2015年 05月 14日
渋温泉はやはり名湯であった。 |
2015年5月14日(木)
渋温泉は長野県下高井郡山ノ内町にある。一帯は「湯田中渋温泉郷」と呼ばれる温泉郷である。今日はあまりにも良い天気なので、一日中部屋に閉じこもっているのも勿体ないので、以前から一度は行ってみたかった渋温泉へ出向くことにした。
tutti を9時過ぎに出発、時間的な制約もないので高速道を使わずに国道で行くことにした。152号線を北上、一路上田をしめざし、144号線、406号線、菅平高原を通り越し大笹街道をさらに北へひた走る。403号線から292号線へ中野市に入る。ここは野沢温泉への入り口でもある。途中から気温30℃を越え、朝出る時と比べたら20℃近い温度差だ。中野で昼食を済ませた後、やがて川沿いにある渋温泉に辿り着く。正味走行時間は2時間40分程か。
渋温泉は外湯巡りが有名で共同浴場は9軒存在するが、宿泊客しか入ることが出来ない。唯一入ることができるのが九番湯の「大湯」だけ。まず観光案内所で500円を支払い、入浴券をもらい、車を近くの駐車場に止めた後、「大湯」最寄りの旅館か店で鍵を借りに行き、付き添い人に扉を開けてもらってやっと入ることができる。
お湯の温度は43℃ぐらいか。写真では分かりにくいが、白濁のなかにも少し赤みを帯びた色合いである。いくつかの源泉があるが他の外湯は透明な色が多いが、ここだけ鉄分を含むためか、このような色をしている。奥の湯が源泉のままで、手前がぬる湯とされているが、どちらも同じくらいの熱さ。渋温泉はやはり名湯であった。
泉質:Na-Ca-塩化・硫酸塩泉、泉温:59.6℃、掛け流し。
お湯5・雰囲気5・設備4・清潔感5・サービス4・全体評5・・・28点
ちょうど車一台が通るがやっとの狭い道をはさんで「大湯」の真正面に全国的にも超有名な老舗旅館「金具屋」の建物が聳え立っていた。
渋温泉は伝説によると1300年前に行基が発見したとされる。ここも武田信玄の隠し湯のひとつであったといわれ、信玄の寄進によって温泉寺が開かれ、川中島の戦いの折には傷ついた兵士を療養させた場所でもある。
江戸時代には、佐久間象山、小林一茶、葛飾北斎などの文人がこの地を訪れた。
「大湯」の入り口階段横には若山牧水の歌碑がある。この碑は、大正9年5月、牧水が草津から渋温泉まで旅をした時の紀行文からとられている。渋温泉から草津温泉までは山越えで約50kmほどの距離である。
帰りは中野ICから上越道に入り、東部湯の丸IC経由で戻ってきたが、110km、所要時間は1時間30分ほどと割合に速かった。
tutti を9時過ぎに出発、時間的な制約もないので高速道を使わずに国道で行くことにした。152号線を北上、一路上田をしめざし、144号線、406号線、菅平高原を通り越し大笹街道をさらに北へひた走る。403号線から292号線へ中野市に入る。ここは野沢温泉への入り口でもある。途中から気温30℃を越え、朝出る時と比べたら20℃近い温度差だ。中野で昼食を済ませた後、やがて川沿いにある渋温泉に辿り着く。正味走行時間は2時間40分程か。
渋温泉は外湯巡りが有名で共同浴場は9軒存在するが、宿泊客しか入ることが出来ない。唯一入ることができるのが九番湯の「大湯」だけ。まず観光案内所で500円を支払い、入浴券をもらい、車を近くの駐車場に止めた後、「大湯」最寄りの旅館か店で鍵を借りに行き、付き添い人に扉を開けてもらってやっと入ることができる。
お湯の温度は43℃ぐらいか。写真では分かりにくいが、白濁のなかにも少し赤みを帯びた色合いである。いくつかの源泉があるが他の外湯は透明な色が多いが、ここだけ鉄分を含むためか、このような色をしている。奥の湯が源泉のままで、手前がぬる湯とされているが、どちらも同じくらいの熱さ。渋温泉はやはり名湯であった。
泉質:Na-Ca-塩化・硫酸塩泉、泉温:59.6℃、掛け流し。
お湯5・雰囲気5・設備4・清潔感5・サービス4・全体評5・・・28点
渋温泉は伝説によると1300年前に行基が発見したとされる。ここも武田信玄の隠し湯のひとつであったといわれ、信玄の寄進によって温泉寺が開かれ、川中島の戦いの折には傷ついた兵士を療養させた場所でもある。
江戸時代には、佐久間象山、小林一茶、葛飾北斎などの文人がこの地を訪れた。
「大湯」の入り口階段横には若山牧水の歌碑がある。この碑は、大正9年5月、牧水が草津から渋温泉まで旅をした時の紀行文からとられている。渋温泉から草津温泉までは山越えで約50kmほどの距離である。
by kirakuossan
| 2015-05-14 18:33
| 温泉♨
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