2014年 11月 12日
チェロの音色に魅せられて・・・三人の天才チェリスト |
2014年11月12日(水)
J.S. バッハが30代半ばのケーテン時代(1717年-1723年)に作曲したと思われる無伴奏チェロ組曲 BWV 1007-1012はチェロの単純な練習曲程度のものとして永らく埋もれていた。それが20世紀に入り、パブロ・カザルスの手によって再発掘され広められた。今ではバッハの作品の中でも「マタイ受難曲」をはじめとする多くの宗教曲や無伴奏ヴァイオリン・ソナタ集とならび称される崇高な名曲に挙げられている。この時代、3の倍数が好まれたことに影響してか、6曲構成の楽曲が好んで作られた。ブランデンブルク協奏曲やピアノ曲のフランス組曲、イギリス組曲などみな6曲からなる。
このチェロ組曲も同じく6曲から構成されており、各々がⅠ.Praeludium(前奏曲)、Ⅱ.Allemande(アルマンド)、Ⅲ.Courante(クーラント)、Ⅳ.Sarabande(サラバンド)、Ⅴ.Menuetto I/II(メヌエット I/II) or Bourree I/II(ブーレ I/II) or Gavotte I/II(ガヴォット I/II)、Ⅵ.Gigue(ジーグ)の6楽章から成っている。
この曲が当初練習曲とされたこともあって演奏技術的には段階を踏んで高度になって行く。第1番や第2番はチェロを始めて2年から3年程度で挑戦可能とされ、第3番までなら演奏自体はそう難しくないといわれる。しかし、その音楽には底知れぬ深みのある内容を含んでいて、生涯をかけて研究するほどの価値を持つ大曲とされる。昔と違って昨今の奏者の技術力の高まりとともにみながこぞってこの曲を弾き、収録をする。それは自身の演奏人生の集大成と捉えてのものもあれば、まだそこまでに至っていない若い奏者でも演奏をするのである。一見単純そうな構成のなかにも重音奏法なども駆使して一つの楽器とは思えないような多彩な効果を生み出すために、奏者によってさまざまな解釈や演奏法があって、そのあまりにもの違いに驚かされる。
多くの演奏を聴いてみたが、音楽の深み、滋味、劇的さ、崇高さなどあらゆる観点から比較してパブロ・カザルスの右に出る演奏はなかった。しかし、それに迫るような、安らぎと愛を秘めた、人間味に溢れた演奏を披露するディスクが2枚あった。それは女流チェリストのジャクリーヌ・デュ・プレとボリス・ペルガメンシコフによるものだ。そして偶然にもその二人は、惜しまれつつ早世した天才であった。
ジャクリーヌ・デュ・プレ - Jacqueline Du Pre
無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV 1007
彼女のはときおり弓が微妙に外れるところがあって技術的な未熟さが顔をのぞかせるが、それを凌駕するほどのほとばしる若さがあり、まちがいなく音楽をしているという点において、好感と聴く者に生き生きとした活力を与えてくれるものである。そう、彼女が20歳まえの初期録音である。
ボリス・ペルガメンシコフ - Boris Pergamenschikow
無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV 1007
流麗な弓さばきの奥にも、燃えたぎる情熱と、そして決して尽きることのない人間愛がある・・・直截的にそのように感じとれ、心の奥底に響く名演である。
そしてこの組曲の金字塔ともいえる永遠の演奏パブロ・カザルスが1938年6月2日にパリで録音されたもので、96歳まで生きたカザルスが演奏人生まだ半ば、62歳での最も充実した時期である。あの大指揮者フルトヴェングラーは、
「パブロ・カザルスの音楽を聴いたことのない人は、弦楽器をどうやって鳴らすかを知らない人である」と賛辞を贈った。
パブロ・カザルス - Pablo Casals
無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV 1007
ひとつの練習曲が、燦然と輝きを放ち劇的さにおいて比肩するものはほかに見当たらない。しかも劇的といってもそれは決して荒々しさではなく、一種の悟りにも近い、まるで天上にでもいるような響きがする。そして第1番の6楽章Gigueの最後でみせるちょっとした弓のずれ、ハッとこの時、天上から地上に舞い戻る思いがする。こんなところにもカザルスの人間としての血の通った温かみが感じとれるのである。
