2014年 10月 09日
盟友 小林の『モオツァルト』について |
2014年10月9日(木)
河上徹太郎の存在を初めて知ったのは2年前。パウル・ベッカーの名著『西洋音楽史』 (河出文庫)の翻訳者としてであった。2012年9月4日のブログ「パウル・べッカーの音楽史」で翻訳者河上徹太郎について僕はこう書いた。
この著書の訳者・河上徹太郎が果たした役割も大変大きい。これだけの専門的な用語や微妙な言い回しを的確な文章に落としたのは並大抵ではない。他の訳者であればこうはいかなかったのではないかしら。
さらに続いて2012年9月8日のブログ記事には「名著の”名序”」と題して、昭和22年12月に出された彼の著書『ベートーヴェン』(新潮社刊)にも触れた。
河上徹太郎の文章は一言でいえば”簡潔明瞭”。持って廻ったところがない。それでいて単調かというとそうでもない。その短い文章表現の中に自分の主張、読者に伝えたいことがすべて凝縮されたかたちで記されている。だから読む者にとっては、一種、切れの味の良さ、思い切りの良さが感じととられて気持ちよく極めて痛快に読み続けることができる。また、戻って読み直さないと理解しにくいといったこともない。一語一句に無駄がなく文字で表現するということに関しては完璧なのだ。そして素晴らしいのは、ズバッと短い言葉で書き記されていてもその裏にこの人の持つ頑固さ、優しさが並列して現れ、人間としての崇高さまでが感じとれるのである。
河上徹太郎(1902~1980)は戦前、戦後を通してわが国の「批評」をリードした人物のひとりで、文芸評論家であり音楽評論家として多数の書物を遺した。彼の書物は、どれを読んでも端的に事象の核心に触れ、読む者を納得させる。その文章は簡潔明瞭な中にも読者を魅了させる美文で綴られる。彼が小林秀雄の盟友であることも後に知った。小林の『モオツァルト』はあまりにも有名だが、音楽評論の専門家は実は河上の方なのである。
彼はまた盟友小林秀雄について語る。
小林秀雄と雑談していて、恐らく最も楽しいのは音楽の話をしている時かも知れない。これは偶々二人が音楽が好きだからではない。大体彼は座談の名手の部類に属し、人物を語っても、風景を論じても、キビキビした名描写で人を堪能させてくれるが、音楽談の時程真剣に対象と取組んでものをいうことは先ずまいのである。彼は音楽に対すると、いつも自分と相手を対等の地位に置く。いつも何か満腔の愛情と尊敬を以て語るのである。その辺の心理分析は今やっている時ではないが、要するに彼がそうなる所以は、音楽が最も純粋な美の形式であるためと、音楽は完全に言葉の世界から脱け出た独自のものであるのと、この二つの事情によるのであり、そういうものに対する小林の心遣いが本能的に反射するのだと私は思っている。つまり音楽がそういう意味で小林の観念的潔癖性を最も純潔に満足させるのである。そうなると彼の書いたものの中で音楽論が一番彼自身の正体を語っているともいえそうだ。
そして小林秀雄の名著『モオツァルト』に触れる。
小林は終戦直後の殆んど二年間を、それこそ全く他に筆を絶ってこの作品を書いた。この沈黙は日本の文壇では珍しいことであった。その理由は本人に聞けば深い仔細がある訳ではないかも知れないが、とにかくこの事実はこの得難い傑作を生んだのである。
簡単にいえばこの論文はモオツァルトの「書簡集」と彼の音楽の比較論である。モオツァルトの手紙は、或る一面この天才の「性格」を描いた刻明な自画像として従来多くの美学者に珍重されたものだが、小林は先ずその得意の人間観を以て、ここに描かれた「性格」が必ずしも決して彼の人間ではないことを論破する。~
小林がこの文章を書いた野望は、単にそういうことを論証するにあるのではない。彼はその上でこの文章も亦モオツァルトのポリフォニーのように鳴らして見たかったのだ。そこで彼は体験的回想だの、文献的渉猟でこの天才の逸話だの、音楽史の論述だの、古典精神と浪漫精神の対立だのいう幾多のテーマを並置し、転回し、転調し、展開して、そのハーモニーを愉しんでいるかに見える。この工夫が彼の一番の狙いであり、もしそれに成功したとすれば、ここにモオツァルトの音楽、その人物、小林の文章という三位一体を現出する筈なのである。この企画にこの文章の独創性があるのだ。
(河上徹太郎著『クラシック随想』河出書房新社刊より)
