2014年 03月 01日
山本周五郎という人 |
2014年3月1日(土)
谷沢永一の『大人の国語』で、名文を書く作家として山本周五郎のことが紹介されていた。
『日本婦道記』のなかの「松の花」という短編、「理想の女性を清潔に豊かな立ち居振る舞いを通じて描きあげたい。作家なら必ず心に念じる。松の花は、周五郎が長い努力の末に漸く達成したひとつの到達点である」とある。
ちょうどそのころ、夫人が病を得て急逝した。「松の花」は、苦労かけた亡き方に手向けた供養であり、周五郎が思いのたけを書きこんだ記念の作品である。
「世には人に秀れた人格の女性を描いた作品は少なくないが、今や物言わぬ亡骸であるから姿を現さず、奥の間の葬送を静かに待つ身でありながら、一篇の小説を成り立たせる主人公として、作品世界のすべてを支配する女性の、何人をも敬虔に合掌させる厳粛な空間を提示する、このような感銘深い女性があっただろうか」
「母上は、つましいことがお好きでございました」
「それだけか、つましくすることが好きだから、それだけであのような粗末なものを身につけていたというのか」
格之助はふかく面を伏せていたが、やがて低い声で呟くように云った。
「・・・お召物だけではございません。お身まわりのことすべてをつましくしておいででした。かようなことを申し上げましては母上のお心にすむくかとも存じますが、母上はいつかこのように仰せられていました。・・・武家の奥はどのようにつましくとも恥にはならぬが、身分相応の御奉公をするためには、つねに千石千両の貯蓄を欠かしてはならぬ」
格之助がそう云うのを聞きながら、藤右衛門はふと、息をひきとったばかりの妻の手の感触を思い出した。夜具のそとにはみ出ていたのをいれてやろうとして、なにげなく握った妻の手はひどく荒れてざらざらしていた。
「それはおまえに云ったのか」
「いえ、なみをめとりましたとき、あれにそうおさとしくだすったのです。わたくしは次の間からもれ聞いたのですが・・・はじめて母上の御日常がわかったと思いました」
藤右衛門はじっと自分の右手をみまもっていた。
『日本婦道記』は、戦時中、女子挺身隊員として現場へかりだされる女性達が当時愛読したとされるが、山本周五郎は後に、『日本婦道記』は今でも深い愛着のある作品で、あれはむしろ世の男性や、父親たちに読んでもらおうと思って書いたもので、小説自体の中では、女性だけが特別に不当な犠牲を払っているようなものは一篇もないと述懐している。
これを読んで、自分も自然とその状況に入りこみ、たしかに”敬虔に合掌させる厳粛な空間を提示する”女性を見た。
山本周五郎(1903~1967)のことは『樅ノ木は残った』ぐらいしか知らない。いつも思っていた、日本文学全集に彼の名が出てこない。純文学ではないということだけでもなさそうだ。あれほど著名なのになぜだろうか?ということを。いま彼の生きざまの一部を知り、想像するだけで、そのことが分ったような気がする。
横浜の尋常小学校を卒業し、同時に東京木挽町(銀座二丁目)にあった質店の山本周五郎商店に徒弟として住み込む。ペンネームはこの時の世話になった先の屋号からとった。
また、1943年、40歳のとき『日本婦道記』で直木賞に選ばれるが断っている。「自分は作品を読んでくれる読者から、いつも目に見えない賞をいただいているから、それ以上に余計な賞はいらない」との弁であった。
後の『樅の木は残った』での毎日出版文化賞も辞退している。一見間違えば彼のそういった行為が嫌味に取られることもあるが、この人の”清さ”、”謙虚さ”はどうも正真正銘のものらしい。そして”謙虚さ”のうちには確固たる強い信念も垣間見える。
「完本・山本周五郎全エッセイ」をいくつか読んでみてもそういった彼の心情が良く伝わってくる。それは巻頭の”随筆 小説の効用”への序文の文章に集約されている。
