2014年 03月 28日
モーツァルトの「フリーメイソン的思想」 |
2014年3月28日(金)
小林秀雄の『モオツァルト』で、「僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニーの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである」という文章で小林秀雄がぐっと身近に感じられ、そしてだいぶ読む進んで行ったところで、突如現れる”たった一行”で完全にノックアウトパンチを喰らい、小林秀雄の凄さを実感するのである。
「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」
そんな思いは勿論僕だけではなかった。
なかにし礼氏も同じだった。氏は歌謡曲の作詞家として著名であるが、直木賞作家でもある。彼の『三拍子の魔力』という読み物はなかなか興味深くて面白い。
ザルツブルクに帰った十八歳のモーツァルトは映画『アマデウス』で一躍有名になった交響曲二十五番ト短調K183を作曲する。弦楽器がナイフで斬りつけられるような第一テーマに、旅から旅に終った少年時代にたいするモーツァルトの激しい怒りにも似たいらだち、悲しみの爆発を聴いてしまうのは私だけだろうか。小林秀雄は「モーツァルトの悲しみは疾走する。涙は追いつけない」と言ったが、なになにこの小ト短調シンフォニーのモーツァルト は滂沱の涙を流している。いや血がふき出ている。
ここで小林秀雄が指摘したのは弦楽五重奏曲第4番ト短調 K.516のAllegroのことであって、交響曲二十五番ト短調ではないと思うが、そんなことはどちらでもよい。とにかくこの一行のもたらす衝撃を知った者は、一生忘れられない記憶に残るのである。
ところで著書『三拍子の魔力』であるが、このなかでなかにし礼氏は面白いことを語っている。それは、「フリーメイソン」についてのことで、モーツァルトもベートヴェンのその秘密結社に入会していたことをあげる。彼がモーツァルト のピアノ協奏曲第20番二短調K466をとりあげ、高校生のときから名曲喫茶で聴き、感銘を受けたことを述べる中で、この曲が、
モーツァルトがフリーメイソンのメンバーになった1784年の12月14日の直後に書かれているのである。「フリーメイソン的思想は彼の全作品にしみわたっている。単に、『魔笛』ばかりでなく、多くの作品が、事情に通じない人々には夢想もできないことだが、フリーメイソン的なのである」(アルフレート・アインシュタイン『モーツァルト・その人間と作品)と言われているが、モーツァルトの全作品がそうなのではない。フリーメイソン的傾向が見えはじめるのは、このK466と前後して作曲された「ハイドン・セット」あたりからであり、それ以前の作品においてその傾向は皆無といっていい。
と指摘し、それ以前の「ハフナー」や「リンツ」などの有名な曲を並べ、これがモーツァルトだと言われたらいかにも淋しいと、断りを入れながら、そして断言する。
しかし、これが神童モーツァルトの到達点だったということは紛れもない事実なのである。モーツァルトはフリーメイソンと出会わなければ、真に天才モーツァルトとはなりえなかった。
そして彼は吐露する。「私は『モオツァルト』から入って小林秀雄に狂い、ゴッホ、ドストエフスキー、ランボーなど、実に多くの芸術家の作品を小林秀雄の目や耳を通して味わったような気がする」と。
本著でもうひとつ興味深く読んだのが、序章で書かれた「日本の三拍子」である。
著者は、日本人は三拍子を知らない民族であって、日本の文化とはもともとそういうものだった、と指摘する。
万葉の大昔から長歌を朗詠すれば自然と四拍子になり、五七五七七の和歌を歌ってもやはり四拍子だった。五七五の俳句も、声に出して歌ってみれば四拍子になる。~
朝鮮半島には『アリラン』や『トラジ』など三拍子の愛唱歌が沢山あるというのに。
ここまで考えて私はふと、もことに例外的だが、日蓮宗のお題目「南無妙法蓮華経」が三拍子であることに気づいた。いわゆる法華の太鼓をたたきながら僧侶たちはこのお題目を三拍子で唱えている。
面白いではないか。
でも不思議なことに、日本人ほど童謡と抒情歌の好きな国民はいないが、「ふるさと」「浜辺の歌」「浜千鳥」「早春譜」「惜別の歌」「琵琶湖周航の歌」「ペチカ」「からたちの花」「ゴンドラの唄」「城ヶ島の雨」「赤とんぼ」「荒城の月」・・・全部と言っていいぐらい、三拍子で書かれている、というのである。
ところで、小林秀雄が道頓堀をうろついていて、突如として、頭の中で鳴りだしたのは交響曲第40番ト短調 K.550の第4楽章Allegro assai である。
そこで、本著『三拍子の魔力』は、いよいよ核心に進んで行く。「フリーメイソン的思想」の核心に進んで行くのである。
つづく・・・
