2014年 08月 29日
N響90年におよぶ演奏会記録① |
2014年8月29日(金)
NHK交響楽団の誕生は約90年前に遡る。1925年3月の山田耕筰が設立した日本交響楽協会に端を発する。当時のメンバーは映画館の楽士や東京六大学の管弦楽部員などを中心とするものであった。翌年1月24日に協会第1回予約演奏会が開かれ、近衛秀麿がベートーヴェンの「英雄」他を指揮した。ところが9月8日、近衛秀麿以下中心メンバーが協会を離脱し、10月5日に新交響楽団(新響)を結成する。これがN響の前身である。そして1926年10月22日に新響第1回研究発表演奏会が催される。その時の曲目が以下の通り。
新交響楽団第1回研究発表演奏会
1926/10/22 金 19:00 東京府 四谷区 日本青年館
指揮: 近衛秀麿
J.S. バッハ:ブランデンブルク協奏曲 第3番ト長調 BWV1048
ベートーヴェン:交響曲 第4番 変ロ長調 作品60
R・シュトラウス:13管楽器のためのセレナード変ホ長調 作品7
ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲
90年前にしてはなかなか意欲的なプログラムだ。
今、N響のHP で90年におよぶ演奏会記録(1926~2014)という貴重なデータを公表している。興味深く観察して行くと・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最初はほとんどが東京日本青年館 での開催だったが、地方では大阪(朝日会館)神戸(神戸青年会館)で開催される程度であったが、翌年軽井沢で開かれた。
1927/8/23 火 20:00 長野県軽井沢町軽井沢ユニオンチャーチ
指揮:近衛秀麿
ベートーヴェン:交響曲 第5番 ハ短調 作品67
そして翌年、大阪、京都(京都市公会堂)のあと何故かソプラノの松平里子を帯同して山陰地方に出向き、ガラコンサートを開いている。
1928/5/2 水 19:00 島根県 松江市 出雲劇場 5/3鳥取市 戎座
指揮:近衛秀麿
モーツァルト:歌劇「魔笛」 K.620:序曲 ほかガラコンサート
ソプラノ:松平里子
その翌年には6月に新潟県に入り、25日には長野県上諏訪で演奏会を催した。
1929/6/25 火 19:00 長野県 上諏訪町関ホール
指揮:近衛秀麿
シューベルト:交響曲 第7番 ロ短調 D.759 「未完成」ほか
翌年には名古屋市(名古屋市立第一高等女学校講堂)岡山(岡山市公会堂)仙台(仙台座)にも遠征した。
当時の演奏会場をみるとさまざまで、音響的にどうこう言う以前だった。
多かったのは地方での映画館や演劇場、ほかに野外劇場でもよく開催された。なかには甲子園球場、西宮球場、後楽園といったものまであった。
1935/5/25 土 19:00 東京府 日比谷野外音楽堂 「スペイン・ハンガリーの夕」
指揮:齋藤秀雄
リムスキー・コルサ:コフ スペイン奇想曲 作品34ほか
1930年代は東京での公演が圧倒的に多く、地方といえば大阪、京都(共に朝日会館)や名古屋(名古屋市会堂)静岡(静岡市公会堂)程度であった。一方で指揮者は今までの近衛秀麿一辺倒ではなく、山本直忠、山田耕筰、篠原正雄、齋藤秀雄、大木正夫、菅原明朗、貴志康一、大沢寿人など、外国人指揮者も、ニコライ・シフェルブ、ジョセフ・ローゼンストック、それに超大物指揮者フェリックス・ワインガルトナーも来日した。
1937/5/31 月 19:30 東京府 日比谷公会堂
指揮:フェリックス・ワインガルトナー
