2014年 03月 24日
伊藤整の「作家評論」(続) |
2014年3月24日(月)
日ざし 伊藤整
女よ 白い頬に丸く紅を画いて
午前の
木の芽の 芝生の
人気ない日ざしの春を
そっと微笑んで
木の階段を
バルコンを素足で降りなさい。
『伊藤整全集』(新潮社)の第一巻には若かりし頃の「詩」が載っている。詩集『雪明りの路』は伊藤整の処女作である。20歳ころの多感なときの作品だ。
彼の「作家評論」を続けることにする。新潮社から発刊された『伊藤整全集』第二十巻に収められているものから・・・
中島敦
中島敦は学者の系統の出身で、典型的な秀才であったことは、瀬沼茂樹の「入門」によっても明らかである。西欧の語学に秀でていた上に漢学の素養が十分にあり、その領域で決定的な作品を書いた。しかしその自伝的な作品「狼疾記」を見ても分るように、分析的に自己を追求することは甚だ鋭い。自分が仕事をする上では豊かさを欠いているようだとして、それが彼の仕事に対する確信をさまたげていることが分る。この「狼疾記」をもっと象徴的に書いたのが「山月記」であり、この両作を較べて読むことが、作家としての中島敦の人となりを理解するに役立つ。
中島敦が自己をそう考えた理由は、彼が荷風や潤一郎という明治末期の耽美派の文学を知り過ぎたからかも知れない。そして彼は終生、所謂文壇的作家となることなく終った。
人間を知り、人間と人間の交渉の間に生れる恐怖を知っていたという意味では、中島敦は、同時代の文壇的作家たちの誰にも増して、「大人」であった。
中島敦は僅か33歳でこの世を去った。漢文調の格調高い文体とユーモラスに語る独特の文体を駆使した。代表作「山月記」はあまりにも有名だが、彼のことについて思う時、いつも思い出すのが、ある座談会で、文芸評論家の三浦雅士が「筆力からいっても、構成力からいっても、中島敦のほうが芥川龍之介より上だと思った」といえば、丸谷才一は「中島敦のほうが教養が上なんだよ」と言った、その一言である。だからここで伊藤整が言う、中島敦は、同時代の文壇的作家たちの誰にも増して、「大人」であった、ということが素直に受け取れるのである。
「山月記」を読んだ時のインパクトは今でも印象に残っている・・・
「一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮ほうこうしたかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった」
いつまでも余韻を残す文章で締めくくられる。
太宰治
太宰治において特質的なことは、堀辰雄と違う意味で絶えず死の意識に取りつかれていたことである。それは安静な生活を必要とする堀のような諦観的、思念的なものでなく、死という水平面を出没すること、時には健康な食慾な生活者として巷に酒と麻薬と異性とを追って生き、激しい名誉欲に駆られる「ヴァニティ」の意識者となり、「喝采」を求める道化者に扮装し、時には再度にも三度にもわたって女性を死に誘い込む誘惑者となり、しかも失敗して生き残った経験から、絶えず生きること自体に罪を痛感したことである。<略>
若し日本の社会に近代なるものが実質的に存在し始めているとすれば、我々は強い苦悩や、他との不調和や、戦いなどを経ても、論理的に調和性のある社会環境を作り、自らその方向を取りながら生きることを考えねばならないのであって、実に日本の近代文学の半分は、そのような上昇性のある生の意識者が存在することによって支えられて来たのである。即ち鷗外、藤村、漱石、武者小路実篤、志賀直哉等に共通して認められる部分がそのようなものである。そしてその点は、太宰の文学が生活への上昇に悪と罪を見、死への下降に救いを見ていることとの対比の中にも判断される筈である。
河上徹太郎
私は最近、小林秀雄、今日出海という、河上徹太郎を最もよく理解する二人の友人と一緒に四五日旅行する機会があった。しかもその旅行の間にこの集に載せられる河上徹太郎の作品を読んでいたので、河上徹太郎について話を交わしたが、その間に私の得た河上の作品についての印象は、硬度の高い石に刻んだ古典的形式の芸というようなものであった。その親戚に当る河上肇を論じた文章や、岡倉天心を論じた文章は最も私を満足させたものであった。これ等の文章はむしろフランス語で、また英語で書いた方が内容がよく浮かび出るような、日本文や日本人の心にしては正確すぎる明晰さを持っており、その明晰さの故に日本文では一見晦渋に近い文章になっている。それは河上自体の日本文壇での存在を思わせるものである。
こういう珍しい思考の精度の高い批評家を文壇の内部に持つということは、近代の日本文学が漸く成熟して来たことのはっきりした証拠であるように思われる。ここには、稀な、自ら感ずることを思考の中で処理し得るところの真の意味の近代人がいるのである。
『伊藤整全集』第二十巻(新潮社刊)より。
日ざし 伊藤整
女よ 白い頬に丸く紅を画いて
午前の
木の芽の 芝生の
