2015年 12月 15日
人の日記からあらぬ方へ発展するものである。 |
2015年12月15日(火)
昭和二十一年十二月二十日
銀座通りは凄い人出。表通りの店で魚などを売っているが、今更乍ら奇異に感じられた。思えば、魚は高級品であり貴重品である。戦前とちがってひどく埃っぽいので辟易して裏にそれた。バラックが、空地の大方をうめて了った。そしてバラックの殆んどは食い物屋で、赤や緑のペンキ塗り立て、浅間しいといったら無い。~
新橋駅で、便所に行くと、寒さのせいか、ずっと、列を成している。なんでもないことだが、人間がなにか動物めいて感じられ変な気がした。
四時半で、歩廊にいっぱいの人。満員の熱海行に乗り、大船で降りられるかと心配だったが、どうやら降りられた。こんどは北鎌倉で降りられるかと心配だった。降りられるかどうかが心配な、ーそういう混み方である。
北鎌倉駅前に、夕刊売りが出た。少年である。「新報知」と「東京新聞」と「日刊スポーツ」の三種が出してある。「東京新聞」はタブロイド型(今迄の新聞の半分)に成っている。「新報知」を買うと、婦人欄に私の談話が載っている。談話でなく、私が書いたように成って。~ 図書館に本の返却日が近づいて来たので、もう一度、高見順の「終戦日記」を引っ張り出してパラパラとページを繰ってみる。
趣味としては如何なものかとは思わないでもないが、人間の心理として人の日記を読むというのは興味をそそるものである。しかもそれはもともと自分自身もよく知っている場所や事柄でありながら、その時代やその場面には出くわしたことのないために知らないことなどは、余計に関心を持つものである。
ここにも出てくる、銀座通り、新橋駅、熱海行、大船、北鎌倉駅前・・・北鎌倉駅前って今でも狭いところだがそこに新聞売り少年がいたのだ。今とちっとも変わらないのは「日刊スポーツ」ぐらいか。
昭和二十一年十二月二十一日
新聞が一斉に小型に成った。輸送難で紙のストックがなくなったのである。
朝の四時頃、地震があった。ラジオによると相当の大地震らしい。
書斎にこもる。「仮面」補筆と読書。
散歩ついでに島森書店に寄り本を買う。永井荷風「来訪者」、菊池正士「物質の構造」、トルストイ、米川正夫訳「悪魔」、ユリアン・ボルハルト、水谷長三郎訳「史的唯物論略解」(高等学校のとき社会科学研究会の論講のテキストだったもので、思い出探し)、岩波文庫のルナン「イエス伝」、吉村冬彦「藪柑子集」。
木々高太郎の「無花果」(「小説と読物」一月号)は面白かった。所謂純文学作家の小説などより遥かに高い。しかし余り鷗外ばりなのが残念。
寝床の中で矢内原さんの「アウグスティヌス・告白の講義」を読む。
12月21日に起きた地震は例の昭和南海地震である。午前4時19分過ぎに潮岬南方沖を震源としたマグニチュード8.0の地震、1946年南海地震とも呼ばれ、南西日本一帯では地震動、津波による甚大な被害が発生し、1000人以上の死者を出した。近畿地方で震度5、関東の熊谷でも震度4あったというのだから、高見順の住んでいた北鎌倉でも結構激しい揺れを感じたのだろう。
しかし作家というものは色んな範疇の本を大量に読むものだ。他の日付を見ても、いつ読むのだろうと思うぐらいに時間さえあれば書物を大量に買い込んでいる。
こんな考えようによってはどうでもよいことに着目して興味を示したり、調べ上げたりするとは、いかにも暇人がするようなこととなるが、こういったことが愉しいのである。よく言えば”こだわり”とでもいうのか。こんなことを一昨日庵原氏と語っていたが、共鳴する人は共鳴するし、共鳴しない人はどこまで行っても共鳴しない。それでいいんだ、ごく一部の人が共鳴しあえば・・・という結論であった。
それにしても吉村冬彦「藪柑子集」や木々高太郎の「無花果(いちじく)」、そんな面白いのだったら読んでみたいものだ。吉村冬彦や藪柑子は俳人としての寺田寅彦の別名である。木々高太郎(1897~1969)は生理学者であり小説家・推理作家。松本清張が『三田文学』に「或る『小倉日記』伝」を発表し、これが芥川賞受賞のきっかけとなったが、このとき積極的に勧めたのは木々高太郎であった。
この人も本名は林髞で、脳生理学の著書は本名を使い、木々高太郎は推理小説を書くときのペンネームである。木々は林を分解したものである。
人の日記から興味をそそられ、いろいろあらぬ方へ発展していくものである。
