2015年 04月 23日
指揮者100選☆60 ショルティ |
2015年4月23日(木)
ゲオルク・ショルティ(Sir Georg Solti、ハンガリー 1912~1997)ハンガリー人でありながら、ドイツ、そしてイギリスの国籍で活躍した指揮者でピアニスト。いつも引き合いに出すが、同じ1912年生まれに、ギュンター・ヴァント、セルジウ・チェリビダッケ、イーゴル・マルケヴィッチ、クルト・ザンデルリンク、エーリヒ・ラインスドルフ、フェルディナント・ライトナーらがいる。また同じハンガリー出身の指揮者としては、ユージン・オーマンディ、ジョージ・セル、フリッツ・ライナー、さらには早世したフェレンツ・フリッチャイやイシュトヴァン・ケルテスら錚々たるマエストロが揃っているが、ショルティはその中でも決して引けを取ることがない、オペラ・交響曲などあらゆる分野で活躍した大指揮者であった。でもヴァントやチェリビダッケ、あるいはオーマンディやセル、ライナーがあれほどに人気があるのに、なぜかショルティは不思議と日本での評価はあまり高くなかったと言わざるを得ない、どうしてだろう。
今回、マタチッチとチェコ・フィルとの「英雄」の凄さを再認識して、あらためて他の多くの指揮者の「英雄」と聞き比べた。そこでショルティとシカゴ交響楽団の演奏もずいぶんと優れた演奏であることがわかったが、そのときも、そうだショルティをまだ指揮者100選に採りあげていなかった、と意外さに気づくように。
初来日はロンドン交響楽団との演奏旅行であった1963年4月であるが、この時、大御所ピエール・モントゥーと一緒にアンタル・ドラティとともに同行した。ショルティは7日目の大阪フェスティバルホールにはじめて登場してベートーヴェンの第4番と第7番、ほかに郡山など4公演を受け持ち、モーツァルトの第39番とブラームス第1番などを振った。またモントゥーは最初の方の3公演だけに登場してエルガーのエニグマ変奏曲、シベリウス第2番、ベートーヴェン交響曲第8番に、ブラームスの第2番、そしてシューベルトの「グレイト」を演奏した記録が残っている。51歳のショルティが88歳モントゥーの前座をつとめた古き時代の話である。そしてその6年後、1969年には今度は自らがウィーン・フィルを引き連れて2度目の来日を果たした。京都ではベートーヴェン第7番を、大阪ではモーツァルトの第39番とブルックナーの第7番を披露した。ショルティが手兵のシカゴ響とやってきたのは1977年、86年、90年の3度であった。ほかにロンドン・フィルと、また最後にはウィーン・フィルと、とこのように頻繁に来日したのに日本での目立った人気が出なかったのは不思議なことである。
☆演奏スタイルは・・・
シカゴの野球解説者は、正確であることを「ショルティのよう」と喩えるらしいが、リズムの正確さ、鋭敏さが大きな特徴である。そして楽器を良く鳴らして、オーケストラのダイナミックレンジを最大限に発揮した、豪快なそんな指揮をする。思い切りオーケストラを響かせえたのは、シカゴ交響楽団の実力の確かさに起因することもたしかに大きいが、でもそのことは彼が1969年から20余年、シカゴ響を手塩にかけて育て上げたからということにほかならない。
☆録音は・・・
良音質のデッカレーベルからの恵まれた数々の録音が遺された。レパートリーは幅広く、ワーグナーやリヒャルト・シュトラウスなどのオペラをはじめとし、ハイドン、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、マーラーなどのドイツものを得意とした。
☆私見・・・
僕もショルティの演奏はほとんど聴いてこなかったが、何故か、豪快、冷徹、剛直、完璧、そんなイメージが僕には勝手に備わっている。それが本当か、違っているのかは、これから多くの遺された演奏を聴いていくなかで知るだろう。
☆Myライブラリーより・・・
ベートーヴェン:
交響曲第3番変ホ長調『英雄』作品55
シカゴ交響楽団
(録音:1973年11月)
『ショルティ自伝』(草思社刊)の記述に触れて、満津岡信育のライナーノーツにこうある。
ショルティが、1954年8月にシカゴ響と初めて出会ったときのことが、「ラヴィニア(音楽祭)」でシカゴ交響楽団と演奏するのは、最高に楽しかった。初日にやったベートーヴェンの<英雄>交響曲は忘れられない・・・それまでの私の指揮者生活で、最高の音楽体験だった」と記されているのである。~
ショルティが、<英雄>の葬送行進曲を初めて指揮したのが、R・シュトラウスの葬儀であったことも綴られている。また、ショルティがオーケストラの前に立つ際に、あらかじめその楽章の冒頭から結尾までを頭に入れているという記述の後、次のようなくだりが出現する。そこには、「私は建築家的な指揮者で、ニキシュやフルトヴェングラーのように即興はできない。たとえばベートーヴェンの<英雄>交響曲の第1楽章では、どこで第2主題のためにテンポを落とし、どこでもとのテンポに戻すべきかあらかじめわかっている」という文章が並んでいるのだ。
ここでのトリオのホルンは、僕には《どちらかといえば澄んだ明るい響き》に聴こえた。
..................................................
