2014年 12月 27日
2014年の演奏会を振りかえって |
2014年12月27日(土)
今年は2月9日のびわこフィル・ハーモニーオーケストラの定期演奏会で幕を開けた。このオケ、想像以上にレベルが高く、とくにヴァイオリンを中心とした弦楽器群が結構厚みのある響きを聴かせた。演奏曲目もブラームスの交響曲第1番と意欲的であった。また機会があれば行ってみたい。
3月は海外のビッグなオーケストラを二つ聴いた。まず15日にヴァシリー・ペトレンコが指揮するオスロ・フィルハーモニー管弦楽団。実はピアニストのアリス=紗良・オットを間近で聴く
(見る)のが大きな目的でもあった。グリーグのイ短調第二楽章、思わずぞくっとした、あの天上から降りてきるような神がかり的な一音、今までに一度も耳にしたこともない不思議な音は忘れられない。庵原氏と二人して陶酔に耽ったものだ。また若きペトレンコのショスタコ5番も最上級の出来栄えであった。
もう一つが、22日のリッカルド・シャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団演奏会。曲目はマーラーの交響曲第7番ホ短調「夜の歌」。この曲は今までマーラーのなかで最も聴かなかった曲だが、実演前にも何度も聴いてようやく馴染んだ。第一楽章がやや難しいが、残りの4つの楽章は受け入れやすいことも解った。シャイーは、無駄がないそつのない指揮ぶりだ、その日のマーラーが熱演という事もあったが、終演後拍手は鳴りやまなかった。気がつけば自分も10分近く拍手を続けていた。ゲヴァントハウス管を初めて生演奏で聴いたが、曲目のせいだろう、管楽器が素晴らしく感じ取れた。
4月にはデヴィッド・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の演奏会に行った。これが正直期待はずれであって、響きにおいて透明感に欠けるし、音楽としての凄みといったものが感じられない。もっと言えば、ほかのオーケストラと違うような個性のようなものを持ち合わせていない、おとなしくごく平凡な印象を受けた。ギドン・クレーメルのビブラートを抑えた繊細だが気持ちのこもったベートーヴェンと比べて、メーンプロのブラームスの1番はありきたりの演奏に終始し、物足りないものであった。
物足りなかったのは、続いての5月の立命館大学交響楽団定期演奏会もそうだった、このオケにしては初めての不出来、ブラームス2番と言う曲は、乗り切れなかったらとことんダレるのもわかった。それに春の演奏会は楽員の入れ替えが終ったばかりの不安定な時期というのも初めて理解できた。
同じ5月の終りには、松本までひとりの女流ピアニストのリサイタルをわざわざ聴きに行ったのを思い出す。山岸ルツ子ピアノリサイタル、ヘンデルに始まって、ショパン、ラフマニノフ、そしてお手のもののリスト。力強いタッチのピアニストで、ベルマンの弟子だけあって、リストは聞かせた。この日、朝から一日中の松本見物もよい思い出となった。
6月早々のコンチェルト・ケルン。抜群のアンサンブルと調和、それはフォルテでもピアニシモでも同じように厳格にして、決して乱れることがない。加えてそんな緊張のもとにも奏者全員が互いに信頼し合い、密度の濃い音楽にも独特の家族的雰囲気のようなものを醸し出していた。コンチェルト・ケルンはやはり素晴らしかった。
そして29日には大野和士が首席を務めるリヨン歌劇場管弦楽団。これも印象に残った演奏会だった。プログラムはベートーヴェンでもない、モーツァルトでもない、ブラームスやチャイコフスキーでない。ラヴェルのバレエ音楽である。このような曲を聴き、万雷の拍手が呼び起こされるとは、正直想像もしていなかった。それはリヨン歌劇場管弦楽団の醸し出す、”フランス音楽”の凝縮されたエキスそのものであり、それを見事に統率して引き出した日本人指揮者大野和士への尊敬の念を込めた盛大な拍手であった。同じ日本人としてこれだけの素晴らしい若きマエストロを目の当たりにして我々は誇りすら覚えた。
