2015年 06月 25日
ペトレンコの余震がまだ続いている。 |
2015年6月25日(木)
ペトレンコの余震がまだ続いているようだ。ヨーロッパでは知る人が多いようだが、日本では馴染みが薄い指揮者でヴァシリー・ペトレンコならよく知っているが、というのがほとんどだろう。でも最新号の『モーストリー・クラシック』ではその表紙に顔写真が掲載されている。
8月号の主な内容として「変わる!世界の指揮者地図」と題して、ポスト・ラトルとも絡めて特集している。
2018年に退任するベルリン・フィルの芸術監督兼首席指揮者サイモン・ラトルの後任を選ぶ楽員選挙は5月11日に行われたが、結論が出ず、1年以内に再選挙を行うことになった。当日、記者発表の予定が午後2時から延々と遅れ、午後9時半になったことも議論が難航したことを示している、
ドイツのマスメディアでは有力候補として、ヤンソンス、ティーレマン、ネルソンスの名前があがっていた。ベルリン在住音楽ジャーナリストの城所孝吉氏によると、中でもヤンソンスは最も可能性が高いといわれていたが、直前にバイエルン放送響との契約を延長してしまう。城所氏は「オーケストラはショックを受けただろう。その状況で突然、『他の人に決めろ』と言われても、意見が割れて当然である」とオーケストラ内の議論を推測している。特集では、有力後継者と目された、この3人のほか、ドゥダメル、ペトレンコ、ネゼ=セガンの5人を詳しく紹介している。
このほかでも世界のオーケストラの指揮者地図は大きく動いている。ベルリン・フィルを辞めるラトルはロンドン響の音楽監督に。ヤンソンスが今年で退任したロイヤル・コンセルトヘボウ管は、2016年9月からガッティが首席指揮者に就任する。パリ管はヤルヴィの後釜にハーディングが納まった。またニューヨーク・フィルの音楽監督アラン・ギルバートは17年に退任、後任は決まっていない。大きく変動する世界の一流オーケストラのシェフたちの動き、評価などの最新情報をお読みください。
と最新号をネットで紹介している。
大方の予想で本命視されているはグスターボ・ドゥダメル、クリスティアン・ティーレマン、アンドリス・ネルソンス、ヤニック・ネゼ=セガンであったことに加えてマリス・ヤンソンスが最有力だったとは知らなかった。そしてその次の5番手、6番手にキリル・ペトレンコの名があったわけだ。この中で出稿もしている音楽評論家舩木篤也氏はこのペテレンコを予測していた。舩木氏は彼の演奏を「どの音も、指揮者の強烈な関心に射抜かれ、燃え立つようでありながら、くっきりとした輪郭を示している」と評したうえで、それは「スコアの精緻な読み」に基づいたもので「ベルリン・フィルが実質を求めるなら、このような人と仕事をした方がいい」とまで結論付けている。
ヤンソンスがバイエルン放送響と、ネルソンスがボストン響と、ハーディングがパリ管と・・・このことからしてもわかるように指揮者は自分にとって一番しっくりとした響きを感じるオーケストラを選び、そこで自分の音楽つくりを心置きなくすることが最良だという考えがあるということだ。だから確かに世界一のオーケストラであるベルリン・フィルの首席のポストは輝かしいものだが、決して彼らはそれに固執していないということだろう。誰かが言っていた、ベルリン・フィルからロンドン響へ移るラトルでさえ、横綱から大関に鞍替えするようなものだが、そこには彼が新たに求めようとする音楽が存在するからなのだろう。
キリル・ペテレンコはオペラで実績を見るぐらいで、今まではどちらかといえばマイナーな作曲家の演奏が主体であったし、CDにもほとんど録音していない。
でも考えるに、ヤンソンスでは少し齢が過ぎていたし、一番落胆しているかもしれないティーレマンはどうも好みに合わないし、結果としてわれわれには、これからどんな音楽を生み出してくれるか期待を持たせる未知数のペトレンコで良かったのではないか。彼の言う「私はこのオーケストラにふさわしい首席指揮者となるために、全力を尽くしたいと思います」に期待しよう。あのラトルが就任した13年前も確かそうだった。
余談:
ちょうど1年前の『音楽の友』8月号の「U40、21世紀のマエストロは誰だ?」という特集のなかで、音楽評論家東条碩夫氏が先頭集団五人衆として、キリル・ペテレンコをその冒頭に挙げている。
昨年(2013年)のバイロイト音楽祭における《ニーベルングの指環》~
私たちが《指環》の世界に浸れたのは、ひとえに彼が指揮するバイロイトのオーケストラの演奏の素晴らしさゆえであった。豊麗というよりはむしろ抑制気味の音量による、引き締まって無駄のない響きのうちに、ワーグナーの精緻壮大な音楽を明晰に瑞々しく、表情豊かに響かせる。この劇場へのデビューでありながら、これほどオーケストラを巧みに制御した若手指揮者は、稀だろう。~
コンサートとしては、12年12月にベルリン・フィルでスクリャービンの《法悦の詩》などを指揮したのを聴いただけだが、その明晰で見通しのいい音楽構築には感心したものの、まだ遠慮がちの雰囲気があり、BPOの個性に呑み込まれていた感もあった。
この記事を読んでやはり彼の実力の確かさを再認識したと同時に、そんな彼の”遠慮がち”といった印象が、おそらくベルリン・フィルの楽員たちに好感を与え、何やら自分たちのマイ・ペースも生かしながらこの若い指揮者に賭けてみるのも悪くないな・・・と感じたのでは、とも思ったりしたのである。
