2015年 06月 01日
世界のオーケストラ/第19回 <チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ> 恐るべし!モスクワ響 |
2015年6月1日(月)
チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ
旧モスクワ放送交響楽団
1930年、ソビエト連邦の全国ラジオ放送向けの音楽を演奏するオーケストラとして設立された。モスクワを拠点に活動し、長くモスクワ放送交響楽団で親しまれてきたが、ソ連崩壊の後、1993年チャイコフスキーの音楽演奏について中心的な役割を果たしたとして、「チャイコフスキー」を冠する現在の名称となった。
85年の歴史を有するが、歴代の音楽監督は現在のウラジーミル・フェドセーエフでわずか5人目である。その半数近くの41年をフェドセーエフが務める。
1930年~1937年 アレクサンドル・オルロフ
1937年~1953年 ニコライ・ゴロヴァーノフ
1953年~1962年 アレクサンドル・ガウク
1961年~1974年 ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー
1974年~ ウラジーミル・フェドセーエフ
「昭和47年春購入」と記載のあるLPを久々に聴いている。ブルックナーの交響曲第9番、モスクワ放送交響楽団の演奏で指揮者は頭は完全に禿げあがってはいるが、当時まだ30歳代後半のゲンナジー・ロジェストヴェンスキーだ。
このレコードを聴くのは多分3~4度目だと思う。当時はブルックナー音楽というものがわかりっこなかったし、ただただ重苦しい音楽、オケもずいぶんと重々しくて退屈な音楽でしかなかった。40年後に今、針を落としてみて感じるのは、モスクワ放送交響楽団の水準の高さである。録音の頃は創立40年が経った頃だろうが、指揮をしているロジェストヴェンスキーが30歳で音楽監督に就き、若い指揮者とともに急速に実力をつけたと、宇野功芳のライナー・ノーツには記してある。
これまでモスクワ放送交響楽団は、いわゆるロシア風のド迫力の咆哮吹きまくる野太い音色だと思ってきた。これが大きな誤解であることは先日のフェドセーエフとの演奏会でわかったが、それももとは手荒いオケの音をフェドセーエフが、彼流に旋律を美しく描くオーケストラに変身させたのだろうと。ところがこのレコードを聴いてさらに発見できた。爆演で名高い指揮者として知られるロジェストヴェンスキーの50年も前の時代からこのオケはすでに美しい音色を持ち合わせていたのだ。恐るべし!モスクワ響である。
ただ、ふとここで思うのは、ではなぜ今までこのオケに関してまったく正反対のイメージを持っていたのだろうか。そう考えてみると、思い当たる節がある。それは昔に読んだ諸石幸生氏のオーケストラ紹介の記事による影響が大きいと思われる。
フェドセーエフはがっしりとした構成力をバックに実に力強い演奏を聴かせる指揮者である。しかも彼のロシア音楽に対するあふれるばかりの愛情は、このオーケストラの表現法や音色にも色濃く反映されており、フェドセーエフ/モスクワ放送交響楽団はもっともロシアの土の香りを感じさせる演奏を聴かせてくれるといってもよいであろう。
今これを読むとわかるが、諸石氏は本当にこのオーケストラの生の演奏を聴いたうえでこの記事を書いたのか、憶測と抱いているイメージだけで書いたのではないだろうかと疑ってみたくなる。誰が聴いても解ることで、決して”ロシアの土の香りを感じさせる演奏”ではないのである。
モスクワ放送交響楽団の水準の高さをいち早く指摘した評論家の平林直哉氏の最近の評の方が的確であろう。
ウラジーミル・フェドセーエフの時代になってからはそのパワフルな響きに洗練された味わいが付加され、大変に表現力の豊かなオーケストラとなっている。
先日のチャイコフスキーを聴いてまったくこれと同じ思いがした。そして考え過ぎだろうか、なぜオケの呼び名をチャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラにしたのだろう? また新たな偏見と誤解を与えそうだ。何もチャイコフスキーだけでなく他の音楽も実に洗練された味わいで聴かせてくれるのに・・・
マーラー:
交響曲第9番 ニ長調
モスクワ放送交響楽団 - Moscow Radio Symphony Orchestra
ルドルフ・バルシャイ - Rudolf Barshai (指揮者)