ベートーヴェン: 交響曲 第6番 ヘ長調 作品68 「田園」
朝日新聞と日墺協会の招聘で、4度目の夫人とともに来日、指揮者であった夫人ともども新交響楽団を指揮した。高齢の巨匠がなぜこの時期にはるばる日本へやって来たかは不思議な出来事だった。
1949年小生の生まれた年だが、地方での演奏会も活発に行われ、地方での曲目は決まって「新世界から」か「運命」か、それともチャイコフスキーというのが面白い。
1949/5/20 金 15:30 長崎県 佐世保市 佐世保市公会堂 5/21福岡県 福岡市 演伎座
指揮:尾高尚忠
ドヴォルザーク:交響曲 第9番 ホ短調 作品95「新世界から」
1949/7/4 月 北海道 札幌市 松竹座
指揮:山田和男
ドヴォルザーク :交響曲 第9番 ホ短調 作品95「新世界から」
1949/7/9 土 青森県 青森市
指揮:尾高尚忠
ベートーヴェン:交響曲 第5番 ハ短調 作品67
1949/8/6 土 19:00 兵庫県 西宮市 甲子園球場
指揮:山田和男
チャイコフスキー:交響曲 第5番 ホ短調 作品64
1949/10/26 水 福島県 福島市 福島県立福島女子高校講堂
指揮:尾高尚忠
ドヴォルザーク:交響曲 第9番 ホ短調 作品95「新世界から」
1949/11/13 日 山形県 山形市 山形第四小学校講堂
指揮:山田和男
ドヴォルザーク:交響曲 第9番 ホ短調 作品95「新世界から」
結成以来20数年とまだ間もなかったが、当時の演奏水準を知る音源がある。「英雄」での第3楽章のホルンなど、心もとないかぎりである。
ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調 「英雄」 Op. 55第3楽章
NHK交響楽団 ヨーゼフ・ローゼンストック(指揮者)
録音: 14-16 June 1951, Tokyo Metropolitan Hibiya Public Hall
そして初めて滋賀県にやってきたのは戦後もだいぶたった昭和32年だった。
1957/9/15 日 滋賀県 大津市 東洋レーヨン滋賀工場体育館
指揮:ウィルヘルム・ロイブナー
チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」
また当時大阪のフェスティバルホールでの最初の演奏会は1958年10月だった、その翌年、フェスティバルホールで、アルベルト・エレーデ、 ニーノ・ヴェルキの指揮による初めてのオペラが大々的に採りあげられた。
1959/3/2 月 ヴェルディ 歌劇「オテロ」、3/3プッチーニ 歌劇「ボエーム」、3/4ビゼー 歌劇「カルメン」、3/6ドニゼッティ歌劇「愛の妙薬」、3/7ヴェルディ歌劇「椿姫」。とくに「オテロ」にはマリオ・デル・モナコが登場するなど堂々たるものであった。
しかし、1950年代、何といっても最大のトピックスは1954年カラヤンが単身でN響を振りにやって来たことだ。それはカラヤンが、飛ぶ鳥を落とす勢いのころでベルリン・フィルの終身首席指揮者の地位に登りつめる前年、彼が46歳の時、4月7日から5月9日の実に1か月を越える長期滞在であった。
オープニング
1954/4/7 水 東京日比谷公会堂
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
ブラームス:交響曲 第1番 ハ短調 作品68
ベートーヴェン: ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 作品58
園田高弘(pf.)
