2015年 01月 22日
生誕100年を迎える3人の巨匠 |
2015年1月22日(木)
今年がメモリアル・イヤー、生誕100年を迎える3人の偉大な巨匠がいる。ひとりはピアノ奏者のスヴャトスラフ・リヒテルであり、ひとりはヴァイオリン奏者のヴォルフガング・シュナイダーハン、そしてもうひとりはテノール歌手のマリオ・デル=モナコである。
リヒテルは、戦時中はソ連国内で活動し、西側では噂のみが伝えられた”幻のピアニスト”であった。しかし、60年になって、米国デビューを果たすや、たちまち大きな話題となった。日本にも万博で初来日、以降親日家で通った。完璧主義者と称されるが、そこから抱く冷たい予感とは違い、華麗でダイナミックで、しかも一方では情感さも併せ持つ完璧な技術であった。そのことは、ベートーヴェンの「テンペスト」で圧倒したかと思うと、片方でグリーグの「抒情小曲集」をも得意としたことでよく理解できるのである。
シュナイダーハンは、18歳でウィーン交響楽団のコンサートマスターに就き、23歳でウィーン・フィルの首席コンサートマスターを務めるという逸材であった。彼の弦は、ウィーン風の柔和で優雅な音楽性を保ち、透明感のある繊細な音色である。どちらかといえば、ソリストになってからの活躍は地味な部類に属するが、その築き上げる造形力は真の音楽であった。またルドルフ・バウムガルトナーと共にルツェルン音楽祭弦楽合奏団を創設した。
モナコは、イタリアの生んだ20世紀最大のテノール歌手である。初舞台は26歳、ミラノ・プッチーニ劇場での「蝶々夫人」、戦後は、ミラノ・スカラ座など世界中の歌劇場を制覇した。中でも「オテロ」が当り役で、生涯に400回を越える公演を行った。共演した岡村喬生が「ギリギリの高音を、全身全霊をこめて客に向け吐出する、バリトンからテノールになった彼は、同じ高音を出すのでも、まだ余裕があるな、と思われるより遥かにスリリングで感動的だ」と述べた。
面白いエピソードがある。リヒテルは”飛行機嫌い”で知られる。このことはリヒテルの来日が遅れた理由の一つとされている。ようやく1970年の日本万国博覧会の際に初の訪日が実現した。モナコも飛行機の代わりに船を利用し、喉に幾重ものマフラーを巻いて大事な喉を守り客室でじっとしていたという。また、モナコはたいへんな上がり症で、各劇場で大成功を収めているというのに、いつも初日では緊張のあまり金縛り状態に陥り、夫人がウイスキーを飲ませたらしい。微笑ましい話だ。
リヒテルはオレグ・カガンとは親密な間柄にあって、その妻であるナターリヤ・グートマンは弟子である。その弟子のひとりに若きエリソ・ヴィルサラーゼもいた。昨年彼女のリサイタルに行きそびれてしまったが、今年の秋(11/21)にまた東京の同じすみだトリフォニーホールで演奏会がある模様だ。今度は万難を排して聴きに行くつもりである。昔、テレビで聴いたチャイコフスキーの1番のあの迫力ある演奏は忘れられない。彼女こそリヒテルを経て、ロシア・ピアニズムの真の継承者であろう。
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スヴャトスラフ・テオフィーロヴィチ・リヒテル(1915~1997)ソ連のピアニスト、その卓越した演奏技術から20世紀最大のピアニストと称された。
シューベルト:
ピアノ・ソナタ第13番イ長調 Op. 120 D. 664、第14番イ短調 Op. 143 D. 784
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
この盤はリヒテルが79年に来日した際のリサイタル・ライヴで、
第14番は彼の唯一の録音でもある。
ヴォルフガング・エドゥアルト・シュナイダーハン(1915~2002)オーストリアのヴァイオリニストで、名コンサートマスター。
モーツァルト:
ヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調 K. 219
ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリン)
ウィーン交響楽団/フェルディナンド・ライトナー(指揮)
マリオ・デル・モナコ(1915~1982)イタリアの名テノール歌手。
ヴェルディ:
歌劇「オテロ」(抜粋)
マリオ・デル・モナコ(テノール)
ビクトリア・デ・ロス・アンヘルス(ソプラノ)レナード・ウォーレン(バリトン)
メトロポリタン歌劇場合唱団・管弦楽団/ファウスト・クレヴァ(指揮)
