2016年 02月 12日
ズバッときて、それでいてきわめて平易である。 |
2016年2月12日(金)
アトリエから自宅まで歩いて往復するとちょうど1時間。力さんが週2回は1時間歩くと良いよ、と言っていたが、久々に歩いたらもう汗びっしょり。なにか余分な水分が全部抜けていくようで気持ちいい。もちろん『岩田君のクロ』を探しに、自宅の筑摩書房文学全集を取りに戻ったのだが、残念ながらその中には掲載されていなかった。でも井伏鱒二集巻末の「人と文学」の解説者が河上徹太郎だったりして、またまた読みだしたりしていると・・・もう昼飯どき、熱熱の吉田流半熟卵入り饂飩でも食うか。えらいものでフーフーして食べだすと、窓ガラスが急にくもりだした。
思へば私は最初から井伏の身辺にゐて仕事をして来、彼のことは書き過ぎるほど書いて来た。今その決定版全集を座右におき、全部とまではいかなかったが、目ぼしいものを読み漁った。~
私が今度拾い読みして井伏の全作品について感じたことは、敢えて誤解される危険を冒していへば、彼は「冷たい」作家だといふことである。これは彼が人間的に温かい人だとか、その文章の現実への肉薄ぶりが、直接鋭く切り込むのではなく、柔かく抱くやうな筆触であるのに対し、反対な表現のやうであるが、私は殊更異を立ててゐるのではなく、「冷厳」や「冷徹」の「冷」である。武田氏(武田泰淳)の例を借りれば、北斎は冷たい。あの冷たさである。<略>
これで作品を一巡したが、最後に井伏の作風からいっても、人柄からいっても、その随筆に、小説に劣らず重要な作品があることを注意しておきたい。 河上徹太郎
河上徹太郎の文章はいつ読んでも適確な表現でズバッとくる。それでいてきわめて平易である。どこまでも温かく思いやりが感じ取れるのである。
思へば私は最初から井伏の身辺にゐて仕事をして来、彼のことは書き過ぎるほど書いて来た。今その決定版全集を座右におき、全部とまではいかなかったが、目ぼしいものを読み漁った。~
私が今度拾い読みして井伏の全作品について感じたことは、敢えて誤解される危険を冒していへば、彼は「冷たい」作家だといふことである。これは彼が人間的に温かい人だとか、その文章の現実への肉薄ぶりが、直接鋭く切り込むのではなく、柔かく抱くやうな筆触であるのに対し、反対な表現のやうであるが、私は殊更異を立ててゐるのではなく、「冷厳」や「冷徹」の「冷」である。武田氏(武田泰淳)の例を借りれば、北斎は冷たい。あの冷たさである。<略>
これで作品を一巡したが、最後に井伏の作風からいっても、人柄からいっても、その随筆に、小説に劣らず重要な作品があることを注意しておきたい。 河上徹太郎
河上徹太郎の文章はいつ読んでも適確な表現でズバッとくる。それでいてきわめて平易である。どこまでも温かく思いやりが感じ取れるのである。
by kirakuossan
| 2016-02-12 11:22
| 文芸
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