2014年 12月 02日
「旅行詠」から「讃酒詠」へ |
2014年12月2日(火)
ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲
佐佐木信綱(1872~1963)の歌である。
今日は、更級日記や新古今和歌集、万葉集などの研究でも知られる国文学者でもあった彼の命日である。写真は昨年7月の40℃近い暑さの最中に撮った薬師寺であり、雲は一ひらでなく、この歌も”ゆく秋”を歌い、いずれも今頃の季節とはミスマッチではある。しかも佐佐木信綱の代表作であるこの歌は国宝の東塔を詠ったものであるが、これもあいにくの修理工事中で幕が張られ全く見えなかったという、なんとも間の抜けた話でもある。
この歌も珍しくて、すべて名詞だけで、しかも「の」という助詞で続ける。まるでドキュメンタリかなんかのカメラが大和の国を空からとらえ、薬師寺に接近させ、そして東塔に焦点を絞り、すかさず一転、カメラレンズは空の雲へ移動させるといったあんばいだ。それらはすべて「の」という助詞の繰り返しの効果からでるものだ。このことは歌人であり生物学者でもある滋賀県生まれの永田和宏の著書『近代秀歌』(岩波新書)にカメラのズームインといった表現で説明されている。
佐佐木信綱は旅行詠に秀作があるが、旅行詠といえば、やはり若山牧水だろう。
幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく
これは牧水が大学3年の夏休みに中国地方を旅し、岡山県と広島県の境にある二本松峠で詠んだ有名な歌。
でも牧水はやはり「讃酒詠」が一番の魅力だ。
かんがへて飲みはじめたる一合の 二合の酒の夏のゆふぐれ
牧水の同居人の門弟大悟法利雄は証言する。
大正十四年、千本松原に家を新築した頃には、酒にもおのずからに定量が出来ていた。朝二合、昼三合、夜六合、一日合計一升というのがその定量と言ってよかった。しかしそれは 「定量」というよりも「最低量」といった方が正しいくらいで、毎日それが守られていたのではなく、きょうは思いのほか仕事が捗ったからといって、もう一本、もう一本という風に追加が出される。だから、定量一升といっても一日平均の量は遥かにそれを上廻るというのが実情である。(『近代秀歌』より)
白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり
人の世にたのしみ多し然れども酒なしにしてなにのたのしみ
友酔はず我また酔はずいとまなくさかづきかはしこころを温む
結局落ち着くところへ落ち着いたようで・・・
追記:
2015年1月14日(水)
かんがへて飲みはじめたる一合の 二合の酒の夏のゆふぐれ
この句を書いた牧水直筆の書が、草津温泉の大阪屋旅館の玄関フロント正面に掲げてあった。筆跡からしても間違いなく本人の書だと思われるが、そこにいた若い館員に訊ねると、半信半疑で頼りない返答であった。こんな経験はよくあることで、やはりせっかく掲げてある限りは知っていないと。そこの社員教育だけでなく、経営者の見識まで疑ってしまうことになってしまう。
(訪れたのは2014年12月22日。ふと思い出して掲載した。)
ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲
佐佐木信綱(1872~1963)の歌である。
今日は、更級日記や新古今和歌集、万葉集などの研究でも知られる国文学者でもあった彼の命日である。写真は昨年7月の40℃近い暑さの最中に撮った薬師寺であり、雲は一ひらでなく、この歌も”ゆく秋”を歌い、いずれも今頃の季節とはミスマッチではある。しかも佐佐木信綱の代表作であるこの歌は国宝の東塔を詠ったものであるが、これもあいにくの修理工事中で幕が張られ全く見えなかったという、なんとも間の抜けた話でもある。
この歌も珍しくて、すべて名詞だけで、しかも「の」という助詞で続ける。まるでドキュメンタリかなんかのカメラが大和の国を空からとらえ、薬師寺に接近させ、そして東塔に焦点を絞り、すかさず一転、カメラレンズは空の雲へ移動させるといったあんばいだ。それらはすべて「の」という助詞の繰り返しの効果からでるものだ。このことは歌人であり生物学者でもある滋賀県生まれの永田和宏の著書『近代秀歌』(岩波新書)にカメラのズームインといった表現で説明されている。
佐佐木信綱は旅行詠に秀作があるが、旅行詠といえば、やはり若山牧水だろう。
幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく
これは牧水が大学3年の夏休みに中国地方を旅し、岡山県と広島県の境にある二本松峠で詠んだ有名な歌。
でも牧水はやはり「讃酒詠」が一番の魅力だ。
かんがへて飲みはじめたる一合の 二合の酒の夏のゆふぐれ
牧水の同居人の門弟大悟法利雄は証言する。
大正十四年、千本松原に家を新築した頃には、酒にもおのずからに定量が出来ていた。朝二合、昼三合、夜六合、一日合計一升というのがその定量と言ってよかった。しかしそれは 「定量」というよりも「最低量」といった方が正しいくらいで、毎日それが守られていたのではなく、きょうは思いのほか仕事が捗ったからといって、もう一本、もう一本という風に追加が出される。だから、定量一升といっても一日平均の量は遥かにそれを上廻るというのが実情である。(『近代秀歌』より)
白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり
人の世にたのしみ多し然れども酒なしにしてなにのたのしみ
友酔はず我また酔はずいとまなくさかづきかはしこころを温む
結局落ち着くところへ落ち着いたようで・・・
追記:
2015年1月14日(水)
かんがへて飲みはじめたる一合の 二合の酒の夏のゆふぐれ
この句を書いた牧水直筆の書が、草津温泉の大阪屋旅館の玄関フロント正面に掲げてあった。筆跡からしても間違いなく本人の書だと思われるが、そこにいた若い館員に訊ねると、半信半疑で頼りない返答であった。こんな経験はよくあることで、やはりせっかく掲げてある限りは知っていないと。そこの社員教育だけでなく、経営者の見識まで疑ってしまうことになってしまう。
(訪れたのは2014年12月22日。ふと思い出して掲載した。)
by kirakuossan
| 2014-12-02 10:05
| 文芸
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