7月はアマの演奏会が二つ。6日に関学交響楽団の定期を聴く機会があった。ドヴォルザークの8番は素晴らしい演奏を披露してくれた。学生のオーケストラとしては最高レベルの出来ではないか。中でも男性二人を中心としたコントラバスの力強さで、その厚みある響きはオーケストラ全体を下支えしていたのが印象に残る。もう一つは水谷氏にチケットを貰ったフルートオーケストラ「湖笛の会」の演奏、想像していたより音色に幅があり、厚みのある迫力ある演奏ぶりで楽しめた。
8月はいよいよ楽しみにしていた草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル。
17日オープニングのアントニ・ヴィット指揮群馬交響楽団のドヴォルジャーク交響曲第7番。このオケは決して琴線に触れるといった美しく繊細的なものではないが、小細工をしないダイレクトに鳴らすような音に好感が持てる。よくいう”粗削り”というか・・・土の香りがプンプンする骨太の男性的な素晴らしい演奏だった。二日後のパノハ弦楽四重奏団、湯疲れか?演奏会では珍しく、うつらうつら・・・前半のプログラムはほとんど夢の中・・・四重奏団にピアニスト岡田博美が加わった後半のシューマンはなかなかの熱演だった。608席しかない森の中の小さな素敵な演奏会、これはやみつきになるかも。
8月はさらにNHK交響楽団と立命館の初の試みのオペラ「カルメン」にいった。N響は相変わらずの凡演で終始感動しなかった。チャイコフスキーの4番は、ただただ騒音が耳をつんざくだけだった。救いは、堤剛のドヴォルザークで聴かせた誠実な響きであった。
一方、立命の「カルメン」は意欲的な試みで、2時間半の長丁場を立命館交響楽団が無難にこなし、なかなかの好演であった。
ゴルフに音楽会に大忙しの夏も終わり、秋になると、いよいよ音楽の季節と言うのに、珍しく、映画「パガニーニ」を観に行ったあとはしばらくご無沙汰した。
そしていよいよ待ちに待った今年の最大のイベント、11月1日のズービン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会だ。イスラエル・フィルの弦はやはり凄かった。よく言う絹を紡ぐような柔らかさというそんな軟いものではない。もっと存在感を示す、力強くて、真っ向勝負の太さをともなった奥深い響きである。それは無駄なものをいっさい加えない、有りのままの自分たちの持つ音そのものだ。それは大袈裟にいえば、同じ民族同志の、同じ血が呼び起こすハーモニーと言えるのかも知れない。女性ヴァイオリニスト四人による息の合ったヴィヴァルデイで冒頭から圧倒され、最上のモーツァルトの調べに酔い、あの壮大なチャイコフスキーにおいて、完全に打ちのめされた。
その四日後に、今度はイタリアのオケ、ローマ・サンタ・チェチーリア国立管弦楽団。指揮者はアントニオ・パッパーノ。このオーケストラの弦も美しい。イスラエル・フィルが”剛”とすればこちらは”柔”と言えようか。演奏曲目がチャイコフスキーとブラームスの違いということもあるが、どちらがどうこうでなく明らかに反対軸の響きである。どちらもその極致に立っている。ただ意外にも弦に比べて管が少し見劣りした。共演したマリオ・ブルネロのドヴォルザーク協奏曲もよかった。この人のチェロはどちらかといえばテクニックでぐいぐいと弾ききるタイプではなく、ゆったりとした弾き語りで、内面性を重視する演奏哲学みたいなものを感じとるチェリストであった。公演終了後に貰ったカタログ表紙の二人のサインがよい記念となった。
暮れも押し迫った12月。まず12日に京都市立芸術大学音楽部オーケストラの定期でベルリオーズ幻想交響曲を聴いた。期待した管は、クラリネット、オーボエ、トロンボーン、トランペット、チューバ、ホルン、それにパーカッションの面々、すべて最高のできで、これほどまでに澄んだ音色はあまり知らない。またそれを支えた弦の美しさは格別であって、しかも野太い響きは申すまでもなく、アンサンブルは明らかにプロの域でありました。