昭和二十一年十二月二十日
銀座通りは凄い人出。表通りの店で魚などを売っているが、今更乍ら奇異に感じられた。思えば、魚は高級品であり貴重品である。戦前とちがってひどく埃っぽいので辟易して裏にそれた。バラックが、空地の大方をうめて了った。そしてバラックの殆んどは食い物屋で、赤や緑のペンキ塗り立て、浅間しいといったら無い。~
新橋駅で、便所に行くと、寒さのせいか、ずっと、列を成している。なんでもないことだが、人間がなにか動物めいて感じられ変な気がした。
四時半で、歩廊にいっぱいの人。満員の熱海行に乗り、大船で降りられるかと心配だったが、どうやら降りられた。こんどは北鎌倉で降りられるかと心配だった。降りられるかどうかが心配な、ーそういう混み方である。
北鎌倉駅前に、夕刊売りが出た。少年である。「新報知」と「東京新聞」と「日刊スポーツ」の三種が出してある。「東京新聞」はタブロイド型(今迄の新聞の半分)に成っている。「新報知」を買うと、婦人欄に私の談話が載っている。談話でなく、私が書いたように成って。~
趣味としては如何なものかとは思わないでもないが、人間の心理として人の日記を読むというのは興味をそそるものである。しかもそれはもともと自分自身もよく知っている場所や事柄でありながら、その時代やその場面には出くわしたことのないために知らないことなどは、余計に関心を持つものである。
ここにも出てくる、銀座通り、新橋駅、熱海行、大船、北鎌倉駅前・・・北鎌倉駅前って今でも狭いところだがそこに新聞売り少年がいたのだ。今とちっとも変わらないのは「日刊スポーツ」ぐらいか。
昭和二十一年十二月二十一日
新聞が一斉に小型に成った。輸送難で紙のストックがなくなったのである。
朝の四時頃、地震があった。ラジオによると相当の大地震らしい。
書斎にこもる。「仮面」補筆と読書。
散歩ついでに島森書店に寄り本を買う。永井荷風「来訪者」、菊池正士「物質の構造」、トルストイ、米川正夫訳「悪魔」、ユリアン・ボルハルト、水谷長三郎訳「史的唯物論略解」(高等学校のとき社会科学研究会の論講のテキストだったもので、思い出探し)、岩波文庫のルナン「イエス伝」、吉村冬彦「藪柑子集」。
木々高太郎の「無花果」(「小説と読物」一月号)は面白かった。所謂純文学作家の小説などより遥かに高い。しかし余り鷗外ばりなのが残念。
寝床の中で矢内原さんの「アウグスティヌス・告白の講義」を読む。
12月21日に起きた地震は例の昭和南海地震である。午前4時19分過ぎに潮岬南方沖を震源としたマグニチュード8.0の地震、1946年南海地震とも呼ばれ、南西日本一帯では地震動、津波による甚大な被害が発生し、1000人以上の死者を出した。近畿地方で震度5、関東の熊谷でも震度4あったというのだから、高見順の住んでいた北鎌倉でも結構激しい揺れを感じたのだろう。
しかし作家というものは色んな範疇の本を大量に読むものだ。他の日付を見ても、いつ読むのだろうと思うぐらいに時間さえあれば書物を大量に買い込んでいる。
こんな考えようによってはどうでもよいことに着目して興味を示したり、調べ上げたりするとは、いかにも暇人がするようなこととなるが、こういったことが愉しいのである。よく言えば”こだわり”とでもいうのか。こんなことを一昨日庵原氏と語っていたが、共鳴する人は共鳴するし、共鳴しない人はどこまで行っても共鳴しない。それでいいんだ、ごく一部の人が共鳴しあえば・・・という結論であった。
それにしても吉村冬彦「藪柑子集」や木々高太郎の「無花果(いちじく)」、そんな面白いのだったら読んでみたいものだ。吉村冬彦や藪柑子は俳人としての寺田寅彦の別名である。木々高太郎(1897~1969)は生理学者であり小説家・推理作家。松本清張が『三田文学』に「或る『小倉日記』伝」を発表し、これが芥川賞受賞のきっかけとなったが、このとき積極的に勧めたのは木々高太郎であった。
この人も本名は林髞で、脳生理学の著書は本名を使い、木々高太郎は推理小説を書くときのペンネームである。木々は林を分解したものである。
人の日記から興味をそそられ、いろいろあらぬ方へ発展していくものである。
by kirakuossan
| 2015-12-15 10:11
| 文芸
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