2015年 04月 21日
sauve qui peut |
2015年4月21日(火)
父ひとり、娘ひとり。内田樹の「詩」のようなエッセイ?
るんちゃんがついに旅立った。
JR六甲道の改札口で別れつつ、
「困ったことがあったら、いつでも帰ってくるんだよ」
「うん。帰るよ」
と手を振ってお別れした。
ぐすん。
思えば一九八二年七月二四日に日赤産院の分娩室でラマーズ法の出産時に、産道からご出生になる瞬間に立ち会って以来一八年余、まさに「掌中の珠」として「よしよし」してきたわけであるが、その娘も成長して、私の手を離れることとなった。
娘の成長と、父親としての責務の終了を祝い、ジャック・ダニエルズでひとり静かに祝杯を挙げる。
おめでとう。
がんばるんだよ。
父ちゃんから贈る言葉はいつもシンプルだ。
「金なら貸すぞ。夜露がしのげる場所がなければ家においで」
これはすべての「友だち」に父ちゃんが告げてきた言葉だ。
それをるんちゃんにも贈る。
私の家の扉は私の救援を求める「友だち」のためにいつでも開いている。
るんちゃんは私の最良の「友だち」の一人だから、当然、私の家の扉はいつでも君のために開いている。
人間としてどう生きるかについての説教はもう一八年間飽きるほどしたはずだから、いまさら言い足すことはない。
ひとことだけ言葉があるとすれば、それはこんなフランス語だ。
sauve qui peut (ソーヴ・キ・プと読むのだよ)
これは船が沈没したり、最前線が崩壊したりしたときに、最後に指揮官が兵士たちに告げる言葉である。
「生き延びることができるものは、生き延びよ」
集団として生き延びることが困難な局面では、ひとりひとりが自分の才覚で、難局を生き延びる他ない。
これからはそういう時代だと私は思う。
万人向けの「成功のロールモデル」はるんちゃんにはない。
全知全力を尽くして君たちの困難な時代を生き延びてほしい。
父ちゃんが言いたいことはそれだけだ。
るんちゃんの旅立ち 内田樹 (2001/3)
父ひとり、娘ひとり。内田樹の「詩」のようなエッセイ?
るんちゃんがついに旅立った。
JR六甲道の改札口で別れつつ、
「困ったことがあったら、いつでも帰ってくるんだよ」
「うん。帰るよ」
と手を振ってお別れした。
ぐすん。
思えば一九八二年七月二四日に日赤産院の分娩室でラマーズ法の出産時に、産道からご出生になる瞬間に立ち会って以来一八年余、まさに「掌中の珠」として「よしよし」してきたわけであるが、その娘も成長して、私の手を離れることとなった。
娘の成長と、父親としての責務の終了を祝い、ジャック・ダニエルズでひとり静かに祝杯を挙げる。
おめでとう。
がんばるんだよ。
父ちゃんから贈る言葉はいつもシンプルだ。
「金なら貸すぞ。夜露がしのげる場所がなければ家においで」
これはすべての「友だち」に父ちゃんが告げてきた言葉だ。
それをるんちゃんにも贈る。
私の家の扉は私の救援を求める「友だち」のためにいつでも開いている。
るんちゃんは私の最良の「友だち」の一人だから、当然、私の家の扉はいつでも君のために開いている。
人間としてどう生きるかについての説教はもう一八年間飽きるほどしたはずだから、いまさら言い足すことはない。
ひとことだけ言葉があるとすれば、それはこんなフランス語だ。
sauve qui peut (ソーヴ・キ・プと読むのだよ)
これは船が沈没したり、最前線が崩壊したりしたときに、最後に指揮官が兵士たちに告げる言葉である。
「生き延びることができるものは、生き延びよ」
集団として生き延びることが困難な局面では、ひとりひとりが自分の才覚で、難局を生き延びる他ない。
これからはそういう時代だと私は思う。
万人向けの「成功のロールモデル」はるんちゃんにはない。
全知全力を尽くして君たちの困難な時代を生き延びてほしい。
父ちゃんが言いたいことはそれだけだ。
るんちゃんの旅立ち 内田樹 (2001/3)
by kirakuossan
| 2015-04-21 06:36
| 文芸
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