そして先日20日に聴いたばかりの軽井沢での「メサイア」。鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏会は生涯心に残るものとなった。聴いてから1週間が経ち、その余韻が日増しに高まるのははじめての経験で、本当に素晴らしい音楽と言うのはそんなものかも知れないと思う。ロデリック・ウィリアムズの低音のアリアが今でも耳の奥底から響くようだ。
明日は今年トリの音楽会。大野和士と京響の「第九」、はたしてどんな感動をもたらしてくれるか。この一年、咋年の17回を越える19回の演奏会を聴いた。さあー来年は。。。
追記:
『音楽の友』1月号
「2014年秋の来日オーケストラ・オムニバス・レポート」より
芳醇な音色、4年ぶりのイスラエル・フィル
ズービン・メータ(1936~)の指揮。マエストロは1981年以降、このオーケストラの終身音楽監督に叙せられている。<略>13回目の日本公演だった。1960年暮れにジュリーニとベルティーニに率いられ初来日。23年後の1983年に「終身音楽監督メータと初来日」。桂冠指揮者バーンスタインとの85年秋のマーラー「交響曲第9番」は20世紀の演奏史に燦然と輝くライヴ。その後マゼールとのマーラー選集もあった、と話題は尽きない。
このオーケストラは弦のメンバーを起用した協奏曲や協奏交響曲が得意。今回も女性のヴァイオリニストがヴィヴァルディの「調和の霊感」作品3の第10番となる「4つのヴァイオリンのための協奏曲」ロ短調を弾いた。<略>セールスピッチ風に記せば「昨今の演奏の潮流が何だって?HIPこと歴史的情報に基づく解釈・奏法がどうした?これが私たちのスタイルです。メータ=イスラエル・フィルならではの、ロマンティックな音楽創りをお楽しみあれ。弦のつややか、あでやかな響きをどうぞ」 (文:奥田佳道)
3月は海外のビッグなオーケストラを二つ聴いた。まず15日にヴァシリー・ペトレンコが指揮するオスロ・フィルハーモニー管弦楽団。実はピアニストのアリス=紗良・オットを間近で聴く
(見る)のが大きな目的でもあった。グリーグのイ短調第二楽章、思わずぞくっとした、あの天上から降りてきるような神がかり的な一音、今までに一度も耳にしたこともない不思議な音は忘れられない。庵原氏と二人して陶酔に耽ったものだ。また若きペトレンコのショスタコ5番も最上級の出来栄えであった。
もう一つが、22日のリッカルド・シャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団演奏会。曲目はマーラーの交響曲第7番ホ短調「夜の歌」。この曲は今までマーラーのなかで最も聴かなかった曲だが、実演前にも何度も聴いてようやく馴染んだ。第一楽章がやや難しいが、残りの4つの楽章は受け入れやすいことも解った。シャイーは、無駄がないそつのない指揮ぶりだ、その日のマーラーが熱演という事もあったが、終演後拍手は鳴りやまなかった。気がつけば自分も10分近く拍手を続けていた。ゲヴァントハウス管を初めて生演奏で聴いたが、曲目のせいだろう、管楽器が素晴らしく感じ取れた。
4月にはデヴィッド・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の演奏会に行った。これが正直期待はずれであって、響きにおいて透明感に欠けるし、音楽としての凄みといったものが感じられない。もっと言えば、ほかのオーケストラと違うような個性のようなものを持ち合わせていない、おとなしくごく平凡な印象を受けた。ギドン・クレーメルのビブラートを抑えた繊細だが気持ちのこもったベートーヴェンと比べて、メーンプロのブラームスの1番はありきたりの演奏に終始し、物足りないものであった。
物足りなかったのは、続いての5月の立命館大学交響楽団定期演奏会もそうだった、このオケにしては初めての不出来、ブラームス2番と言う曲は、乗り切れなかったらとことんダレるのもわかった。それに春の演奏会は楽員の入れ替えが終ったばかりの不安定な時期というのも初めて理解できた。