4/14 ベートーヴェン: 交響曲 第5番 ハ短調 作品67、4/21チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」、4/26京都市 京都劇場 ベートーヴェン:交響曲 第5番 ハ短調 作品67、4/27~28兵庫県 宝塚市 宝塚大劇場 4/30~5/1愛知名古屋市公会堂 5/7~9 東京都日比谷公会堂はいずれもベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 作品125「合唱つき」。
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 「悲愴」 Op. 74
NHK交響楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン (指揮者)
録音: 26 April 1954
NML では4/26とあるが、4/21の誤りである。第3楽章が終わるや数人の観客が拍手するところが録音されている。強奏で終えるので皆がよく騙されるところ、そして最終楽章の音が消え入るところ、今度はどこで拍手をして良いか分らず半信半疑でパラパラと・・・微笑ましいシーンだ。
つづく・・・
NHK交響楽団の誕生は約90年前に遡る。1925年3月の山田耕筰が設立した日本交響楽協会に端を発する。当時のメンバーは映画館の楽士や東京六大学の管弦楽部員などを中心とするものであった。翌年1月24日に協会第1回予約演奏会が開かれ、近衛秀麿がベートーヴェンの「英雄」他を指揮した。ところが9月8日、近衛秀麿以下中心メンバーが協会を離脱し、10月5日に新交響楽団(新響)を結成する。これがN響の前身である。そして1926年10月22日に新響第1回研究発表演奏会が催される。その時の曲目が以下の通り。
新交響楽団第1回研究発表演奏会
1926/10/22 金 19:00 東京府 四谷区 日本青年館
指揮: 近衛秀麿
J.S. バッハ:ブランデンブルク協奏曲 第3番ト長調 BWV1048
ベートーヴェン:交響曲 第4番 変ロ長調 作品60
R・シュトラウス:13管楽器のためのセレナード変ホ長調 作品7
ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲
90年前にしてはなかなか意欲的なプログラムだ。
今、N響のHP で90年におよぶ演奏会記録(1926~2014)という貴重なデータを公表している。興味深く観察して行くと・・・
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最初はほとんどが東京日本青年館 での開催だったが、地方では大阪(朝日会館)神戸(神戸青年会館)で開催される程度であったが、翌年軽井沢で開かれた。
1927/8/23 火 20:00 長野県軽井沢町軽井沢ユニオンチャーチ
指揮:近衛秀麿
ベートーヴェン:交響曲 第5番 ハ短調 作品67
そして翌年、大阪、京都(京都市公会堂)のあと何故かソプラノの松平里子を帯同して山陰地方に出向き、ガラコンサートを開いている。
1928/5/2 水 19:00 島根県 松江市 出雲劇場 5/3鳥取市 戎座
指揮:近衛秀麿
モーツァルト:歌劇「魔笛」 K.620:序曲 ほかガラコンサート
ソプラノ:松平里子
その翌年には6月に新潟県に入り、25日には長野県上諏訪で演奏会を催した。
1929/6/25 火 19:00 長野県 上諏訪町関ホール
指揮:近衛秀麿
シューベルト:交響曲 第7番 ロ短調 D.759 「未完成」ほか
翌年には名古屋市(名古屋市立第一高等女学校講堂)岡山(岡山市公会堂)仙台(仙台座)にも遠征した。
当時の演奏会場をみるとさまざまで、音響的にどうこう言う以前だった。
多かったのは地方での映画館や演劇場、ほかに野外劇場でもよく開催された。なかには甲子園球場、西宮球場、後楽園といったものまであった。
1935/5/25 土 19:00 東京府 日比谷野外音楽堂 「スペイン・ハンガリーの夕」
指揮:齋藤秀雄
リムスキー・コルサ:コフ スペイン奇想曲 作品34ほか
1930年代は東京での公演が圧倒的に多く、地方といえば大阪、京都(共に朝日会館)や名古屋(名古屋市会堂)静岡(静岡市公会堂)程度であった。一方で指揮者は今までの近衛秀麿一辺倒ではなく、山本直忠、山田耕筰、篠原正雄、齋藤秀雄、大木正夫、菅原明朗、貴志康一、大沢寿人など、外国人指揮者も、ニコライ・シフェルブ、ジョセフ・ローゼンストック、それに超大物指揮者フェリックス・ワインガルトナーも来日した。
1937/5/31 月 19:30 東京府 日比谷公会堂
指揮:フェリックス・ワインガルトナー
ベートーヴェン: 交響曲 第6番 ヘ長調 作品68 「田園」
