2015年 11月 07日
鎌倉文学散歩 ❹ |
2015年11月7日(土)
仏性は白き桔梗にこそあらめ
一窓庵は山門を這入るや否やすぐ右手の方の高い石段の上にあった。丘外れなので、日当の好い、からりとした玄関先を控えて、後の山の懐に暖まっている様な位置に冬を凌ぐ気色に見えた。
夏目漱石は1894年の年末、円覚寺塔頭、帰源院の釈宗活を訪ね参禅した。漱石27歳。このころから漱石の俳句は本格的に展開される。禅僧宗活に対してこうも詠んだ。
そこもとは案山子に似たる和尚かな
漱石は小説『門』の宗助のように、10日間で帰源院を去るが、座禅の師であった釈宗演はこう語った。
「生まれながら禅味を帯びた人柄であり、修行は大したものではなかったが、氏の性根が仏教乃至東洋思想の根本に触れていたことは知られた。我が禅宗の白隠禅師が<吾は禅の侠者なり>と云われているがそんな様に思われてならない」と。
漱石はその18年後にまた山門をくぐった。その時、老師は「もっと、ぎろりとした所を持って来なければだめだ」という。その心境を語る漢詩を後に幾つも書いた。
百年功過有吾知
(私の人生の功過は人には知る由もないが、私にはしっかりと解る)
漱石はその4年後の暮れに亡くなるが、その年の夏から死の直前にかけて70首もの漢詩を作っている。これもそのなかの一首である。
円覚寺:鎌倉市山ノ内409
臨済宗円覚寺派の大本山であり、鎌倉五山第2位に列せられる。本尊は宝冠釈迦如来、開基は北条時宗、開山は無学祖元。「えんがくじ」と読むのが正式である。
円覚寺は北鎌倉駅真東に位置する。北鎌倉から八幡までの道の最初に訪れる五山である。
つづく・・・
仏性は白き桔梗にこそあらめ
一窓庵は山門を這入るや否やすぐ右手の方の高い石段の上にあった。丘外れなので、日当の好い、からりとした玄関先を控えて、後の山の懐に暖まっている様な位置に冬を凌ぐ気色に見えた。
夏目漱石は1894年の年末、円覚寺塔頭、帰源院の釈宗活を訪ね参禅した。漱石27歳。このころから漱石の俳句は本格的に展開される。禅僧宗活に対してこうも詠んだ。
そこもとは案山子に似たる和尚かな
漱石は小説『門』の宗助のように、10日間で帰源院を去るが、座禅の師であった釈宗演はこう語った。
「生まれながら禅味を帯びた人柄であり、修行は大したものではなかったが、氏の性根が仏教乃至東洋思想の根本に触れていたことは知られた。我が禅宗の白隠禅師が<吾は禅の侠者なり>と云われているがそんな様に思われてならない」と。
漱石はその18年後にまた山門をくぐった。その時、老師は「もっと、ぎろりとした所を持って来なければだめだ」という。その心境を語る漢詩を後に幾つも書いた。
百年功過有吾知
(私の人生の功過は人には知る由もないが、私にはしっかりと解る)
漱石はその4年後の暮れに亡くなるが、その年の夏から死の直前にかけて70首もの漢詩を作っている。これもそのなかの一首である。
円覚寺:鎌倉市山ノ内409
臨済宗円覚寺派の大本山であり、鎌倉五山第2位に列せられる。本尊は宝冠釈迦如来、開基は北条時宗、開山は無学祖元。「えんがくじ」と読むのが正式である。
円覚寺は北鎌倉駅真東に位置する。北鎌倉から八幡までの道の最初に訪れる五山である。
つづく・・・
by kirakuossan
| 2015-11-07 09:27
| 文芸
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