2016年 06月 26日
”乾いた音”を出すティンパニストは誰だ? |
2016年6月26日(日)
1959年秋、カレル・アンチェルが率いるチェコ・フィルハーモニーが初来日した。10月18日の日比谷公会堂の演奏会から始まり約3週間全国を駆け回った。大阪にも11月6日、7日両日フェスティバルホールに来演、ムソルグスキー「展覧会の絵」やチャイコフスキーの交響曲第6番、そしてドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」を披露。翌8日にも大阪府立体育館で「新世界より」を演奏した。この一連の来日公演はいずれも熱演で歴史に残る人気を博したが、これは偶然にも同時期10日遅れで来日したカラヤン指揮するウィーン・フィルハーモニーの来日公演に対するライバル意識であったともされている。
強い印象が残っている間もない頃、1961年に同じアンチェルとチェコ・フィルにより録音されたのがこのレコードである。「明澄なアンサンブル、鋭いリズム感を持つ現代感覚に満ちた演奏であったことはいまだに忘れることが出来ない。このレコードはその時の名演奏を我々の身近に再現してくれるものである」とライナー・ノーツで渡邊学而氏が語る。
また当時、当代きっての音楽評論家の一人であった野村光一氏をしてチェコ・フィルを「弦管のアンサンブルは例えようもなく美しく、これほどの音はかつてきいたことがない」と言わしめた。1950年代半ばから60年代にかけてのチェコ・フィルは、そんな形容の仕様がないくらいに魅惑的な響きを聴かせた。よく弦と管が褒めたたえられ、まったくその通りで異論はないのだが、ティンパニーのあの響きそのものもチェコ・フィルにしかない独特のものであった。今、こうして改めてこの盤を聴いてそのことを実感しさらに興味は増すのである。
ちょうどうまい具合に比較対照出来るレコードが揃ったので聴き比べてみた。
チェコ・フィルのティンパニは皮のよく張りつめた乾いた高い音がする。これに相対するのがパリ管のティンパニで、こちらのはボロロンと低く拡がりのある音がする。それより幾分高めで、深みのある響きがウィーン・フィル、ベルリンフィルは低く、深く、でも引き締まった音がする。このときは間違いなくヴェルナー・テーリヒェンが叩いている。またアメリカシカゴ響は、低めで幾分乾き気味の響き・・・とそれぞれに異なる。ティンパニによってこれほどに変わるのは面白いもので、場合によっては曲想を代えてしまいかねないほど、まさにそんな一撃である。
ドヴォルザーク:
交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」 Op. 95
I. Adagio - Allegro molto
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
カレル・アンチェル(指揮)
1961年12月
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
イシュトヴァン・ケルテス(指揮)
1961年
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
1964年3月
シカゴ交響楽団
フリッツ・ライナー(指揮)
1957年11月
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
ヴァーツラフ・ターリヒ
1954年
あとは好き好きだが、ボヘミア生まれのドヴォルザークがアメリカの地で故郷を思い浮かべて書いた「新世界より」、この曲には”乾いた音”が一番似合いそうだ。チェコ・フィルのティンパニ奏者としては、70年代以降のノイマン時代のヴァーツラフ・マザーチェクが有名で、彼こそがアンサンブルを立て直す一撃を叩ける人であったが、彼の音は深く、重く、よく響いた、明らかに違う質のものである。逆にこれより7年前のターリヒとの演奏でのティンパニはもっと重い音がする、ということでこれも違う。アンチェル時代のティンパニストだけがこの”乾いた音”を出す。おそらく別人であろう。
それにしても、ベートーヴェンの第5番といい、ドヴォルザークの第9番といい、曲の長さをまったく感じさせない。気がつけばもう最終楽章にさしかかるといった具合で、40分内外の楽曲があっというまに終わってしまう。それほど両方ともにむだのない完璧な仕上がりの交響曲である証であろう。今日のところはこのあたりのオチで・・・
”乾いた音”、これから調べて誰なのか確証をつかみたい事象にまた出くわしてしまった。