朝日新聞と日墺協会の招聘で、4度目の夫人とともに来日、指揮者であった夫人ともども新交響楽団を指揮した。高齢の巨匠がなぜこの時期にはるばる日本へやって来たかは不思議な出来事だった。
1949年小生の生まれた年だが、地方での演奏会も活発に行われ、地方での曲目は決まって「新世界から」か「運命」か、それともチャイコフスキーというのが面白い。
1949/5/20 金 15:30 長崎県 佐世保市 佐世保市公会堂 5/21福岡県 福岡市 演伎座
指揮:尾高尚忠
ドヴォルザーク:交響曲 第9番 ホ短調 作品95「新世界から」
1949/7/4 月 北海道 札幌市 松竹座
指揮:山田和男
ドヴォルザーク :交響曲 第9番 ホ短調 作品95「新世界から」
1949/7/9 土 青森県 青森市
指揮:尾高尚忠
ベートーヴェン:交響曲 第5番 ハ短調 作品67
1949/8/6 土 19:00 兵庫県 西宮市 甲子園球場
指揮:山田和男
チャイコフスキー:交響曲 第5番 ホ短調 作品64
1949/10/26 水 福島県 福島市 福島県立福島女子高校講堂
指揮:尾高尚忠
ドヴォルザーク:交響曲 第9番 ホ短調 作品95「新世界から」
1949/11/13 日 山形県 山形市 山形第四小学校講堂
指揮:山田和男
ドヴォルザーク:交響曲 第9番 ホ短調 作品95「新世界から」
結成以来20数年とまだ間もなかったが、当時の演奏水準を知る音源がある。「英雄」での第3楽章のホルンなど、心もとないかぎりである。
ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調 「英雄」 Op. 55第3楽章
NHK交響楽団 ヨーゼフ・ローゼンストック(指揮者)
録音: 14-16 June 1951, Tokyo Metropolitan Hibiya Public Hall
そして初めて滋賀県にやってきたのは戦後もだいぶたった昭和32年だった。
1957/9/15 日 滋賀県 大津市 東洋レーヨン滋賀工場体育館
指揮:ウィルヘルム・ロイブナー
チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」
また当時大阪のフェスティバルホールでの最初の演奏会は1958年10月だった、その翌年、フェスティバルホールで、アルベルト・エレーデ、 ニーノ・ヴェルキの指揮による初めてのオペラが大々的に採りあげられた。
1959/3/2 月 ヴェルディ 歌劇「オテロ」、3/3プッチーニ 歌劇「ボエーム」、3/4ビゼー 歌劇「カルメン」、3/6ドニゼッティ歌劇「愛の妙薬」、3/7ヴェルディ歌劇「椿姫」。とくに「オテロ」にはマリオ・デル・モナコが登場するなど堂々たるものであった。
しかし、1950年代、何といっても最大のトピックスは1954年カラヤンが単身でN響を振りにやって来たことだ。それはカラヤンが、飛ぶ鳥を落とす勢いのころでベルリン・フィルの終身首席指揮者の地位に登りつめる前年、彼が46歳の時、4月7日から5月9日の実に1か月を越える長期滞在であった。
オープニング
1954/4/7 水 東京日比谷公会堂
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
ブラームス:交響曲 第1番 ハ短調 作品68
ベートーヴェン: ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 作品58
園田高弘(pf.)
4/14 ベートーヴェン: 交響曲 第5番 ハ短調 作品67、4/21チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」、4/26京都市 京都劇場 ベートーヴェン:交響曲 第5番 ハ短調 作品67、4/27~28兵庫県 宝塚市 宝塚大劇場 4/30~5/1愛知名古屋市公会堂 5/7~9 東京都日比谷公会堂はいずれもベートーヴェン:交響曲 第9番 ニ短調 作品125「合唱つき」。
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調 「悲愴」 Op. 74
NHK交響楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン (指揮者)
録音: 26 April 1954
NML では4/26とあるが、4/21の誤りである。第3楽章が終わるや数人の観客が拍手するところが録音されている。強奏で終えるので皆がよく騙されるところ、そして最終楽章の音が消え入るところ、今度はどこで拍手をして良いか分らず半信半疑でパラパラと・・・微笑ましいシーンだ。
つづく・・・
by kirakuossan
| 2014-08-29 07:51
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