2014年 09月 28日
偏見版『倶楽シック音楽全集』-41③ R・シュトラウス |
2014年9月28日(日)
【第89巻】ロマン派最末期の巨星
R・シュトラウス :Ⅲ
僕がとくにR・シュトラウスを身近に感じるのは、僕の生まれた1949年3月と同じ年の9月に彼が亡くなった。だから半年間ほどはこの地球上にともに生活し、同じ空気を吸っていた・・・この著名な作曲家とすれちがっていた、という親近感である。
交響詩、器楽曲の次には、本来ならばやはりオペラを落とすことはできないのだろう。歌劇「ばらの騎士」、歌劇「サロメ」、あるいは歌劇「無口な女」であり、歌劇「影のない女」を挙げるべきなのだろう。
でも如何せん、僕にはR・シュトラウスのオペラを理解し、心より愛聴する能力は持ち合わせていない。あるいは「4つの最後の歌」などの歌曲を採るべきなのかもしれない。でもここではあえて彼の作品で最も多く過去から聴いてきた交響詩「英雄の生涯」作品40を採りあげることにする。この曲を最初に聴いたのはロンドンレコードのLP盤であった。指揮者ズービン・メーター、ロスアンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるものである。
1898年に書かれた<英雄の生涯>は、いわば彼の自伝であり、ここにいう英雄は、シュトラウス自身にほかならない。もっともその英雄とは、おそらく主役といった程度の意味にとどまるものといえよう。それにしても、こうした形で、まだその生涯のなかばを経ずして、自己の生涯をふりかえるような作品を生みだしたところに、彼の自信と、また独特な芸術観、人生観をみいだすことができるのである。 (ライナー・ノーツ:藤田由之)
生涯の半ば、85歳まで生きた彼が半分にも満たない34歳のときの作品。初演は翌年1899年の3月3日(関係ないが僕の誕生日)にフランクフルトで自らの指揮によって行われた。代表作となった「英雄の生涯」は、若くして数々の交響詩を書き綴ったシュトラウス、最後の交響詩で、彼はこの作品を境に関心はオペラに向うことになる。
そして、1973年に書かれた藤田由之氏のライナー・ノーツには指揮者ズービン・メーターのことにも触れている。
あらゆる天分に恵まれた指揮者は、そう多く生まれるものではあるまい。もちろん、彼が活躍しはじめた当初は、彼が東洋人であるということも、ひとつの特質に数えられ、また、その名を高めることに役立っていたかもしれないが、しかし、現在の彼にとって、そうした音楽以外の条件を、その評価の中に介入させる余地は、まったくないといってよいであろう。ともかく彼は、まさに現代の<英雄>のひとりである。また、世界楽壇の寵児であるとともに、他の何人かのすぐれた指揮者たちとともに、将来の世界楽壇や指揮者界に、すくなからぬ影響を与えるにちがいないひとりなのである。
このときの藤田氏の予言は的中した。今秋、その、78歳になったメーターがやってくる。イスラエル・フィルを指揮するために、そこでのチャイコフスキーの交響曲、大いに楽しみにしている。あとひと月あまりだ。
【第89巻】ロマン派最末期の巨星
R・シュトラウス :Ⅲ
僕がとくにR・シュトラウスを身近に感じるのは、僕の生まれた1949年3月と同じ年の9月に彼が亡くなった。だから半年間ほどはこの地球上にともに生活し、同じ空気を吸っていた・・・この著名な作曲家とすれちがっていた、という親近感である。
交響詩、器楽曲の次には、本来ならばやはりオペラを落とすことはできないのだろう。歌劇「ばらの騎士」、歌劇「サロメ」、あるいは歌劇「無口な女」であり、歌劇「影のない女」を挙げるべきなのだろう。
でも如何せん、僕にはR・シュトラウスのオペラを理解し、心より愛聴する能力は持ち合わせていない。あるいは「4つの最後の歌」などの歌曲を採るべきなのかもしれない。でもここではあえて彼の作品で最も多く過去から聴いてきた交響詩「英雄の生涯」作品40を採りあげることにする。この曲を最初に聴いたのはロンドンレコードのLP盤であった。指揮者ズービン・メーター、ロスアンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるものである。
1898年に書かれた<英雄の生涯>は、いわば彼の自伝であり、ここにいう英雄は、シュトラウス自身にほかならない。もっともその英雄とは、おそらく主役といった程度の意味にとどまるものといえよう。それにしても、こうした形で、まだその生涯のなかばを経ずして、自己の生涯をふりかえるような作品を生みだしたところに、彼の自信と、また独特な芸術観、人生観をみいだすことができるのである。 (ライナー・ノーツ:藤田由之)
生涯の半ば、85歳まで生きた彼が半分にも満たない34歳のときの作品。初演は翌年1899年の3月3日(関係ないが僕の誕生日)にフランクフルトで自らの指揮によって行われた。代表作となった「英雄の生涯」は、若くして数々の交響詩を書き綴ったシュトラウス、最後の交響詩で、彼はこの作品を境に関心はオペラに向うことになる。
そして、1973年に書かれた藤田由之氏のライナー・ノーツには指揮者ズービン・メーターのことにも触れている。
あらゆる天分に恵まれた指揮者は、そう多く生まれるものではあるまい。もちろん、彼が活躍しはじめた当初は、彼が東洋人であるということも、ひとつの特質に数えられ、また、その名を高めることに役立っていたかもしれないが、しかし、現在の彼にとって、そうした音楽以外の条件を、その評価の中に介入させる余地は、まったくないといってよいであろう。ともかく彼は、まさに現代の<英雄>のひとりである。また、世界楽壇の寵児であるとともに、他の何人かのすぐれた指揮者たちとともに、将来の世界楽壇や指揮者界に、すくなからぬ影響を与えるにちがいないひとりなのである。
このときの藤田氏の予言は的中した。今秋、その、78歳になったメーターがやってくる。イスラエル・フィルを指揮するために、そこでのチャイコフスキーの交響曲、大いに楽しみにしている。あとひと月あまりだ。
by kirakuossan
| 2014-09-28 08:21
| 偏見版「倶楽シック全集」(完)
|
Trackback