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1959年秋、カレル・アンチェルが率いるチェコ・フィルハーモニーが初来日した。10月18日の日比谷公会堂の演奏会から始まり約3週間全国を駆け回った。大阪にも11月6日、7日両日フェスティバルホールに来演、ムソルグスキー「展覧会の絵」やチャイコフスキーの交響曲第6番、そしてドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」を披露。翌8日にも大阪府立体育館で「新世界より」を演奏した。この一連の来日公演はいずれも熱演で歴史に残る人気を博したが、これは偶然にも同時期10日遅れで来日したカラヤン指揮するウィーン・フィルハーモニーの来日公演に対するライバル意識であったともされている。
強い印象が残っている間もない頃、1961年に同じアンチェルとチェコ・フィルにより録音されたのがこのレコードである。「明澄なアンサンブル、鋭いリズム感を持つ現代感覚に満ちた演奏であったことはいまだに忘れることが出来ない。このレコードはその時の名演奏を我々の身近に再現してくれるものである」とライナー・ノーツで渡邊学而氏が語る。
また当時、当代きっての音楽評論家の一人であった野村光一氏をしてチェコ・フィルを「弦管のアンサンブルは例えようもなく美しく、これほどの音はかつてきいたことがない」と言わしめた。1950年代半ばから60年代にかけてのチェコ・フィルは、そんな形容の仕様がないくらいに魅惑的な響きを聴かせた。よく弦と管が褒めたたえられ、まったくその通りで異論はないのだが、ティンパニーのあの響きそのものもチェコ・フィルにしかない独特のものであった。今、こうして改めてこの盤を聴いてそのことを実感しさらに興味は増すのである。
ちょうどうまい具合に比較対照出来るレコードが揃ったので聴き比べてみた。
チェコ・フィルのティンパニは皮のよく張りつめた乾いた高い音がする。これに相対するのがパリ管のティンパニで、こちらのはボロロンと低く拡がりのある音がする。それより幾分高めで、深みのある響きがウィーン・フィル、ベルリンフィルは低く、深く、でも引き締まった音がする。このときは間違いなくヴェルナー・テーリヒェンが叩いている。またアメリカシカゴ響は、低めで幾分乾き気味の響き・・・とそれぞれに異なる。ティンパニによってこれほどに変わるのは面白いもので、場合によっては曲想を代えてしまいかねないほど、まさにそんな一撃である。
ドヴォルザーク:
交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」 Op. 95
I. Adagio - Allegro molto
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
カレル・アンチェル(指揮)
1961年12月
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
イシュトヴァン・ケルテス(指揮)
1961年
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
1964年3月
シカゴ交響楽団
フリッツ・ライナー(指揮)
1957年11月
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
ヴァーツラフ・ターリヒ
1954年
あとは好き好きだが、ボヘミア生まれのドヴォルザークがアメリカの地で故郷を思い浮かべて書いた「新世界より」、この曲には”乾いた音”が一番似合いそうだ。チェコ・フィルのティンパニ奏者としては、70年代以降のノイマン時代のヴァーツラフ・マザーチェクが有名で、彼こそがアンサンブルを立て直す一撃を叩ける人であったが、彼の音は深く、重く、よく響いた、明らかに違う質のものである。逆にこれより7年前のターリヒとの演奏でのティンパニはもっと重い音がする、ということでこれも違う。アンチェル時代のティンパニストだけがこの”乾いた音”を出す。おそらく別人であろう。
それにしても、ベートーヴェンの第5番といい、ドヴォルザークの第9番といい、曲の長さをまったく感じさせない。気がつけばもう最終楽章にさしかかるといった具合で、40分内外の楽曲があっというまに終わってしまう。それほど両方ともにむだのない完璧な仕上がりの交響曲である証であろう。今日のところはこのあたりのオチで・・・
”乾いた音”、これから調べて誰なのか確証をつかみたい事象にまた出くわしてしまった。
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by kirakuossan
| 2016-06-26 11:22
| クラシック
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