小林秀雄の『モオツァルト』で、「僕の乱脈な放浪時代の或る冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、突然、このト短調シンフォニーの有名なテエマが頭の中で鳴ったのである」という文章で小林秀雄がぐっと身近に感じられ、そしてだいぶ読む進んで行ったところで、突如現れる”たった一行”で完全にノックアウトパンチを喰らい、小林秀雄の凄さを実感するのである。
「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」
そんな思いは勿論僕だけではなかった。
なかにし礼氏も同じだった。氏は歌謡曲の作詞家として著名であるが、直木賞作家でもある。彼の『三拍子の魔力』という読み物はなかなか興味深くて面白い。
ザルツブルクに帰った十八歳のモーツァルトは映画『アマデウス』で一躍有名になった交響曲二十五番ト短調K183を作曲する。弦楽器がナイフで斬りつけられるような第一テーマに、旅から旅に終った少年時代にたいするモーツァルトの激しい怒りにも似たいらだち、悲しみの爆発を聴いてしまうのは私だけだろうか。小林秀雄は「モーツァルトの悲しみは疾走する。涙は追いつけない」と言ったが、なになにこの小ト短調シンフォニーのモーツァルト は滂沱の涙を流している。いや血がふき出ている。
ここで小林秀雄が指摘したのは弦楽五重奏曲第4番ト短調 K.516のAllegroのことであって、交響曲二十五番ト短調ではないと思うが、そんなことはどちらでもよい。とにかくこの一行のもたらす衝撃を知った者は、一生忘れられない記憶に残るのである。
ところで著書『三拍子の魔力』であるが、このなかでなかにし礼氏は面白いことを語っている。それは、「フリーメイソン」についてのことで、モーツァルトもベートヴェンのその秘密結社に入会していたことをあげる。彼がモーツァルト のピアノ協奏曲第20番二短調K466をとりあげ、高校生のときから名曲喫茶で聴き、感銘を受けたことを述べる中で、この曲が、
モーツァルトがフリーメイソンのメンバーになった1784年の12月14日の直後に書かれているのである。「フリーメイソン的思想は彼の全作品にしみわたっている。単に、『魔笛』ばかりでなく、多くの作品が、事情に通じない人々には夢想もできないことだが、フリーメイソン的なのである」(アルフレート・アインシュタイン『モーツァルト・その人間と作品)と言われているが、モーツァルトの全作品がそうなのではない。フリーメイソン的傾向が見えはじめるのは、このK466と前後して作曲された「ハイドン・セット」あたりからであり、それ以前の作品においてその傾向は皆無といっていい。
と指摘し、それ以前の「ハフナー」や「リンツ」などの有名な曲を並べ、これがモーツァルトだと言われたらいかにも淋しいと、断りを入れながら、そして断言する。
しかし、これが神童モーツァルトの到達点だったということは紛れもない事実なのである。モーツァルトはフリーメイソンと出会わなければ、真に天才モーツァルトとはなりえなかった。
そして彼は吐露する。「私は『モオツァルト』から入って小林秀雄に狂い、ゴッホ、ドストエフスキー、ランボーなど、実に多くの芸術家の作品を小林秀雄の目や耳を通して味わったような気がする」と。
本著でもうひとつ興味深く読んだのが、序章で書かれた「日本の三拍子」である。
著者は、日本人は三拍子を知らない民族であって、日本の文化とはもともとそういうものだった、と指摘する。
万葉の大昔から長歌を朗詠すれば自然と四拍子になり、五七五七七の和歌を歌ってもやはり四拍子だった。五七五の俳句も、声に出して歌ってみれば四拍子になる。~
朝鮮半島には『アリラン』や『トラジ』など三拍子の愛唱歌が沢山あるというのに。
ここまで考えて私はふと、もことに例外的だが、日蓮宗のお題目「南無妙法蓮華経」が三拍子であることに気づいた。いわゆる法華の太鼓をたたきながら僧侶たちはこのお題目を三拍子で唱えている。
面白いではないか。
でも不思議なことに、日本人ほど童謡と抒情歌の好きな国民はいないが、「ふるさと」「浜辺の歌」「浜千鳥」「早春譜」「惜別の歌」「琵琶湖周航の歌」「ペチカ」「からたちの花」「ゴンドラの唄」「城ヶ島の雨」「赤とんぼ」「荒城の月」・・・全部と言っていいぐらい、三拍子で書かれている、というのである。
ところで、小林秀雄が道頓堀をうろついていて、突如として、頭の中で鳴りだしたのは交響曲第40番ト短調 K.550の第4楽章Allegro assai である。
そこで、本著『三拍子の魔力』は、いよいよ核心に進んで行く。「フリーメイソン的思想」の核心に進んで行くのである。
つづく・・・
by kirakuossan
| 2014-03-28 11:21
| クラシック
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