2014年 04月 08日
偏見版『倶楽シック音楽全集』-39 ディーリアス |
2014年4月8日(火)
【第85巻】春の音楽作家
ディーリアス 1862~1934 (イギリス)
イギリスに、エルガー、ホルストと並んでもう一人の今年没80年の作曲家にフレデリック・ディーリアスがいる。この3人の中では一番地味で、穏やかな曲を書いた。
この人も、小管弦楽のために書いた「春を告げるかっこうを聞いて」があまりにも有名で、極端に云えばこれ一曲で後世に名を遺したといえる。管弦楽曲作品をはじめ室内楽曲、声楽曲などを数多く遺したが、彼をここまで認知度を高めさせたのは指揮者トーマス・ビーチャムの存在が大きい。彼はディーリアスの作品を高く評価し、積極的に演奏に取り上げつづけた賜物とも言える。
ディーリアスの音楽は、甘美な曲想の彼独特のオーケストレーションが魅力のひとつになっているが、しかし一面、掴みどころがないのも事実で、さりげに他の用事をこなしながら聞くのに一番向いているかもしれない。
静かに始まりだす作品が多く、まるで朝もやから姿を現すようで、ちょうど初春のまだ”肌寒い春”を連想させる。その意味では、今年のようにいつまでも寒い、今時分に聴くのにピッタリの曲なのかもしれない。「春」の名のつく作品に聴かせるものがある。
「春を告げるかっこうを聞いて」
春の牧歌
北国のスケッチ 第4番 春の訪れ
イギリス生まれだが、ドイツ系の人で、富裕な羊毛業の父のもと、音楽的にも恵まれた環境で育ち、その幼年時代ののんびりとした暮らしぶりが彼の音楽によく出ている。でも父の家業を継ぐよりも音楽に愛情を注ぎ、20歳になって渡米、その後、ドイツのライプツィヒは、そしてフランス・パリで多作な時期を迎える。でもライプツィヒ時代は常に金銭面で父の賛助があり、パリ時代は叔父の援助を受けた。そこから来るのか、どことなくぬくぬくとした気分が抜けきらないものが音楽に現れているような・・・
35歳に、ディーリアスはドイツ人の画家イェルカ・ローゼンと出会い、後に結婚する。イェルカにも支えられながら作曲を続け、50歳近くになってから「春を告げるかっこうを聞いて」を世に出し、ようやく地位を不動のものにした。上の肖像画は、ちょうどそのころ妻イェルカが描いたものである。
晩年は梅毒に冒され、失明して、他人に記譜してもらいながら作曲活動を続けるなど不遇であった。
【第85巻】春の音楽作家
ディーリアス 1862~1934 (イギリス)
イギリスに、エルガー、ホルストと並んでもう一人の今年没80年の作曲家にフレデリック・ディーリアスがいる。この3人の中では一番地味で、穏やかな曲を書いた。
この人も、小管弦楽のために書いた「春を告げるかっこうを聞いて」があまりにも有名で、極端に云えばこれ一曲で後世に名を遺したといえる。管弦楽曲作品をはじめ室内楽曲、声楽曲などを数多く遺したが、彼をここまで認知度を高めさせたのは指揮者トーマス・ビーチャムの存在が大きい。彼はディーリアスの作品を高く評価し、積極的に演奏に取り上げつづけた賜物とも言える。
ディーリアスの音楽は、甘美な曲想の彼独特のオーケストレーションが魅力のひとつになっているが、しかし一面、掴みどころがないのも事実で、さりげに他の用事をこなしながら聞くのに一番向いているかもしれない。
静かに始まりだす作品が多く、まるで朝もやから姿を現すようで、ちょうど初春のまだ”肌寒い春”を連想させる。その意味では、今年のようにいつまでも寒い、今時分に聴くのにピッタリの曲なのかもしれない。「春」の名のつく作品に聴かせるものがある。
「春を告げるかっこうを聞いて」
春の牧歌
北国のスケッチ 第4番 春の訪れ
イギリス生まれだが、ドイツ系の人で、富裕な羊毛業の父のもと、音楽的にも恵まれた環境で育ち、その幼年時代ののんびりとした暮らしぶりが彼の音楽によく出ている。でも父の家業を継ぐよりも音楽に愛情を注ぎ、20歳になって渡米、その後、ドイツのライプツィヒは、そしてフランス・パリで多作な時期を迎える。でもライプツィヒ時代は常に金銭面で父の賛助があり、パリ時代は叔父の援助を受けた。そこから来るのか、どことなくぬくぬくとした気分が抜けきらないものが音楽に現れているような・・・
35歳に、ディーリアスはドイツ人の画家イェルカ・ローゼンと出会い、後に結婚する。イェルカにも支えられながら作曲を続け、50歳近くになってから「春を告げるかっこうを聞いて」を世に出し、ようやく地位を不動のものにした。上の肖像画は、ちょうどそのころ妻イェルカが描いたものである。
晩年は梅毒に冒され、失明して、他人に記譜してもらいながら作曲活動を続けるなど不遇であった。
by kirakuossan
| 2014-04-08 08:56
| 偏見版「倶楽シック全集」(完)
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