ペトレンコの余震がまだ続いているようだ。ヨーロッパでは知る人が多いようだが、日本では馴染みが薄い指揮者でヴァシリー・ペトレンコならよく知っているが、というのがほとんどだろう。でも最新号の『モーストリー・クラシック』ではその表紙に顔写真が掲載されている。
8月号の主な内容として「変わる!世界の指揮者地図」と題して、ポスト・ラトルとも絡めて特集している。
2018年に退任するベルリン・フィルの芸術監督兼首席指揮者サイモン・ラトルの後任を選ぶ楽員選挙は5月11日に行われたが、結論が出ず、1年以内に再選挙を行うことになった。当日、記者発表の予定が午後2時から延々と遅れ、午後9時半になったことも議論が難航したことを示している、
ドイツのマスメディアでは有力候補として、ヤンソンス、ティーレマン、ネルソンスの名前があがっていた。ベルリン在住音楽ジャーナリストの城所孝吉氏によると、中でもヤンソンスは最も可能性が高いといわれていたが、直前にバイエルン放送響との契約を延長してしまう。城所氏は「オーケストラはショックを受けただろう。その状況で突然、『他の人に決めろ』と言われても、意見が割れて当然である」とオーケストラ内の議論を推測している。特集では、有力後継者と目された、この3人のほか、ドゥダメル、ペトレンコ、ネゼ=セガンの5人を詳しく紹介している。
このほかでも世界のオーケストラの指揮者地図は大きく動いている。ベルリン・フィルを辞めるラトルはロンドン響の音楽監督に。ヤンソンスが今年で退任したロイヤル・コンセルトヘボウ管は、2016年9月からガッティが首席指揮者に就任する。パリ管はヤルヴィの後釜にハーディングが納まった。またニューヨーク・フィルの音楽監督アラン・ギルバートは17年に退任、後任は決まっていない。大きく変動する世界の一流オーケストラのシェフたちの動き、評価などの最新情報をお読みください。
と最新号をネットで紹介している。
大方の予想で本命視されているはグスターボ・ドゥダメル、クリスティアン・ティーレマン、アンドリス・ネルソンス、ヤニック・ネゼ=セガンであったことに加えてマリス・ヤンソンスが最有力だったとは知らなかった。そしてその次の5番手、6番手にキリル・ペトレンコの名があったわけだ。この中で出稿もしている音楽評論家舩木篤也氏はこのペテレンコを予測していた。舩木氏は彼の演奏を「どの音も、指揮者の強烈な関心に射抜かれ、燃え立つようでありながら、くっきりとした輪郭を示している」と評したうえで、それは「スコアの精緻な読み」に基づいたもので「ベルリン・フィルが実質を求めるなら、このような人と仕事をした方がいい」とまで結論付けている。
ヤンソンスがバイエルン放送響と、ネルソンスがボストン響と、ハーディングがパリ管と・・・このことからしてもわかるように指揮者は自分にとって一番しっくりとした響きを感じるオーケストラを選び、そこで自分の音楽つくりを心置きなくすることが最良だという考えがあるということだ。だから確かに世界一のオーケストラであるベルリン・フィルの首席のポストは輝かしいものだが、決して彼らはそれに固執していないということだろう。誰かが言っていた、ベルリン・フィルからロンドン響へ移るラトルでさえ、横綱から大関に鞍替えするようなものだが、そこには彼が新たに求めようとする音楽が存在するからなのだろう。
キリル・ペテレンコはオペラで実績を見るぐらいで、今まではどちらかといえばマイナーな作曲家の演奏が主体であったし、CDにもほとんど録音していない。
でも考えるに、ヤンソンスでは少し齢が過ぎていたし、一番落胆しているかもしれないティーレマンはどうも好みに合わないし、結果としてわれわれには、これからどんな音楽を生み出してくれるか期待を持たせる未知数のペトレンコで良かったのではないか。彼の言う「私はこのオーケストラにふさわしい首席指揮者となるために、全力を尽くしたいと思います」に期待しよう。あのラトルが就任した13年前も確かそうだった。
余談:
ちょうど1年前の『音楽の友』8月号の「U40、21世紀のマエストロは誰だ?」という特集のなかで、音楽評論家東条碩夫氏が先頭集団五人衆として、キリル・ペテレンコをその冒頭に挙げている。
昨年(2013年)のバイロイト音楽祭における《ニーベルングの指環》~
私たちが《指環》の世界に浸れたのは、ひとえに彼が指揮するバイロイトのオーケストラの演奏の素晴らしさゆえであった。豊麗というよりはむしろ抑制気味の音量による、引き締まって無駄のない響きのうちに、ワーグナーの精緻壮大な音楽を明晰に瑞々しく、表情豊かに響かせる。この劇場へのデビューでありながら、これほどオーケストラを巧みに制御した若手指揮者は、稀だろう。~
コンサートとしては、12年12月にベルリン・フィルでスクリャービンの《法悦の詩》などを指揮したのを聴いただけだが、その明晰で見通しのいい音楽構築には感心したものの、まだ遠慮がちの雰囲気があり、BPOの個性に呑み込まれていた感もあった。
この記事を読んでやはり彼の実力の確かさを再認識したと同時に、そんな彼の”遠慮がち”といった印象が、おそらくベルリン・フィルの楽員たちに好感を与え、何やら自分たちのマイ・ペースも生かしながらこの若い指揮者に賭けてみるのも悪くないな・・・と感じたのでは、とも思ったりしたのである。
by kirakuossan
| 2015-06-25 06:27
| クラシック
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