2016年 04月 23日
「先ずは現場ありき」 |
2016年4月23日(土)
本居宣長は代表作『古事記伝』を著すのに1764年(明和元年)に起稿し1798年(寛政10年)に脱稿、34年の歳月を要した。小林秀雄は大作『本居宣長』に晩年の11年半を執筆に費やした。そんなことだからこの書物は途中で投げ出さずに600頁最後まで読みきろうと思っている。かりに1年かかったとしても宣長や著者の努力からすれば短いものである。そう思って本著を読み始めたが、漢文が多く含まれ、旧かな文字で書かれてあることもあって、じっくりと一文字一文字を大切に読んでいかないと意味も分からないし、読んでいても面白くない。ところが冒頭から、先日行ってきた宣長の旧宅の箱物の階段の著述がでてくる。この個所などその様子を知らない者にとっては別段興味を抱くものでもないが、実際に当時のこの階段を目にし、向かいにあるあとから備え付けた(これもかなり古いが・・・)階段を2段ほど登り、立ち入り禁止となっている二階をそっとのぞき見してはじめて、ここの文章が生きた形で蘇って来る。「先ずは現場ありき」、時間を掛けて松阪まで行ったのは正解であった。おかげで難書にも親しみを持って入っていくことができる。
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本居宣長は代表作『古事記伝』を著すのに1764年(明和元年)に起稿し1798年(寛政10年)に脱稿、34年の歳月を要した。小林秀雄は大作『本居宣長』に晩年の11年半を執筆に費やした。そんなことだからこの書物は途中で投げ出さずに600頁最後まで読みきろうと思っている。かりに1年かかったとしても宣長や著者の努力からすれば短いものである。そう思って本著を読み始めたが、漢文が多く含まれ、旧かな文字で書かれてあることもあって、じっくりと一文字一文字を大切に読んでいかないと意味も分からないし、読んでいても面白くない。ところが冒頭から、先日行ってきた宣長の旧宅の箱物の階段の著述がでてくる。この個所などその様子を知らない者にとっては別段興味を抱くものでもないが、実際に当時のこの階段を目にし、向かいにあるあとから備え付けた(これもかなり古いが・・・)階段を2段ほど登り、立ち入り禁止となっている二階をそっとのぞき見してはじめて、ここの文章が生きた形で蘇って来る。「先ずは現場ありき」、時間を掛けて松阪まで行ったのは正解であった。おかげで難書にも親しみを持って入っていくことができる。
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by kirakuossan
| 2016-04-23 13:29
| 文芸
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