2015年 01月 15日
偏見版『倶楽シック音楽全集』-43① ラフマニノフ |
2015年1月15日(木)
【第91巻】ロシア・ロマン派の旗手
ラフマニノフ :Ⅰ 1873~1943 ロシア
チャイコフスキー的な西欧ロマン主義に立脚した作風を見せたセルゲイ・ラフマニノフだが、そこには彼独自のセンチメンタリズムと抒情性が同居する。3つの交響曲を遺しているが、1895年に完成させた最初の交響曲第1番は、当時聴衆に受け入れられず、初演は大失敗に終った。それは相反する国民楽派の拠点であったペテルブルクで行われたために、モスクワ楽派のラフマニノフにとってはアゲインストの風が吹いたかもしれない。第1番初演の失敗後、そのショックで自信を失い神経衰弱に陥るが、でもラフマニノフはこの作品に終生愛着を持ち続け、いつかどこかで改訂して再び世に出したいと願っていたが、それも亡命などにより実現はしなかった。
ところがこの曲が再び蘇ることになる。作曲者没後の1945年、レニングラード国立図書館で初演の際のパート譜一式が発見されたのがきっかけとなって、スコアが復元され、アレクサンドル・ガウク指揮ソヴィエト国立交響楽団により復活初演され、大成功を収める。これを機にロシアにおけるラフマニノフの評価が再燃することになり、さらに3年後、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団によって演奏され好評を得たことなどにより、世界的に知られるようになったのである。
今こうして聴いてみると、彼が22歳の若い時に書いた初々しい第1番は新鮮な魅力に満ち満ちている。そして第3楽章の甘美なメロディーで有名な第2番を12年後に、さらにドラマティックで優美な3番目の交響曲はさらに30年後の63歳に書き上げることになるが、この初々しい第1番がもっとも好きである。
ただこれも演奏によってはずいぶん違いを見せ、凡演では魅力のない作品に終ってしまう。でも今聴いているヴァルター・ヴェラーの棒によると、音楽は完全に蘇るのである。
ラフマニノフ:
交響曲第1番 ニ短調 Op. 13
バーゼル交響楽団
ヴァルター・ヴェラー(指揮)
1895年の初演後、彼の苦悩が癒されるまでには5年の月日が必要であった。そして自信を取り戻し、いよいよ彼の代表作であるあの数々のピアノによる作品を生みだすこととなる。
【第91巻】ロシア・ロマン派の旗手
ラフマニノフ :Ⅰ 1873~1943 ロシア
チャイコフスキー的な西欧ロマン主義に立脚した作風を見せたセルゲイ・ラフマニノフだが、そこには彼独自のセンチメンタリズムと抒情性が同居する。3つの交響曲を遺しているが、1895年に完成させた最初の交響曲第1番は、当時聴衆に受け入れられず、初演は大失敗に終った。それは相反する国民楽派の拠点であったペテルブルクで行われたために、モスクワ楽派のラフマニノフにとってはアゲインストの風が吹いたかもしれない。第1番初演の失敗後、そのショックで自信を失い神経衰弱に陥るが、でもラフマニノフはこの作品に終生愛着を持ち続け、いつかどこかで改訂して再び世に出したいと願っていたが、それも亡命などにより実現はしなかった。
ところがこの曲が再び蘇ることになる。作曲者没後の1945年、レニングラード国立図書館で初演の際のパート譜一式が発見されたのがきっかけとなって、スコアが復元され、アレクサンドル・ガウク指揮ソヴィエト国立交響楽団により復活初演され、大成功を収める。これを機にロシアにおけるラフマニノフの評価が再燃することになり、さらに3年後、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団によって演奏され好評を得たことなどにより、世界的に知られるようになったのである。
今こうして聴いてみると、彼が22歳の若い時に書いた初々しい第1番は新鮮な魅力に満ち満ちている。そして第3楽章の甘美なメロディーで有名な第2番を12年後に、さらにドラマティックで優美な3番目の交響曲はさらに30年後の63歳に書き上げることになるが、この初々しい第1番がもっとも好きである。
ただこれも演奏によってはずいぶん違いを見せ、凡演では魅力のない作品に終ってしまう。でも今聴いているヴァルター・ヴェラーの棒によると、音楽は完全に蘇るのである。
ラフマニノフ:
交響曲第1番 ニ短調 Op. 13
バーゼル交響楽団
ヴァルター・ヴェラー(指揮)
1895年の初演後、彼の苦悩が癒されるまでには5年の月日が必要であった。そして自信を取り戻し、いよいよ彼の代表作であるあの数々のピアノによる作品を生みだすこととなる。
by kirakuossan
| 2015-01-15 10:01
| 偏見版「倶楽シック全集」(完)
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