同じ5月の終りには、松本までひとりの女流ピアニストのリサイタルをわざわざ聴きに行ったのを思い出す。山岸ルツ子ピアノリサイタル、ヘンデルに始まって、ショパン、ラフマニノフ、そしてお手のもののリスト。力強いタッチのピアニストで、ベルマンの弟子だけあって、リストは聞かせた。この日、朝から一日中の松本見物もよい思い出となった。
6月早々のコンチェルト・ケルン。抜群のアンサンブルと調和、それはフォルテでもピアニシモでも同じように厳格にして、決して乱れることがない。加えてそんな緊張のもとにも奏者全員が互いに信頼し合い、密度の濃い音楽にも独特の家族的雰囲気のようなものを醸し出していた。コンチェルト・ケルンはやはり素晴らしかった。
そして29日には大野和士が首席を務めるリヨン歌劇場管弦楽団。これも印象に残った演奏会だった。プログラムはベートーヴェンでもない、モーツァルトでもない、ブラームスやチャイコフスキーでない。ラヴェルのバレエ音楽である。このような曲を聴き、万雷の拍手が呼び起こされるとは、正直想像もしていなかった。それはリヨン歌劇場管弦楽団の醸し出す、”フランス音楽”の凝縮されたエキスそのものであり、それを見事に統率して引き出した日本人指揮者大野和士への尊敬の念を込めた盛大な拍手であった。同じ日本人としてこれだけの素晴らしい若きマエストロを目の当たりにして我々は誇りすら覚えた。
7月はアマの演奏会が二つ。6日に関学交響楽団の定期を聴く機会があった。ドヴォルザークの8番は素晴らしい演奏を披露してくれた。学生のオーケストラとしては最高レベルの出来ではないか。中でも男性二人を中心としたコントラバスの力強さで、その厚みある響きはオーケストラ全体を下支えしていたのが印象に残る。もう一つは水谷氏にチケットを貰ったフルートオーケストラ「湖笛の会」の演奏、想像していたより音色に幅があり、厚みのある迫力ある演奏ぶりで楽しめた。
8月はいよいよ楽しみにしていた草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル。
17日オープニングのアントニ・ヴィット指揮群馬交響楽団のドヴォルジャーク交響曲第7番。このオケは決して琴線に触れるといった美しく繊細的なものではないが、小細工をしないダイレクトに鳴らすような音に好感が持てる。よくいう”粗削り”というか・・・土の香りがプンプンする骨太の男性的な素晴らしい演奏だった。二日後のパノハ弦楽四重奏団、湯疲れか?演奏会では珍しく、うつらうつら・・・前半のプログラムはほとんど夢の中・・・四重奏団にピアニスト岡田博美が加わった後半のシューマンはなかなかの熱演だった。608席しかない森の中の小さな素敵な演奏会、これはやみつきになるかも。
8月はさらにNHK交響楽団と立命館の初の試みのオペラ「カルメン」にいった。N響は相変わらずの凡演で終始感動しなかった。チャイコフスキーの4番は、ただただ騒音が耳をつんざくだけだった。救いは、堤剛のドヴォルザークで聴かせた誠実な響きであった。
一方、立命の「カルメン」は意欲的な試みで、2時間半の長丁場を立命館交響楽団が無難にこなし、なかなかの好演であった。
ゴルフに音楽会に大忙しの夏も終わり、秋になると、いよいよ音楽の季節と言うのに、珍しく、映画「パガニーニ」を観に行ったあとはしばらくご無沙汰した。
そしていよいよ待ちに待った今年の最大のイベント、11月1日のズービン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会だ。イスラエル・フィルの弦はやはり凄かった。よく言う絹を紡ぐような柔らかさというそんな軟いものではない。もっと存在感を示す、力強くて、真っ向勝負の太さをともなった奥深い響きである。それは無駄なものをいっさい加えない、有りのままの自分たちの持つ音そのものだ。それは大袈裟にいえば、同じ民族同志の、同じ血が呼び起こすハーモニーと言えるのかも知れない。女性ヴァイオリニスト四人による息の合ったヴィヴァルデイで冒頭から圧倒され、最上のモーツァルトの調べに酔い、あの壮大なチャイコフスキーにおいて、完全に打ちのめされた。
