2016年 03月 10日
世界のオーケストラ/第23回 <ウィーン交響楽団> ウィーンの香りも持ち合わせた国際感覚の音楽 |
2016年3月10日(木)
ウィーン交響楽団
イギリスのロンドンではロンドン交響楽団に劣らずフィルハーモニー管弦楽団が素晴らしい、パリではパリ管弦楽団もよいが、フランス国立管弦楽団も負けてはいない、プラハでいえば、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団に対してプラハ交響楽団の存在、そして東京でもNHK交響団より読売日本交響楽団の方が魅力あるように、どこの芸術都市にもNO2と言われるオーケストラに優れた楽団があることが多い。オーストリアの音楽の都ウィーンにおいても、ウィーン・フィルハーモニーに次ぐこのウィーン交響楽団の歴史と実力は欧米でもトップクラスに位置し、奏でる音色はどの音楽にも通じるレベルの高いものである。
その実力のほどは歴代の指揮者の顔ぶれを眺めても想像がつくものである。
フェルディナント・レーヴェ(1900年 - 1925年、首席指揮者)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1927年–1930年、ウィーン演奏協会音楽監督)
オズヴァルト・カバスタ(1934年 - 1938年、首席指揮者)
ハンス・スワロフスキー(1946年 - 1948年、首席指揮者)
ヘルベルト・フォン・カラヤン(1948年 - 1960年、ウィーン演奏協会音楽監督)
ヴォルフガング・サヴァリッシュ(1960年 - 1970年、首席指揮者)
ヨーゼフ・クリップス(1970年 - 1973年、芸術顧問)
カルロ・マリア・ジュリーニ(1973年 - 1976年、首席指揮者)
エーリッヒ・ラインスドルフ(1976年 - 1978年、首席指揮者)
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(1980年 - 1982年、首席指揮者)
クリストフ・エッシェンバッハ(1982年 - 1986年、首席指揮者)
ジョルジュ・プレートル(1986年 - 1991年、第一客演指揮者)
ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス(1991年 - 1996年、首席指揮者)
ウラジミール・フェドセーエフ(1997年 - 2005年、首席指揮者)
ファビオ・ルイージ(2005年 - 2013年、首席指揮者)
フィリップ・ジョルダン(2014年 - 、首席指揮者)
戦前ではフルトヴェングラーが、戦後ではカラヤン、サヴァリッシュ、クリップス、ジュリーニ・・・とその偉大な系譜は続いていく。最近ではフェドセーエフの後をルイージが引き継ぎ、今は期待のフィリップ・ジョルダンが一昨年から率いている。
1900年に創立され、116年にも及ぶ長い歴史の中にあって、不遇な歴史に翻弄されてきた時期もあるが、演奏水準を落とすことはあってもウィーンでの”音楽する”心を絶やすことなく守り続けてこれたのは、こういった優れた指揮者の下に歩んできた幸運があったのだろう。
しかも偏った一人の指揮者でなく、多くが2~3年の比較的短い期間の就任であったのが結果としてこのオーケストラに好結果をもたらしたのではないか。数年間、ナチス政権の「文化管弦楽団」政策に組み入れられ、ナチスの宣伝目的のため、軍需工場の中での演奏という任務に従事させられた暗黒の体験を払しょくし、戦後いち早く軌道に乗せる重要な役割を果したのが、自らも後に芸術顧問として係わるが、ヨーゼフ・クリップスである。
シューベルト:
交響曲第9番 ハ長調 「ザ・グレート」 D. 944
ウィーン交響楽団
ヨーゼフ・クリップス(指揮)
録音: 8 August 1972, Live recording, Stadthalle Bregenz, Austria(49:53)
その後の指揮者が、ドイツ人以外でも、イタリア、フランス、スペイン、ロシアと色んな指揮者の血が混じることが、世界に通用する国際的なオーケストラに成長した最大の要因であろう。そうかといって、その根底にある独特の”ウィーンの香り”も片方で持ち合わせている、という贅沢なオーケストラなのである。
このオーケストラのさらなる新しい発展はこの若きスイス人指揮者フィリップ・ジョルダンの双肩にかかっている。
シューベルト:
交響曲第9番 ハ長調 「ザ・グレート」 D. 944
ウィーン交響楽団
フィリップ・ジョルダン(指揮)
録音: 11-12 April 2015, Musikverein, Vienna, Austria(54:50)