おまけ
ショルティ・リハーサル風景
1995年3月28日~3月31日 ウィーン楽友協会大ホール
ゲオルグ・ショルティ指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
今回、マタチッチとチェコ・フィルとの「英雄」の凄さを再認識して、あらためて他の多くの指揮者の「英雄」と聞き比べた。そこでショルティとシカゴ交響楽団の演奏もずいぶんと優れた演奏であることがわかったが、そのときも、そうだショルティをまだ指揮者100選に採りあげていなかった、と意外さに気づくように。
初来日はロンドン交響楽団との演奏旅行であった1963年4月であるが、この時、大御所ピエール・モントゥーと一緒にアンタル・ドラティとともに同行した。ショルティは7日目の大阪フェスティバルホールにはじめて登場してベートーヴェンの第4番と第7番、ほかに郡山など4公演を受け持ち、モーツァルトの第39番とブラームス第1番などを振った。またモントゥーは最初の方の3公演だけに登場してエルガーのエニグマ変奏曲、シベリウス第2番、ベートーヴェン交響曲第8番に、ブラームスの第2番、そしてシューベルトの「グレイト」を演奏した記録が残っている。51歳のショルティが88歳モントゥーの前座をつとめた古き時代の話である。そしてその6年後、1969年には今度は自らがウィーン・フィルを引き連れて2度目の来日を果たした。京都ではベートーヴェン第7番を、大阪ではモーツァルトの第39番とブルックナーの第7番を披露した。ショルティが手兵のシカゴ響とやってきたのは1977年、86年、90年の3度であった。ほかにロンドン・フィルと、また最後にはウィーン・フィルと、とこのように頻繁に来日したのに日本での目立った人気が出なかったのは不思議なことである。
☆演奏スタイルは・・・
シカゴの野球解説者は、正確であることを「ショルティのよう」と喩えるらしいが、リズムの正確さ、鋭敏さが大きな特徴である。そして楽器を良く鳴らして、オーケストラのダイナミックレンジを最大限に発揮した、豪快なそんな指揮をする。思い切りオーケストラを響かせえたのは、シカゴ交響楽団の実力の確かさに起因することもたしかに大きいが、でもそのことは彼が1969年から20余年、シカゴ響を手塩にかけて育て上げたからということにほかならない。
☆録音は・・・
良音質のデッカレーベルからの恵まれた数々の録音が遺された。レパートリーは幅広く、ワーグナーやリヒャルト・シュトラウスなどのオペラをはじめとし、ハイドン、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、マーラーなどのドイツものを得意とした。
☆私見・・・
僕もショルティの演奏はほとんど聴いてこなかったが、何故か、豪快、冷徹、剛直、完璧、そんなイメージが僕には勝手に備わっている。それが本当か、違っているのかは、これから多くの遺された演奏を聴いていくなかで知るだろう。
☆Myライブラリーより・・・
ベートーヴェン:
交響曲第3番変ホ長調『英雄』作品55
シカゴ交響楽団
(録音:1973年11月)
『ショルティ自伝』(草思社刊)の記述に触れて、満津岡信育のライナーノーツにこうある。
ショルティが、1954年8月にシカゴ響と初めて出会ったときのことが、「ラヴィニア(音楽祭)」でシカゴ交響楽団と演奏するのは、最高に楽しかった。初日にやったベートーヴェンの<英雄>交響曲は忘れられない・・・それまでの私の指揮者生活で、最高の音楽体験だった」と記されているのである。~
ショルティが、<英雄>の葬送行進曲を初めて指揮したのが、R・シュトラウスの葬儀であったことも綴られている。また、ショルティがオーケストラの前に立つ際に、あらかじめその楽章の冒頭から結尾までを頭に入れているという記述の後、次のようなくだりが出現する。そこには、「私は建築家的な指揮者で、ニキシュやフルトヴェングラーのように即興はできない。たとえばベートーヴェンの<英雄>交響曲の第1楽章では、どこで第2主題のためにテンポを落とし、どこでもとのテンポに戻すべきかあらかじめわかっている」という文章が並んでいるのだ。
ここでのトリオのホルンは、僕には《どちらかといえば澄んだ明るい響き》に聴こえた。
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おまけ
ショルティ・リハーサル風景
1995年3月28日~3月31日 ウィーン楽友協会大ホール
ゲオルグ・ショルティ指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
by kirakuossan
| 2015-04-23 08:00
| 指揮者100選(完)
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