2016年 05月 29日
『絹と明察』 その5 |
2016年5月29日(日)
駒沢がたえず「話せばわかる」と口癖にしてきたその確信、面と向かって自分の口から言葉が発せられる以上誤解される惧れがないという、その独特な確信は「他人」に対する彼の尽きせぬ夢につながっていた。~
駒沢が、決して巧い表現とは云えないが、云おうとしていたのは、簡単で自明な事柄だった。つまり、男が自由や平等や平和について語るのは、自らを卑しめるもので、すべて女の原理の借用にすぎぬということ。少しでも自尊心のある男なら、自由や平等や平和のの反対物、すなわち服従や権威や戦いについて語るべきだということ。~
-そしてこれほど歪められようのない状況で話しているのに、彼の平和な言葉がちっとも通じない人間がいるとは、信じがたい事態であるが、駒沢は一切の例外を認めなくなかったので、大槻を例外と考えることを自分に拒んだ。こんな頑固さが、彼をさらに悲境へみちびき、今まで夢想もしなかった恐ろしい疑惑を強いた。
「もし、こいつが例外でないとすれば、ひょっとすると、今まで俺の言葉は誰にも通じていなかったのではないか?」~
彼は苦痛に堪えぬように、弱々しい声で訊いた。それは彼が他人に対して発した人生で最初の質問だった。
「ほんまにわしの言うことがわからんのか?」
「わかりません」
「同じ日本語を喋っとるのに?」
「それでもわかりません」
「何でや」
青年は目をみひらいて、きっぱり言った。
「あなたは不正直だからです。嘘をついているからです」
そのとき開け放した窓に風が起り、白い空の深みで遠雷が軋んだ。それは夏のあいだしばしば彦根城の天守閣に稲妻を閃めかせ、濠の水や石垣を蒼々と浮かばせた雷雨の兆しではなくて、季節外れに、遠く衰えて燻んでいる雷鳴にすぎなかった。
三島由紀夫 『絹と明察』駒沢善次郎の対話より
争議後の昭和29年9月に出版された『近江絹絲 労働争議の真相』(秦成光編著/凡友社刊)には、”よき親父”を以って任じていた駒沢、いわく夏川嘉久次社長がいつわりのない心境で淡々と語ったとある。
「私のように地道な一介の事業家を、どうして全繊が執拗に追いかけてくるのだろうか。専門家の意見によると、今の日本の労組の中でも、最も非戦闘的という点で全繊は代表的な一つになっているそうだが、その全繊が、どうして近江絹絲だけにこんなに強く当るのだろうか。私は色々考えてみた。もしかしたら、利害関係からきているかも知れない」
そしてこう付け加える・・・
「正直な話、これまでの私の頭は、会社を大きくするこだけで一杯だった。私はそのために、馬車馬のように走り続けてきた。はたして会社は大きくなったが、私一人の力ではない。私は従業員諸君の協力に、心から頭を下げる。これまでの近江絹絲には、ストというものがなかった。そんなことで足踏みしていたらとてもここまで発展できなかったろう。後顧の憂いがなかったから、私は会社の前進にからだごとぶつかってこられたのである。事業の運営が私のすべてであり、事実私は、それ以上の時間を持たなかった。そのため労働問題や労働法規に対する研究が不十分で、今度の争議でも部分的断片的に揚げ足をとられる結果になってしまった。けれども、”正”を”正”とする私の信念は微動だもしない」
つづく・・・
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駒沢が、決して巧い表現とは云えないが、云おうとしていたのは、簡単で自明な事柄だった。つまり、男が自由や平等や平和について語るのは、自らを卑しめるもので、すべて女の原理の借用にすぎぬということ。少しでも自尊心のある男なら、自由や平等や平和のの反対物、すなわち服従や権威や戦いについて語るべきだということ。~
-そしてこれほど歪められようのない状況で話しているのに、彼の平和な言葉がちっとも通じない人間がいるとは、信じがたい事態であるが、駒沢は一切の例外を認めなくなかったので、大槻を例外と考えることを自分に拒んだ。こんな頑固さが、彼をさらに悲境へみちびき、今まで夢想もしなかった恐ろしい疑惑を強いた。
「もし、こいつが例外でないとすれば、ひょっとすると、今まで俺の言葉は誰にも通じていなかったのではないか?」~
彼は苦痛に堪えぬように、弱々しい声で訊いた。それは彼が他人に対して発した人生で最初の質問だった。
「ほんまにわしの言うことがわからんのか?」
「わかりません」
「同じ日本語を喋っとるのに?」
「それでもわかりません」
「何でや」
青年は目をみひらいて、きっぱり言った。
「あなたは不正直だからです。嘘をついているからです」
そのとき開け放した窓に風が起り、白い空の深みで遠雷が軋んだ。それは夏のあいだしばしば彦根城の天守閣に稲妻を閃めかせ、濠の水や石垣を蒼々と浮かばせた雷雨の兆しではなくて、季節外れに、遠く衰えて燻んでいる雷鳴にすぎなかった。
三島由紀夫 『絹と明察』駒沢善次郎の対話より
争議後の昭和29年9月に出版された『近江絹絲 労働争議の真相』(秦成光編著/凡友社刊)には、”よき親父”を以って任じていた駒沢、いわく夏川嘉久次社長がいつわりのない心境で淡々と語ったとある。
「私のように地道な一介の事業家を、どうして全繊が執拗に追いかけてくるのだろうか。専門家の意見によると、今の日本の労組の中でも、最も非戦闘的という点で全繊は代表的な一つになっているそうだが、その全繊が、どうして近江絹絲だけにこんなに強く当るのだろうか。私は色々考えてみた。もしかしたら、利害関係からきているかも知れない」
そしてこう付け加える・・・
「正直な話、これまでの私の頭は、会社を大きくするこだけで一杯だった。私はそのために、馬車馬のように走り続けてきた。はたして会社は大きくなったが、私一人の力ではない。私は従業員諸君の協力に、心から頭を下げる。これまでの近江絹絲には、ストというものがなかった。そんなことで足踏みしていたらとてもここまで発展できなかったろう。後顧の憂いがなかったから、私は会社の前進にからだごとぶつかってこられたのである。事業の運営が私のすべてであり、事実私は、それ以上の時間を持たなかった。そのため労働問題や労働法規に対する研究が不十分で、今度の争議でも部分的断片的に揚げ足をとられる結果になってしまった。けれども、”正”を”正”とする私の信念は微動だもしない」
つづく・・・
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by kirakuossan
| 2016-05-29 06:40
| 文芸
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