ウィーンが生んだ偉大な作曲家シューベルトの楽曲をウィーンを代表するオーケストラの新旧二人の演奏で聴き比べるのも悪くない。なおクリップスはこの「グレート」シンフォニーは昔より愛し、得意の曲とした。
あっ、そうそうニコラス・アーノンクールはこのオーケストラのチェロ奏者だった。
ウィーン交響楽団
その実力のほどは歴代の指揮者の顔ぶれを眺めても想像がつくものである。
フェルディナント・レーヴェ(1900年 - 1925年、首席指揮者)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1927年–1930年、ウィーン演奏協会音楽監督)
オズヴァルト・カバスタ(1934年 - 1938年、首席指揮者)
ハンス・スワロフスキー(1946年 - 1948年、首席指揮者)
ヘルベルト・フォン・カラヤン(1948年 - 1960年、ウィーン演奏協会音楽監督)
ヴォルフガング・サヴァリッシュ(1960年 - 1970年、首席指揮者)
ヨーゼフ・クリップス(1970年 - 1973年、芸術顧問)
カルロ・マリア・ジュリーニ(1973年 - 1976年、首席指揮者)
エーリッヒ・ラインスドルフ(1976年 - 1978年、首席指揮者)
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(1980年 - 1982年、首席指揮者)
クリストフ・エッシェンバッハ(1982年 - 1986年、首席指揮者)
ジョルジュ・プレートル(1986年 - 1991年、第一客演指揮者)
ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス(1991年 - 1996年、首席指揮者)
ウラジミール・フェドセーエフ(1997年 - 2005年、首席指揮者)
ファビオ・ルイージ(2005年 - 2013年、首席指揮者)
フィリップ・ジョルダン(2014年 - 、首席指揮者)
戦前ではフルトヴェングラーが、戦後ではカラヤン、サヴァリッシュ、クリップス、ジュリーニ・・・とその偉大な系譜は続いていく。最近ではフェドセーエフの後をルイージが引き継ぎ、今は期待のフィリップ・ジョルダンが一昨年から率いている。
1900年に創立され、116年にも及ぶ長い歴史の中にあって、不遇な歴史に翻弄されてきた時期もあるが、演奏水準を落とすことはあってもウィーンでの”音楽する”心を絶やすことなく守り続けてこれたのは、こういった優れた指揮者の下に歩んできた幸運があったのだろう。
しかも偏った一人の指揮者でなく、多くが2~3年の比較的短い期間の就任であったのが結果としてこのオーケストラに好結果をもたらしたのではないか。数年間、ナチス政権の「文化管弦楽団」政策に組み入れられ、ナチスの宣伝目的のため、軍需工場の中での演奏という任務に従事させられた暗黒の体験を払しょくし、戦後いち早く軌道に乗せる重要な役割を果したのが、自らも後に芸術顧問として係わるが、ヨーゼフ・クリップスである。
シューベルト:
交響曲第9番 ハ長調 「ザ・グレート」 D. 944
ウィーン交響楽団
ヨーゼフ・クリップス(指揮)
録音: 8 August 1972, Live recording, Stadthalle Bregenz, Austria(49:53)
その後の指揮者が、ドイツ人以外でも、イタリア、フランス、スペイン、ロシアと色んな指揮者の血が混じることが、世界に通用する国際的なオーケストラに成長した最大の要因であろう。そうかといって、その根底にある独特の”ウィーンの香り”も片方で持ち合わせている、という贅沢なオーケストラなのである。
このオーケストラのさらなる新しい発展はこの若きスイス人指揮者フィリップ・ジョルダンの双肩にかかっている。
シューベルト:
交響曲第9番 ハ長調 「ザ・グレート」 D. 944
ウィーン交響楽団
フィリップ・ジョルダン(指揮)
録音: 11-12 April 2015, Musikverein, Vienna, Austria(54:50)
ウィーンが生んだ偉大な作曲家シューベルトの楽曲をウィーンを代表するオーケストラの新旧二人の演奏で聴き比べるのも悪くない。なおクリップスはこの「グレート」シンフォニーは昔より愛し、得意の曲とした。
あっ、そうそうニコラス・アーノンクールはこのオーケストラのチェロ奏者だった。
by kirakuossan
| 2016-03-10 09:23
| 世界のオーケストラ
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