好い温泉宿だ。湯川の流れる音が聞える楼上で、私達の学校の校長の細君が十四五人ばかりの女生徒を連れて来ているのに逢った。この娘達も私が余暇に教えに行く方の生徒だ」
これは神戸大学のESSクラブ女性部員の集合写真(1960年3月4日)神戸大学ESS UNION CLUBブログより
追記:
「半ば緑葉に包まれ、半ば赤い崖に成った山脈に添うて、千曲川の激流を左に望みながら、私は汽車で上田まで乗った。上田橋――赤く塗った鉄橋――あれを渡る時は、大河らしい千曲川の水を眼下に眺めて行った」
つづく・・・
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夕立ともつかず、時雨ともつかないような、夏から秋に移り変る時の短い雨が来た。草木にそそぐ音は夕立ほど激しくない。最早初茸を箱に入れて、木の葉のついた樺色なやつや、緑青がかったやつなぞを近在の老婆達が売りに来る。
一月ばかり前に、私は田沢温泉という方へ出掛けて行って来た。あの話を君にするのを忘れた。
温泉地にも種々あるが、山の温泉は別種の趣がある。上田町に近い別所温泉なぞ開けた方で、随って種々の便利も具わっている。しかし、山国らしい温泉の感じは、反って不便な田沢、霊泉寺などに多く味われる。あの辺にも相応な温泉宿は無いではないが、なにしろ土地の者が味噌や米を携えて労苦を忘れに行くという場所だ。自炊する浴客が多い。宿では部屋だけでも貸す。それに部屋付の竃が具えてある。浴客は下駄穿のまま庭から直に楼梯を上って、楼上の部屋へ通うことも出来る。この土足で昇降の出来るように作られた建物を見ると、山深いところにある温泉宿の気がする。鹿沢温泉(山の湯)と来たら、それこそ野趣に富んでいるという話だ。
半ば緑葉に包まれ、半ば赤い崖に成った山脈に添うて、千曲川の激流を左に望みながら、私は汽車で上田まで乗った。上田橋――赤く塗った鉄橋――あれを渡る時は、大河らしい千曲川の水を眼下に眺めて行った。私は上田附近の平地にある幾多の村落の間を歩いて通った。あの辺はいかにも田舎道らしい気のするところだ。途中に樹蔭もある。腰掛けて休む粗末な茶屋もある。
青木村というところで、いかに農夫達が労苦するかを見た。彼等の背中に木の葉を挿して、それを僅わずかの日除としながら、田の草を取って働いていた。私なぞは洋傘でもなければ歩かれない程の熱い日ざかりに。この農村を通り抜けると、すこし白く濁った川に随いて、谷深く坂道を上るように成る。川の色を見ただけでも、湯場に近づいたことを知る。そのうちに、こんな看板の掛けてあるところへ出た。
┏━━━━━━━━━━━━━┓
┃ 湯 ┃
┃ み や ば ら ┃
┃ 本 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━┛
升屋(ますや)というは眺望の好い温泉宿だ。湯川の流れる音が聞える楼上で、私達の学校の校長の細君が十四五人ばかりの女生徒を連れて来ているのに逢った。この娘達も私が余暇に教えに行く方の生徒だ。
楼上から遠く浅間一帯の山々を望んだ。浅間の見えない日は心細い、などと校長の細君は話していた。
十九夜の月の光がこの谷間に射し入った。人々が多く寝静まった頃、まだ障子を明るくして、盛んに議論している浴客の声も聞えた。
「身体は小さいけれど、そんな野蛮人じゃねえ」
理屈ッぽい人達の言いそうな言葉だ。
翌日は朝霧の籠った谿谷に朝の光が満ちて、近い山も遠く、家々から立登る煙は霧よりも白く見えた。浅間は隠れた。山のかなたは青がかった灰色に光った。白い雲が山脈に添うて起るのも望まれた。国さんという可憐の少年も姉娘に附いて来ていて、温泉宿の二階で玩具の銀笛を吹いた。
そこは保福寺峠と地蔵峠とに挟まれた谷間だ。二十日の月はその晩も遅くなって上った。水の流が枕に響いて眠られないので、一旦寝た私は起きて、こういう場所の月夜の感じを味った。高い欄に倚凭って聞くと、さまざまの虫の声が水音と一緒に成って、この谷間に満ちていた。その他暗い沢の底の方には種々な声があった。――遅くなって戸を閉める音、深夜の人の話声、犬の啼声、楽しそうな農夫の唄。
四日目の朝まだ暗いうちに、私達は月明りで仕度して、段々夜の明けて行く山道を別所の方へ越した。
千曲川のスケッチ「山の温泉」より(島崎藤村)
「夕立ともつかず、時雨ともつかないような、夏から秋に移り変る時の短い雨が来た。草木にそそぐ音は夕立ほど激しくない」
今日はまさしくそんな日になりそうだ。よし、少し足を伸ばして島崎藤村がよく逗留した山の温泉に行ってみよう。
ますや旅館にて。
これは神戸大学のESSクラブ女性部員の集合写真(1960年3月4日)神戸大学ESS UNION CLUBブログより
追記:
(16:20)
つづく・・・
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by kirakuossan
| 2016-09-14 07:50
| 温泉♨
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