人気ない日ざしの春を
そっと微笑んで
木の階段を
バルコンを素足で降りなさい。
『伊藤整全集』(新潮社)の第一巻には若かりし頃の「詩」が載っている。詩集『雪明りの路』は伊藤整の処女作である。20歳ころの多感なときの作品だ。
彼の「作家評論」を続けることにする。新潮社から発刊された『伊藤整全集』第二十巻に収められているものから・・・
中島敦
中島敦は学者の系統の出身で、典型的な秀才であったことは、瀬沼茂樹の「入門」によっても明らかである。西欧の語学に秀でていた上に漢学の素養が十分にあり、その領域で決定的な作品を書いた。しかしその自伝的な作品「狼疾記」を見ても分るように、分析的に自己を追求することは甚だ鋭い。自分が仕事をする上では豊かさを欠いているようだとして、それが彼の仕事に対する確信をさまたげていることが分る。この「狼疾記」をもっと象徴的に書いたのが「山月記」であり、この両作を較べて読むことが、作家としての中島敦の人となりを理解するに役立つ。
中島敦が自己をそう考えた理由は、彼が荷風や潤一郎という明治末期の耽美派の文学を知り過ぎたからかも知れない。そして彼は終生、所謂文壇的作家となることなく終った。
人間を知り、人間と人間の交渉の間に生れる恐怖を知っていたという意味では、中島敦は、同時代の文壇的作家たちの誰にも増して、「大人」であった。
中島敦は僅か33歳でこの世を去った。漢文調の格調高い文体とユーモラスに語る独特の文体を駆使した。代表作「山月記」はあまりにも有名だが、彼のことについて思う時、いつも思い出すのが、ある座談会で、文芸評論家の三浦雅士が「筆力からいっても、構成力からいっても、中島敦のほうが芥川龍之介より上だと思った」といえば、丸谷才一は「中島敦のほうが教養が上なんだよ」と言った、その一言である。だからここで伊藤整が言う、中島敦は、同時代の文壇的作家たちの誰にも増して、「大人」であった、ということが素直に受け取れるのである。
「山月記」を読んだ時のインパクトは今でも印象に残っている・・・
「一匹の虎が草の茂みから道の上に躍り出たのを彼等は見た。虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮ほうこうしたかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった」
いつまでも余韻を残す文章で締めくくられる。
太宰治
太宰治において特質的なことは、堀辰雄と違う意味で絶えず死の意識に取りつかれていたことである。それは安静な生活を必要とする堀のような諦観的、思念的なものでなく、死という水平面を出没すること、時には健康な食慾な生活者として巷に酒と麻薬と異性とを追って生き、激しい名誉欲に駆られる「ヴァニティ」の意識者となり、「喝采」を求める道化者に扮装し、時には再度にも三度にもわたって女性を死に誘い込む誘惑者となり、しかも失敗して生き残った経験から、絶えず生きること自体に罪を痛感したことである。<略>
若し日本の社会に近代なるものが実質的に存在し始めているとすれば、我々は強い苦悩や、他との不調和や、戦いなどを経ても、論理的に調和性のある社会環境を作り、自らその方向を取りながら生きることを考えねばならないのであって、実に日本の近代文学の半分は、そのような上昇性のある生の意識者が存在することによって支えられて来たのである。即ち鷗外、藤村、漱石、武者小路実篤、志賀直哉等に共通して認められる部分がそのようなものである。そしてその点は、太宰の文学が生活への上昇に悪と罪を見、死への下降に救いを見ていることとの対比の中にも判断される筈である。
河上徹太郎
私は最近、小林秀雄、今日出海という、河上徹太郎を最もよく理解する二人の友人と一緒に四五日旅行する機会があった。しかもその旅行の間にこの集に載せられる河上徹太郎の作品を読んでいたので、河上徹太郎について話を交わしたが、その間に私の得た河上の作品についての印象は、硬度の高い石に刻んだ古典的形式の芸というようなものであった。その親戚に当る河上肇を論じた文章や、岡倉天心を論じた文章は最も私を満足させたものであった。これ等の文章はむしろフランス語で、また英語で書いた方が内容がよく浮かび出るような、日本文や日本人の心にしては正確すぎる明晰さを持っており、その明晰さの故に日本文では一見晦渋に近い文章になっている。それは河上自体の日本文壇での存在を思わせるものである。
こういう珍しい思考の精度の高い批評家を文壇の内部に持つということは、近代の日本文学が漸く成熟して来たことのはっきりした証拠であるように思われる。ここには、稀な、自ら感ずることを思考の中で処理し得るところの真の意味の近代人がいるのである。
『伊藤整全集』第二十巻(新潮社刊)より。
by kirakuossan
| 2014-03-24 22:58
| 文芸
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