2016年 06月 23日
知り尽くしていなきゃいけない二十曲のうちの一曲 |
2016年6月23日(木)
Concerto for Orchestra.
「管弦楽のための協奏曲」はハンガリーの作曲家バルトーク・ベーラ(1881~1945)の晩年の代表作であり、最高傑作のひとつにも数えられる。
五楽章からなる交響曲と言ってもさしつかえない作品だが、各楽器をあたかも独奏楽器のように扱ったり、tuttiと室内楽的アンサンブルが交錯するような楽曲構造をとっているところから「協奏曲」と言う名がついている、。なお各楽章のタイトルはバルトーク自身によるものである。
第1楽章Introduzione(序章)Andante non troppo - Allegro vivace
第2楽章Giuoco delle coppie(対の遊び)Allegro scherzando
第3楽章Elegia(悲歌)Andante non troppo
第4楽章Intermezzo interrotto(中断された間奏曲)Allegretto
第5楽章Finale(終曲)Pesante - Presto
小澤征爾と武満徹の対談『音楽』を読んでいて、二人の話ではどうしても避けては通れない音楽とか、知っているのは常識とか言うもんだから今日は正念を入れてしっかりと聴いてみようと思った。レコードは1972年に買っているのに今まで敬遠して、初めて全曲を聴き通したようなものだ。聴き終えて苦手だったバルトークの音楽にようやく足を一歩踏み入れた思いがした。
小澤:
実はきょう桐朋学園でオーケストラを指揮していて、気になる事が起ったんです。というのは彼ら、バルトークのオケ・コンすなわち「コンチェルト・フォア・オーケストラ」を管の人なんかがちゃんと吹けてないで来ているんです。吹けてないだけじゃなくて、完璧にやろうという熱意が感じられない。バルトークのオケ・コンは、音楽家になろうと思った瞬間には、特にオーケストラの演奏家は、知り尽くしていなきゃいけない二十曲のうちの一曲で、これを避けて通ることはできないはずなんですね。
武満:
そうだよね。
小澤:
それはだれだってそう思っている常識なんです。それを真面目にやってきていないのは、そもそも音楽家なんかにならない方がいいっていうことだ。ところが彼らは吹けないし熱意がない。僕はあんまり頭に来たから、演説ぶったわけ。
Concerto for Orchestra.は指揮者セルゲイ・クーセヴィツキーが、自身のボストン響音楽監督就任20周年記念と亡くなったナターリヤ夫人の追憶のための作品としてバルトークに作曲を依頼したことにより生まれた。それはアメリカへ移住したバルトークが完全に創作の意欲を失い、体調も芳しくないうえに経済的にも困窮の頃で、彼を励ます意味も込めて同郷ハンガリーののフリッツ・ライナーやヨーゼフ・シゲティからの提案でもあった。
1943年、バルトークはニューヨーク北部、アパラチア山地にある避暑地サラナク湖畔にて、たった2か月足らずで一気に書き上げた。
バルトーク:
管弦楽のための協奏曲 BB 123
シカゴ交響楽団
小澤征爾 (指揮)
.
Concerto for Orchestra.
「管弦楽のための協奏曲」はハンガリーの作曲家バルトーク・ベーラ(1881~1945)の晩年の代表作であり、最高傑作のひとつにも数えられる。
五楽章からなる交響曲と言ってもさしつかえない作品だが、各楽器をあたかも独奏楽器のように扱ったり、tuttiと室内楽的アンサンブルが交錯するような楽曲構造をとっているところから「協奏曲」と言う名がついている、。なお各楽章のタイトルはバルトーク自身によるものである。
第1楽章Introduzione(序章)Andante non troppo - Allegro vivace
第2楽章Giuoco delle coppie(対の遊び)Allegro scherzando
第3楽章Elegia(悲歌)Andante non troppo
第4楽章Intermezzo interrotto(中断された間奏曲)Allegretto
第5楽章Finale(終曲)Pesante - Presto
小澤征爾と武満徹の対談『音楽』を読んでいて、二人の話ではどうしても避けては通れない音楽とか、知っているのは常識とか言うもんだから今日は正念を入れてしっかりと聴いてみようと思った。レコードは1972年に買っているのに今まで敬遠して、初めて全曲を聴き通したようなものだ。聴き終えて苦手だったバルトークの音楽にようやく足を一歩踏み入れた思いがした。
小澤:
実はきょう桐朋学園でオーケストラを指揮していて、気になる事が起ったんです。というのは彼ら、バルトークのオケ・コンすなわち「コンチェルト・フォア・オーケストラ」を管の人なんかがちゃんと吹けてないで来ているんです。吹けてないだけじゃなくて、完璧にやろうという熱意が感じられない。バルトークのオケ・コンは、音楽家になろうと思った瞬間には、特にオーケストラの演奏家は、知り尽くしていなきゃいけない二十曲のうちの一曲で、これを避けて通ることはできないはずなんですね。
武満:
そうだよね。
小澤:
それはだれだってそう思っている常識なんです。それを真面目にやってきていないのは、そもそも音楽家なんかにならない方がいいっていうことだ。ところが彼らは吹けないし熱意がない。僕はあんまり頭に来たから、演説ぶったわけ。
Concerto for Orchestra.は指揮者セルゲイ・クーセヴィツキーが、自身のボストン響音楽監督就任20周年記念と亡くなったナターリヤ夫人の追憶のための作品としてバルトークに作曲を依頼したことにより生まれた。それはアメリカへ移住したバルトークが完全に創作の意欲を失い、体調も芳しくないうえに経済的にも困窮の頃で、彼を励ます意味も込めて同郷ハンガリーののフリッツ・ライナーやヨーゼフ・シゲティからの提案でもあった。
1943年、バルトークはニューヨーク北部、アパラチア山地にある避暑地サラナク湖畔にて、たった2か月足らずで一気に書き上げた。
バルトーク:
管弦楽のための協奏曲 BB 123
シカゴ交響楽団
小澤征爾 (指揮)
.
by kirakuossan
| 2016-06-23 14:17
| クラシック
|
Trackback