その四日後に、今度はイタリアのオケ、ローマ・サンタ・チェチーリア国立管弦楽団。指揮者はアントニオ・パッパーノ。このオーケストラの弦も美しい。イスラエル・フィルが”剛”とすればこちらは”柔”と言えようか。演奏曲目がチャイコフスキーとブラームスの違いということもあるが、どちらがどうこうでなく明らかに反対軸の響きである。どちらもその極致に立っている。ただ意外にも弦に比べて管が少し見劣りした。共演したマリオ・ブルネロのドヴォルザーク協奏曲もよかった。この人のチェロはどちらかといえばテクニックでぐいぐいと弾ききるタイプではなく、ゆったりとした弾き語りで、内面性を重視する演奏哲学みたいなものを感じとるチェリストであった。公演終了後に貰ったカタログ表紙の二人のサインがよい記念となった。
暮れも押し迫った12月。まず12日に京都市立芸術大学音楽部オーケストラの定期でベルリオーズ幻想交響曲を聴いた。期待した管は、クラリネット、オーボエ、トロンボーン、トランペット、チューバ、ホルン、それにパーカッションの面々、すべて最高のできで、これほどまでに澄んだ音色はあまり知らない。またそれを支えた弦の美しさは格別であって、しかも野太い響きは申すまでもなく、アンサンブルは明らかにプロの域でありました。
そして先日20日に聴いたばかりの軽井沢での「メサイア」。鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏会は生涯心に残るものとなった。聴いてから1週間が経ち、その余韻が日増しに高まるのははじめての経験で、本当に素晴らしい音楽と言うのはそんなものかも知れないと思う。ロデリック・ウィリアムズの低音のアリアが今でも耳の奥底から響くようだ。
明日は今年トリの音楽会。大野和士と京響の「第九」、はたしてどんな感動をもたらしてくれるか。この一年、咋年の17回を越える19回の演奏会を聴いた。さあー来年は。。。
追記:
『音楽の友』1月号
「2014年秋の来日オーケストラ・オムニバス・レポート」より
芳醇な音色、4年ぶりのイスラエル・フィル
ズービン・メータ(1936~)の指揮。マエストロは1981年以降、このオーケストラの終身音楽監督に叙せられている。<略>13回目の日本公演だった。1960年暮れにジュリーニとベルティーニに率いられ初来日。23年後の1983年に「終身音楽監督メータと初来日」。桂冠指揮者バーンスタインとの85年秋のマーラー「交響曲第9番」は20世紀の演奏史に燦然と輝くライヴ。その後マゼールとのマーラー選集もあった、と話題は尽きない。
このオーケストラは弦のメンバーを起用した協奏曲や協奏交響曲が得意。今回も女性のヴァイオリニストがヴィヴァルディの「調和の霊感」作品3の第10番となる「4つのヴァイオリンのための協奏曲」ロ短調を弾いた。<略>セールスピッチ風に記せば「昨今の演奏の潮流が何だって?HIPこと歴史的情報に基づく解釈・奏法がどうした?これが私たちのスタイルです。メータ=イスラエル・フィルならではの、ロマンティックな音楽創りをお楽しみあれ。弦のつややか、あでやかな響きをどうぞ」 (文:奥田佳道)
by kirakuossan
| 2014-12-27 15:25
| クラシック
|
Trackback(1)
Tracked
from dezire_photo..
at 2015-03-12 11:07
タイトル : バッハとヘンデルの音楽性の違いを考える
ヘンデル『メサイア』 Handel "Messiah" 年末のクラシック音楽といえば「第9」を聞く人が圧倒的に多く、コンサートも「第9」一色の感があります。しかし私は、年末に「第9」を聴きたいと思ったことは一度もありません。私にとって年末に聴きたい音楽といえば迷わず「メサイア」で、過去に通算5回「メサイア」を聴いています。意外に12月の「メサイア」のコンサートは少なく、唯一時間的に聴くことができるのがこのサントリーホールの演奏です。 このメサイアは「オラトリオ」という音楽形式です。これは...... more
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