J.S. バッハが30代半ばのケーテン時代(1717年-1723年)に作曲したと思われる無伴奏チェロ組曲 BWV 1007-1012はチェロの単純な練習曲程度のものとして永らく埋もれていた。それが20世紀に入り、パブロ・カザルスの手によって再発掘され広められた。今ではバッハの作品の中でも「マタイ受難曲」をはじめとする多くの宗教曲や無伴奏ヴァイオリン・ソナタ集とならび称される崇高な名曲に挙げられている。この時代、3の倍数が好まれたことに影響してか、6曲構成の楽曲が好んで作られた。ブランデンブルク協奏曲やピアノ曲のフランス組曲、イギリス組曲などみな6曲からなる。
このチェロ組曲も同じく6曲から構成されており、各々がⅠ.Praeludium(前奏曲)、Ⅱ.Allemande(アルマンド)、Ⅲ.Courante(クーラント)、Ⅳ.Sarabande(サラバンド)、Ⅴ.Menuetto I/II(メヌエット I/II) or Bourree I/II(ブーレ I/II) or Gavotte I/II(ガヴォット I/II)、Ⅵ.Gigue(ジーグ)の6楽章から成っている。
この曲が当初練習曲とされたこともあって演奏技術的には段階を踏んで高度になって行く。第1番や第2番はチェロを始めて2年から3年程度で挑戦可能とされ、第3番までなら演奏自体はそう難しくないといわれる。しかし、その音楽には底知れぬ深みのある内容を含んでいて、生涯をかけて研究するほどの価値を持つ大曲とされる。昔と違って昨今の奏者の技術力の高まりとともにみながこぞってこの曲を弾き、収録をする。それは自身の演奏人生の集大成と捉えてのものもあれば、まだそこまでに至っていない若い奏者でも演奏をするのである。一見単純そうな構成のなかにも重音奏法なども駆使して一つの楽器とは思えないような多彩な効果を生み出すために、奏者によってさまざまな解釈や演奏法があって、そのあまりにもの違いに驚かされる。
多くの演奏を聴いてみたが、音楽の深み、滋味、劇的さ、崇高さなどあらゆる観点から比較してパブロ・カザルスの右に出る演奏はなかった。しかし、それに迫るような、安らぎと愛を秘めた、人間味に溢れた演奏を披露するディスクが2枚あった。それは女流チェリストのジャクリーヌ・デュ・プレとボリス・ペルガメンシコフによるものだ。そして偶然にもその二人は、惜しまれつつ早世した天才であった。
ジャクリーヌ・デュ・プレ - Jacqueline Du Pre
無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV 1007
彼女のはときおり弓が微妙に外れるところがあって技術的な未熟さが顔をのぞかせるが、それを凌駕するほどのほとばしる若さがあり、まちがいなく音楽をしているという点において、好感と聴く者に生き生きとした活力を与えてくれるものである。そう、彼女が20歳まえの初期録音である。
ボリス・ペルガメンシコフ - Boris Pergamenschikow
無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV 1007
流麗な弓さばきの奥にも、燃えたぎる情熱と、そして決して尽きることのない人間愛がある・・・直截的にそのように感じとれ、心の奥底に響く名演である。
そしてこの組曲の金字塔ともいえる永遠の演奏パブロ・カザルスが1938年6月2日にパリで録音されたもので、96歳まで生きたカザルスが演奏人生まだ半ば、62歳での最も充実した時期である。あの大指揮者フルトヴェングラーは、
「パブロ・カザルスの音楽を聴いたことのない人は、弦楽器をどうやって鳴らすかを知らない人である」と賛辞を贈った。
パブロ・カザルス - Pablo Casals
無伴奏チェロ組曲第1番 ト長調 BWV 1007
ひとつの練習曲が、燦然と輝きを放ち劇的さにおいて比肩するものはほかに見当たらない。しかも劇的といってもそれは決して荒々しさではなく、一種の悟りにも近い、まるで天上にでもいるような響きがする。そして第1番の6楽章Gigueの最後でみせるちょっとした弓のずれ、ハッとこの時、天上から地上に舞い戻る思いがする。こんなところにもカザルスの人間としての血の通った温かみが感じとれるのである。
by kirakuossan
| 2014-11-12 09:57
| クラシック
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