録音: 13 April 1993, Great Hall of the Moscow Conservatory, Russia
チャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラ
旧モスクワ放送交響楽団
1930年、ソビエト連邦の全国ラジオ放送向けの音楽を演奏するオーケストラとして設立された。モスクワを拠点に活動し、長くモスクワ放送交響楽団で親しまれてきたが、ソ連崩壊の後、1993年チャイコフスキーの音楽演奏について中心的な役割を果たしたとして、「チャイコフスキー」を冠する現在の名称となった。
85年の歴史を有するが、歴代の音楽監督は現在のウラジーミル・フェドセーエフでわずか5人目である。その半数近くの41年をフェドセーエフが務める。
1930年~1937年 アレクサンドル・オルロフ
1937年~1953年 ニコライ・ゴロヴァーノフ
1953年~1962年 アレクサンドル・ガウク
1961年~1974年 ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー
1974年~ ウラジーミル・フェドセーエフ
このレコードを聴くのは多分3~4度目だと思う。当時はブルックナー音楽というものがわかりっこなかったし、ただただ重苦しい音楽、オケもずいぶんと重々しくて退屈な音楽でしかなかった。40年後に今、針を落としてみて感じるのは、モスクワ放送交響楽団の水準の高さである。録音の頃は創立40年が経った頃だろうが、指揮をしているロジェストヴェンスキーが30歳で音楽監督に就き、若い指揮者とともに急速に実力をつけたと、宇野功芳のライナー・ノーツには記してある。
これまでモスクワ放送交響楽団は、いわゆるロシア風のド迫力の咆哮吹きまくる野太い音色だと思ってきた。これが大きな誤解であることは先日のフェドセーエフとの演奏会でわかったが、それももとは手荒いオケの音をフェドセーエフが、彼流に旋律を美しく描くオーケストラに変身させたのだろうと。ところがこのレコードを聴いてさらに発見できた。爆演で名高い指揮者として知られるロジェストヴェンスキーの50年も前の時代からこのオケはすでに美しい音色を持ち合わせていたのだ。恐るべし!モスクワ響である。
ただ、ふとここで思うのは、ではなぜ今までこのオケに関してまったく正反対のイメージを持っていたのだろうか。そう考えてみると、思い当たる節がある。それは昔に読んだ諸石幸生氏のオーケストラ紹介の記事による影響が大きいと思われる。
フェドセーエフはがっしりとした構成力をバックに実に力強い演奏を聴かせる指揮者である。しかも彼のロシア音楽に対するあふれるばかりの愛情は、このオーケストラの表現法や音色にも色濃く反映されており、フェドセーエフ/モスクワ放送交響楽団はもっともロシアの土の香りを感じさせる演奏を聴かせてくれるといってもよいであろう。
今これを読むとわかるが、諸石氏は本当にこのオーケストラの生の演奏を聴いたうえでこの記事を書いたのか、憶測と抱いているイメージだけで書いたのではないだろうかと疑ってみたくなる。誰が聴いても解ることで、決して”ロシアの土の香りを感じさせる演奏”ではないのである。
モスクワ放送交響楽団の水準の高さをいち早く指摘した評論家の平林直哉氏の最近の評の方が的確であろう。
ウラジーミル・フェドセーエフの時代になってからはそのパワフルな響きに洗練された味わいが付加され、大変に表現力の豊かなオーケストラとなっている。
先日のチャイコフスキーを聴いてまったくこれと同じ思いがした。そして考え過ぎだろうか、なぜオケの呼び名をチャイコフスキー・シンフォニー・オーケストラにしたのだろう? また新たな偏見と誤解を与えそうだ。何もチャイコフスキーだけでなく他の音楽も実に洗練された味わいで聴かせてくれるのに・・・
マーラー:
交響曲第9番 ニ長調
モスクワ放送交響楽団 - Moscow Radio Symphony Orchestra
ルドルフ・バルシャイ - Rudolf Barshai (指揮者)
録音: 13 April 1993, Great Hall of the Moscow Conservatory, Russia
by kirakuossan
| 2015-06-01 11:52
| 世界のオーケストラ
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