2015年 06月 02日
ピアニスト列伝―18 クリフォード・カーゾン |
2015年6月2日(火)
左の写真を見た時、人柄がとても良さそうな優しい表情が見てとれる。この人を見るとどこからみても”毒気0%”に見える。クラシック音楽の世界では、誤解を恐れずに言うと、”毒気0%”で大成した人は皆無ではなかろうか。若し敢えてあげるとすれば、この人ぐらいではないだろうか、と思わせるような穏やかな表情だ。クリフォード・マイケル・カーゾン(Clifford Michael Curzon, 1907~1982)、モーツァルトやシューベルトの解釈で秀でていたとされるロンドン出身のピアニストである。
録音嫌いは有名であったが、なぜか遺した演奏はけっこうある。派手さは決してないが、着実な活動を幅広く続け、寡黙だが、その音楽は本質を突き、しっとりと聴かせる。いわゆる玄人好みのするピアニストであったと言える。
昔の名指揮者の演奏を聴いていると、ときおりピアノ協奏曲なんかで、「オヤ!このピアノはなかなかいいね」と思ったらカーゾンだったりする。人柄のためか、色んな指揮者と共演しているが、たとえばジョージ・セルが1953年にニューヨーク・フィルと演奏したブラームスのコンチェルト2番など、中堅ごろの力強いカーゾンの思わぬピアノタッチが聴けたりする。
自己の芸術に対して厳しかった彼のピアノは、あくまでも透明感のある音色と繊細微妙なニュアンスに特質をもつものである。彼が晩年に録音したラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団とのモーツァルトピアノ協奏曲の数々は、実にそれらの点が最高に発揮されたもので、隠れた名演奏であると思う。
モーツァルト:
ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K. 467
クリフォード・カーゾン - Clifford Curzon (ピアノ)
バイエルン放送交響楽団 - Bavarian Radio Symphony Orchestra
ラファエル・クーベリック - Rafael Kubelik (指揮者)
録音: 16 December 1976, Herkules-Saal in der Residenz, Munchen
左の写真を見た時、人柄がとても良さそうな優しい表情が見てとれる。この人を見るとどこからみても”毒気0%”に見える。クラシック音楽の世界では、誤解を恐れずに言うと、”毒気0%”で大成した人は皆無ではなかろうか。若し敢えてあげるとすれば、この人ぐらいではないだろうか、と思わせるような穏やかな表情だ。クリフォード・マイケル・カーゾン(Clifford Michael Curzon, 1907~1982)、モーツァルトやシューベルトの解釈で秀でていたとされるロンドン出身のピアニストである。
録音嫌いは有名であったが、なぜか遺した演奏はけっこうある。派手さは決してないが、着実な活動を幅広く続け、寡黙だが、その音楽は本質を突き、しっとりと聴かせる。いわゆる玄人好みのするピアニストであったと言える。
昔の名指揮者の演奏を聴いていると、ときおりピアノ協奏曲なんかで、「オヤ!このピアノはなかなかいいね」と思ったらカーゾンだったりする。人柄のためか、色んな指揮者と共演しているが、たとえばジョージ・セルが1953年にニューヨーク・フィルと演奏したブラームスのコンチェルト2番など、中堅ごろの力強いカーゾンの思わぬピアノタッチが聴けたりする。
自己の芸術に対して厳しかった彼のピアノは、あくまでも透明感のある音色と繊細微妙なニュアンスに特質をもつものである。彼が晩年に録音したラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団とのモーツァルトピアノ協奏曲の数々は、実にそれらの点が最高に発揮されたもので、隠れた名演奏であると思う。
モーツァルト:
ピアノ協奏曲第21番 ハ長調 K. 467
クリフォード・カーゾン - Clifford Curzon (ピアノ)
バイエルン放送交響楽団 - Bavarian Radio Symphony Orchestra
ラファエル・クーベリック - Rafael Kubelik (指揮者)
録音: 16 December 1976, Herkules-Saal in der Residenz, Munchen
追記:
2017年8月26日(土)
人は見かけによらないもので、カーゾンというピアニスト、人一倍気難しい人だったらしい。だからセルとは共演が多かったとか?
人は見かけで判断してはいけません。
by kirakuossan
| 2015-06-02 07:41
| ピアニスト列伝
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