2015年 05月 29日
待った甲斐があった期待通りの”2枚のディスク” |
2015年5月29日(金)
蓼科にいる時にHMVに注文してあった2枚のディスクが、うち1枚が取り寄せだったので、ようやく2枚揃って今日送付されてきた。早速2枚とも聴いてみるが、どちらも期待通りの出来栄えを披露してくれる演奏であった。待った甲斐があった。
アンドレア・バッティストーニのマーラー1番「巨人」、あの大賀ホールでの興奮を呼び起こしてくれた。とくに最終楽章の密度の濃い、しかも決して崩れない、オケを統率する実力は天才的である。とても20歳代の若者とは思えないような冷静沈着さが根底にある。まさに大器と呼べよう。ディスクのライナー・ノーツを山崎浩太郎が受け持っていたが、次のように激賞している。
その演奏の魅力を一言でいえば、主観と客観の両立にある。いかにも若者らしい、ダイナミックで激しい指揮ぶりで楽員の本気と熱い音を引き出す一方、自らは興奮に溺れることなく、曲の構造を大局的に把握して、着実に次の一手を打ち、クライマックスへと導いていく。
着実にとはいっても、ただ段取りを踏むのではなく、音がその瞬間に生まれ出る新鮮さを失わない。これを、実演では初めて指揮するはずの作品でやってのけているのだから、ほんとうに大したものだ。
ここで筆者がいう、「実演で初めて指揮する・・・」とあるのは、この演奏会が当初他の女性指揮者で行われる予定であったが、彼女が出産のため都合が悪くなり、バッティストーニが代役を引き受け、しかも経験不足にもかかわらず、あえて曲目を変更せずにこの演奏会に臨んだ背景がある。
マーラー:
交響曲第1番ニ長調「巨人」
東京フィルハーモニー交響楽団
アンドレア・バッティストーニ(指揮)
録音時期:2014年1月31日
録音場所:東京、サントリーホール
ライヴ
もう一枚が、バッハを得意とするエカテリーナ・デルジャヴィナのゴルトベルク変奏曲。
このバッハは、ARTE NOVA の廉価盤であるが、録音状態も聴きやすく、若く溌剌とした健康的なバッハを聴かせる、そうかといってこの曲の持つ高度な技術は十分にクリアし、格調の高さも失わない。掘り出し物の一枚である。
バッハ:
ゴルトベルク変奏曲
エカテリーナ・デルジャヴィナ(ピアノ)
アンドレア・バッティストーニのマーラー1番「巨人」、あの大賀ホールでの興奮を呼び起こしてくれた。とくに最終楽章の密度の濃い、しかも決して崩れない、オケを統率する実力は天才的である。とても20歳代の若者とは思えないような冷静沈着さが根底にある。まさに大器と呼べよう。ディスクのライナー・ノーツを山崎浩太郎が受け持っていたが、次のように激賞している。
その演奏の魅力を一言でいえば、主観と客観の両立にある。いかにも若者らしい、ダイナミックで激しい指揮ぶりで楽員の本気と熱い音を引き出す一方、自らは興奮に溺れることなく、曲の構造を大局的に把握して、着実に次の一手を打ち、クライマックスへと導いていく。
着実にとはいっても、ただ段取りを踏むのではなく、音がその瞬間に生まれ出る新鮮さを失わない。これを、実演では初めて指揮するはずの作品でやってのけているのだから、ほんとうに大したものだ。
ここで筆者がいう、「実演で初めて指揮する・・・」とあるのは、この演奏会が当初他の女性指揮者で行われる予定であったが、彼女が出産のため都合が悪くなり、バッティストーニが代役を引き受け、しかも経験不足にもかかわらず、あえて曲目を変更せずにこの演奏会に臨んだ背景がある。
マーラー:
交響曲第1番ニ長調「巨人」
東京フィルハーモニー交響楽団
アンドレア・バッティストーニ(指揮)
録音時期:2014年1月31日
録音場所:東京、サントリーホール
ライヴ
もう一枚が、バッハを得意とするエカテリーナ・デルジャヴィナのゴルトベルク変奏曲。
このバッハは、ARTE NOVA の廉価盤であるが、録音状態も聴きやすく、若く溌剌とした健康的なバッハを聴かせる、そうかといってこの曲の持つ高度な技術は十分にクリアし、格調の高さも失わない。掘り出し物の一枚である。
バッハ:
ゴルトベルク変奏曲
エカテリーナ・デルジャヴィナ(ピアノ)
by kirakuossan
| 2015-05-29 16:02
| クラシック
|
Trackback