今年がメモリアル・イヤー、生誕100年を迎える3人の偉大な巨匠がいる。ひとりはピアノ奏者のスヴャトスラフ・リヒテルであり、ひとりはヴァイオリン奏者のヴォルフガング・シュナイダーハン、そしてもうひとりはテノール歌手のマリオ・デル=モナコである。
リヒテルは、戦時中はソ連国内で活動し、西側では噂のみが伝えられた”幻のピアニスト”であった。しかし、60年になって、米国デビューを果たすや、たちまち大きな話題となった。日本にも万博で初来日、以降親日家で通った。完璧主義者と称されるが、そこから抱く冷たい予感とは違い、華麗でダイナミックで、しかも一方では情感さも併せ持つ完璧な技術であった。そのことは、ベートーヴェンの「テンペスト」で圧倒したかと思うと、片方でグリーグの「抒情小曲集」をも得意としたことでよく理解できるのである。
シュナイダーハンは、18歳でウィーン交響楽団のコンサートマスターに就き、23歳でウィーン・フィルの首席コンサートマスターを務めるという逸材であった。彼の弦は、ウィーン風の柔和で優雅な音楽性を保ち、透明感のある繊細な音色である。どちらかといえば、ソリストになってからの活躍は地味な部類に属するが、その築き上げる造形力は真の音楽であった。またルドルフ・バウムガルトナーと共にルツェルン音楽祭弦楽合奏団を創設した。
モナコは、イタリアの生んだ20世紀最大のテノール歌手である。初舞台は26歳、ミラノ・プッチーニ劇場での「蝶々夫人」、戦後は、ミラノ・スカラ座など世界中の歌劇場を制覇した。中でも「オテロ」が当り役で、生涯に400回を越える公演を行った。共演した岡村喬生が「ギリギリの高音を、全身全霊をこめて客に向け吐出する、バリトンからテノールになった彼は、同じ高音を出すのでも、まだ余裕があるな、と思われるより遥かにスリリングで感動的だ」と述べた。
面白いエピソードがある。リヒテルは”飛行機嫌い”で知られる。このことはリヒテルの来日が遅れた理由の一つとされている。ようやく1970年の日本万国博覧会の際に初の訪日が実現した。モナコも飛行機の代わりに船を利用し、喉に幾重ものマフラーを巻いて大事な喉を守り客室でじっとしていたという。また、モナコはたいへんな上がり症で、各劇場で大成功を収めているというのに、いつも初日では緊張のあまり金縛り状態に陥り、夫人がウイスキーを飲ませたらしい。微笑ましい話だ。
リヒテルはオレグ・カガンとは親密な間柄にあって、その妻であるナターリヤ・グートマンは弟子である。その弟子のひとりに若きエリソ・ヴィルサラーゼもいた。昨年彼女のリサイタルに行きそびれてしまったが、今年の秋(11/21)にまた東京の同じすみだトリフォニーホールで演奏会がある模様だ。今度は万難を排して聴きに行くつもりである。昔、テレビで聴いたチャイコフスキーの1番のあの迫力ある演奏は忘れられない。彼女こそリヒテルを経て、ロシア・ピアニズムの真の継承者であろう。
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スヴャトスラフ・テオフィーロヴィチ・リヒテル(1915~1997)ソ連のピアニスト、その卓越した演奏技術から20世紀最大のピアニストと称された。
シューベルト:
ピアノ・ソナタ第13番イ長調 Op. 120 D. 664、第14番イ短調 Op. 143 D. 784
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
この盤はリヒテルが79年に来日した際のリサイタル・ライヴで、
第14番は彼の唯一の録音でもある。
ヴォルフガング・エドゥアルト・シュナイダーハン(1915~2002)オーストリアのヴァイオリニストで、名コンサートマスター。
モーツァルト:
ヴァイオリン協奏曲第5番 イ長調 K. 219
ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリン)
ウィーン交響楽団/フェルディナンド・ライトナー(指揮)
マリオ・デル・モナコ(1915~1982)イタリアの名テノール歌手。
ヴェルディ:
歌劇「オテロ」(抜粋)
マリオ・デル・モナコ(テノール)
ビクトリア・デ・ロス・アンヘルス(ソプラノ)レナード・ウォーレン(バリトン)
メトロポリタン歌劇場合唱団・管弦楽団/ファウスト・クレヴァ(指揮)
by kirakuossan
| 2015-01-22 08:25
| クラシック
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