2014年 07月 03日
ネイガウスと3人の弟子たち その1 |
2014年7月3日(木)
ベートーヴェンの「テンペスト」で、リヒテルの演奏を越える演奏を僕は知らない、と書いたばかりだが、これを訂正しないといけないことになった。戦後間もない頃のゲンリヒ・ネイガウスの演奏を聴いたからだ。この演奏を聴いて直感的に思ったことは、この演奏は”愛情”と”優しさ”に満ち満ちた、人間がピアノという楽器を通して表現し得る最上の演奏に他ならないということだ。リヒテルの演奏に”愛情”が含まれていないということではないが、ただこのネイガウスの”愛”は、どういうか、天上というか、神の愛というか、この世にひょっとしたら存在しないものが、たまたまピアノを通してこの世に至現したような錯覚にとらわれたようなものであった。
ゲンリヒ・ネイガウス(1888~1964)は、スヴャトスラフ・リヒテル(1915~1997)の恩師だったのだ。そして同じ弟子たちに、エミール・ギレリス(1916~1985)がいて、エリソ・ヴィルサラーゼ(1942~)がいた。
よく言われることに弦はユダヤ人演奏家に卓越した人が多くいる、同じことが鍵盤楽器にはロシア系の人たちが多いと言える。これは明らかに系統だったその教えを引き継ぐ伝統が綿々と続いているためだろう。戦前からのロシア・ピアニズムには三大巨頭の存在があった。それはアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼル(1875~1961)であり、コンスタンチン・イグムノフ(1873~1948)であり、ネイガウスであった。ゴリデンヴェイゼルからフェインベルクが、イグムノフからオボーリンやフリエールといった弟子が出た。それぞれが楽派を形成し、伝統を引き継いでいく。ここで焦元溥著『ピアニストが語る』(アルファベータ刊)からの、ヴィルサラーゼとのインタヴュー発言を借りると・・・
「ロシア・ピアニズム」というのは、ヨーロッパに起源を発しています。もちろんロシアからアントン・ルービンシュタインという独自に開花した伝説的な大ピアニストが生まれていますが、リストとレシェティツキがロシア・ピアニズムに大きな影響を与えたことは明らかです。ジロティはリストの弟子で、ラフマニノフの先生です。そしてエシポワのロシア・ピアニズムに果たした役割は言うまでもありません。
ロシア・ピアニズムのもっとも優れた点は、美しい音色と歌うようなフレージングにあります。ロソア・ピアニズムの「音」に対する感性とコントロールは、世界に並ぶものがないと言っていいでしょう。
そして彼女は、この三大巨頭をこのように表現する。
この三人はテクニック的にはまったく違うタッチで、まったく違う音色をつくり出し、指導方法もまったく違っていました。イグムノフは歌うような音色を大切にし、ネイガウスは色彩の変化とその使い方を強調し、ゴリデンヴェイゼルは学術性と技巧性を重視しました。しかし、最終的には彼ら三大楽派は、それぞれの学生の芸術的な個性を大切に伸ばし、彼らが個性あるピアニストに成長することを目的にしていたという点では共通しています。帰するところは同じだったのです。
ネイガウスの両親はピアノ教師であり、父は作曲家カロル・シマノフスキの恩師でもあった。彼はドイツにわたり各地を演奏旅行する傍ら、レオポルド・ゴドフスキーの門下となる。その後30歳代半ばに自らの演奏よりも、音楽指導の方に多くの興味を抱くようになり、音楽教師の道へと歩んでいく。
衝撃的なベートーヴェンの「テンペスト」の演奏は、1946年、ネイガウス58歳の演奏である。
ベートーヴェン:
ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 「テンペスト」 Op. 31 No. 2
ゲンリヒ・ネイガウス(ピアノ)
(1946年)
つづく・・・
ベートーヴェンの「テンペスト」で、リヒテルの演奏を越える演奏を僕は知らない、と書いたばかりだが、これを訂正しないといけないことになった。戦後間もない頃のゲンリヒ・ネイガウスの演奏を聴いたからだ。この演奏を聴いて直感的に思ったことは、この演奏は”愛情”と”優しさ”に満ち満ちた、人間がピアノという楽器を通して表現し得る最上の演奏に他ならないということだ。リヒテルの演奏に”愛情”が含まれていないということではないが、ただこのネイガウスの”愛”は、どういうか、天上というか、神の愛というか、この世にひょっとしたら存在しないものが、たまたまピアノを通してこの世に至現したような錯覚にとらわれたようなものであった。
ゲンリヒ・ネイガウス(1888~1964)は、スヴャトスラフ・リヒテル(1915~1997)の恩師だったのだ。そして同じ弟子たちに、エミール・ギレリス(1916~1985)がいて、エリソ・ヴィルサラーゼ(1942~)がいた。
よく言われることに弦はユダヤ人演奏家に卓越した人が多くいる、同じことが鍵盤楽器にはロシア系の人たちが多いと言える。これは明らかに系統だったその教えを引き継ぐ伝統が綿々と続いているためだろう。戦前からのロシア・ピアニズムには三大巨頭の存在があった。それはアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼル(1875~1961)であり、コンスタンチン・イグムノフ(1873~1948)であり、ネイガウスであった。ゴリデンヴェイゼルからフェインベルクが、イグムノフからオボーリンやフリエールといった弟子が出た。それぞれが楽派を形成し、伝統を引き継いでいく。ここで焦元溥著『ピアニストが語る』(アルファベータ刊)からの、ヴィルサラーゼとのインタヴュー発言を借りると・・・
「ロシア・ピアニズム」というのは、ヨーロッパに起源を発しています。もちろんロシアからアントン・ルービンシュタインという独自に開花した伝説的な大ピアニストが生まれていますが、リストとレシェティツキがロシア・ピアニズムに大きな影響を与えたことは明らかです。ジロティはリストの弟子で、ラフマニノフの先生です。そしてエシポワのロシア・ピアニズムに果たした役割は言うまでもありません。
ロシア・ピアニズムのもっとも優れた点は、美しい音色と歌うようなフレージングにあります。ロソア・ピアニズムの「音」に対する感性とコントロールは、世界に並ぶものがないと言っていいでしょう。
そして彼女は、この三大巨頭をこのように表現する。
この三人はテクニック的にはまったく違うタッチで、まったく違う音色をつくり出し、指導方法もまったく違っていました。イグムノフは歌うような音色を大切にし、ネイガウスは色彩の変化とその使い方を強調し、ゴリデンヴェイゼルは学術性と技巧性を重視しました。しかし、最終的には彼ら三大楽派は、それぞれの学生の芸術的な個性を大切に伸ばし、彼らが個性あるピアニストに成長することを目的にしていたという点では共通しています。帰するところは同じだったのです。
ネイガウスの両親はピアノ教師であり、父は作曲家カロル・シマノフスキの恩師でもあった。彼はドイツにわたり各地を演奏旅行する傍ら、レオポルド・ゴドフスキーの門下となる。その後30歳代半ばに自らの演奏よりも、音楽指導の方に多くの興味を抱くようになり、音楽教師の道へと歩んでいく。
衝撃的なベートーヴェンの「テンペスト」の演奏は、1946年、ネイガウス58歳の演奏である。
ベートーヴェン:
ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 「テンペスト」 Op. 31 No. 2
ゲンリヒ・ネイガウス(ピアノ)
(1946年)
つづく・・・
by kirakuossan
| 2014-07-03 10:32
| クラシック
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