河上徹太郎の存在を初めて知ったのは2年前。パウル・ベッカーの名著『西洋音楽史』 (河出文庫)の翻訳者としてであった。2012年9月4日のブログ「パウル・べッカーの音楽史」で翻訳者河上徹太郎について僕はこう書いた。
この著書の訳者・河上徹太郎が果たした役割も大変大きい。これだけの専門的な用語や微妙な言い回しを的確な文章に落としたのは並大抵ではない。他の訳者であればこうはいかなかったのではないかしら。
さらに続いて2012年9月8日のブログ記事には「名著の”名序”」と題して、昭和22年12月に出された彼の著書『ベートーヴェン』(新潮社刊)にも触れた。
河上徹太郎の文章は一言でいえば”簡潔明瞭”。持って廻ったところがない。それでいて単調かというとそうでもない。その短い文章表現の中に自分の主張、読者に伝えたいことがすべて凝縮されたかたちで記されている。だから読む者にとっては、一種、切れの味の良さ、思い切りの良さが感じととられて気持ちよく極めて痛快に読み続けることができる。また、戻って読み直さないと理解しにくいといったこともない。一語一句に無駄がなく文字で表現するということに関しては完璧なのだ。そして素晴らしいのは、ズバッと短い言葉で書き記されていてもその裏にこの人の持つ頑固さ、優しさが並列して現れ、人間としての崇高さまでが感じとれるのである。
河上徹太郎(1902~1980)は戦前、戦後を通してわが国の「批評」をリードした人物のひとりで、文芸評論家であり音楽評論家として多数の書物を遺した。彼の書物は、どれを読んでも端的に事象の核心に触れ、読む者を納得させる。その文章は簡潔明瞭な中にも読者を魅了させる美文で綴られる。彼が小林秀雄の盟友であることも後に知った。小林の『モオツァルト』はあまりにも有名だが、音楽評論の専門家は実は河上の方なのである。
彼はまた盟友小林秀雄について語る。
小林秀雄と雑談していて、恐らく最も楽しいのは音楽の話をしている時かも知れない。これは偶々二人が音楽が好きだからではない。大体彼は座談の名手の部類に属し、人物を語っても、風景を論じても、キビキビした名描写で人を堪能させてくれるが、音楽談の時程真剣に対象と取組んでものをいうことは先ずまいのである。彼は音楽に対すると、いつも自分と相手を対等の地位に置く。いつも何か満腔の愛情と尊敬を以て語るのである。その辺の心理分析は今やっている時ではないが、要するに彼がそうなる所以は、音楽が最も純粋な美の形式であるためと、音楽は完全に言葉の世界から脱け出た独自のものであるのと、この二つの事情によるのであり、そういうものに対する小林の心遣いが本能的に反射するのだと私は思っている。つまり音楽がそういう意味で小林の観念的潔癖性を最も純潔に満足させるのである。そうなると彼の書いたものの中で音楽論が一番彼自身の正体を語っているともいえそうだ。
そして小林秀雄の名著『モオツァルト』に触れる。
小林は終戦直後の殆んど二年間を、それこそ全く他に筆を絶ってこの作品を書いた。この沈黙は日本の文壇では珍しいことであった。その理由は本人に聞けば深い仔細がある訳ではないかも知れないが、とにかくこの事実はこの得難い傑作を生んだのである。
簡単にいえばこの論文はモオツァルトの「書簡集」と彼の音楽の比較論である。モオツァルトの手紙は、或る一面この天才の「性格」を描いた刻明な自画像として従来多くの美学者に珍重されたものだが、小林は先ずその得意の人間観を以て、ここに描かれた「性格」が必ずしも決して彼の人間ではないことを論破する。~
小林がこの文章を書いた野望は、単にそういうことを論証するにあるのではない。彼はその上でこの文章も亦モオツァルトのポリフォニーのように鳴らして見たかったのだ。そこで彼は体験的回想だの、文献的渉猟でこの天才の逸話だの、音楽史の論述だの、古典精神と浪漫精神の対立だのいう幾多のテーマを並置し、転回し、転調し、展開して、そのハーモニーを愉しんでいるかに見える。この工夫が彼の一番の狙いであり、もしそれに成功したとすれば、ここにモオツァルトの音楽、その人物、小林の文章という三位一体を現出する筈なのである。この企画にこの文章の独創性があるのだ。
(河上徹太郎著『クラシック随想』河出書房新社刊より)
by kirakuossan
| 2014-10-09 19:30
| 文芸
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