2015年 07月 06日
ピアニスト列伝―19 ディノ・チアーニ |
2015年7月6日(月)
イタリアはオペラ界において世界に冠たる地位を占め、著名な声楽家は数多いし、指揮者においても過去はもちろん、現在に至るまで最も充実した陣容を有しているのではないか。だが不思議とピアニストにおいては久しく不作の国である。イタリア人ピアニストで思い起こすとすれば、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ、最近亡くなったアルド・チッコリーニ、それに現在の世界的ピアニストのひとりマウリツィオ・ポリーニぐらいがせいぜいであろう。
だが実はもうひとり、アルフレッド・コルトーからして”不世出の奇才”と認められたほどのピアニストがいた。そのピアニストとはディノ・チアーニ(Dino Ciani, 1941~1974)である。
ポリーニと同世代のチアーニは旧ユーゴスラヴィア北西部リエカの出身で、20歳でブダペストのフランツ・リスト・ピアノ・コンクールで準優勝に輝いた。古典派、ロマン派を中心に、ベートーヴェンからシューベルト、ブラームス、ドビュッシーに至るまでレパートリーはたいへん広かった。そのどれもが光り輝き、情熱的で、情感にも溢れていた。
その彼が若きアバドの指揮の下で演奏した得意なブラームスの貴重なライヴ録音がある。チアーニ27歳、アバド35歳である。
ブラームス:
ピアノ協奏曲第1番ニ短調 Op.15
ディーノ・チアーニ(Pf)
クラディオ・アバド(指揮)
ハンガリー放送交響楽団
録音:1968年3月28日ブダペスト、ライヴ
録音はそう多くはないが、1970年10月4日から11月29日にトリノで行なわれた8回のベートーヴェンピアノ・ソナタのコンサートを収めた貴重なものが遺っている。ブラームスのコンチェルトともども若さに溢れる溌剌とした好演である。
ベートーヴェン:
ピアノ・ソナタ全集
ディーノ・チアーニ(Pf)
彼は33歳を前にして自動車事故で世を去った。
「彼がもし健在であったなら、ポリーニの地位は危うかったかもしれない」とまで言わせるピアニストであった。
イタリアはオペラ界において世界に冠たる地位を占め、著名な声楽家は数多いし、指揮者においても過去はもちろん、現在に至るまで最も充実した陣容を有しているのではないか。だが不思議とピアニストにおいては久しく不作の国である。イタリア人ピアニストで思い起こすとすれば、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ、最近亡くなったアルド・チッコリーニ、それに現在の世界的ピアニストのひとりマウリツィオ・ポリーニぐらいがせいぜいであろう。
だが実はもうひとり、アルフレッド・コルトーからして”不世出の奇才”と認められたほどのピアニストがいた。そのピアニストとはディノ・チアーニ(Dino Ciani, 1941~1974)である。
その彼が若きアバドの指揮の下で演奏した得意なブラームスの貴重なライヴ録音がある。チアーニ27歳、アバド35歳である。
ブラームス:
ピアノ協奏曲第1番ニ短調 Op.15
ディーノ・チアーニ(Pf)
クラディオ・アバド(指揮)
ハンガリー放送交響楽団
録音:1968年3月28日ブダペスト、ライヴ
録音はそう多くはないが、1970年10月4日から11月29日にトリノで行なわれた8回のベートーヴェンピアノ・ソナタのコンサートを収めた貴重なものが遺っている。ブラームスのコンチェルトともども若さに溢れる溌剌とした好演である。
ベートーヴェン:
ピアノ・ソナタ全集
ディーノ・チアーニ(Pf)
彼は33歳を前にして自動車事故で世を去った。
「彼がもし健在であったなら、ポリーニの地位は危うかったかもしれない」とまで言わせるピアニストであった。
by kirakuossan
| 2015-07-06 18:43
| ピアニスト列伝
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