ここでは私なりな心象風景が、なまのままに記してある。私は小説でも極めて手のよくない作者にすぎないが、その、手のよくない小説を生みだすに至った考えかた、ものの観方、理解のしかた、かくありたいという希望などが、比較的にではあるが正直に、装飾なしに書かれていると言っても誤りではないと思う。<略>
この小冊子を読んで、私の小説のほうも読んでみよう、という読者があれば仕合せだが、これでは小説なんか読むまでもない、とそっぽを向かれるようなことになると、私としては生活の手段を他に求めなければならなくなるので、どうかそんなことになりませんようにと、いまから祈っているわけであります。
昭和三十六年十二月 山本周五郎
山本周五郎は、「随筆のすぐれた人で小説も抜群だという作者はいまだこれあらざるなり、と言っても過言ではないだろう、などとひらき直る必要もないでしょうかな。」と語っているが、小説も大切だが、その作家の人物像を知ろうとすれば、実はエッセイ集を読んでみるとおぼろげに浮んで来るものだ。
つづく・・・
谷沢永一の『大人の国語』で、名文を書く作家として山本周五郎のことが紹介されていた。
『日本婦道記』のなかの「松の花」という短編、「理想の女性を清潔に豊かな立ち居振る舞いを通じて描きあげたい。作家なら必ず心に念じる。松の花は、周五郎が長い努力の末に漸く達成したひとつの到達点である」とある。
ちょうどそのころ、夫人が病を得て急逝した。「松の花」は、苦労かけた亡き方に手向けた供養であり、周五郎が思いのたけを書きこんだ記念の作品である。
「世には人に秀れた人格の女性を描いた作品は少なくないが、今や物言わぬ亡骸であるから姿を現さず、奥の間の葬送を静かに待つ身でありながら、一篇の小説を成り立たせる主人公として、作品世界のすべてを支配する女性の、何人をも敬虔に合掌させる厳粛な空間を提示する、このような感銘深い女性があっただろうか」
「母上は、つましいことがお好きでございました」
「それだけか、つましくすることが好きだから、それだけであのような粗末なものを身につけていたというのか」
格之助はふかく面を伏せていたが、やがて低い声で呟くように云った。
「・・・お召物だけではございません。お身まわりのことすべてをつましくしておいででした。かようなことを申し上げましては母上のお心にすむくかとも存じますが、母上はいつかこのように仰せられていました。・・・武家の奥はどのようにつましくとも恥にはならぬが、身分相応の御奉公をするためには、つねに千石千両の貯蓄を欠かしてはならぬ」
格之助がそう云うのを聞きながら、藤右衛門はふと、息をひきとったばかりの妻の手の感触を思い出した。夜具のそとにはみ出ていたのをいれてやろうとして、なにげなく握った妻の手はひどく荒れてざらざらしていた。
「それはおまえに云ったのか」
「いえ、なみをめとりましたとき、あれにそうおさとしくだすったのです。わたくしは次の間からもれ聞いたのですが・・・はじめて母上の御日常がわかったと思いました」
藤右衛門はじっと自分の右手をみまもっていた。
『日本婦道記』は、戦時中、女子挺身隊員として現場へかりだされる女性達が当時愛読したとされるが、山本周五郎は後に、『日本婦道記』は今でも深い愛着のある作品で、あれはむしろ世の男性や、父親たちに読んでもらおうと思って書いたもので、小説自体の中では、女性だけが特別に不当な犠牲を払っているようなものは一篇もないと述懐している。
これを読んで、自分も自然とその状況に入りこみ、たしかに”敬虔に合掌させる厳粛な空間を提示する”女性を見た。
山本周五郎(1903~1967)のことは『樅ノ木は残った』ぐらいしか知らない。いつも思っていた、日本文学全集に彼の名が出てこない。純文学ではないということだけでもなさそうだ。あれほど著名なのになぜだろうか?ということを。いま彼の生きざまの一部を知り、想像するだけで、そのことが分ったような気がする。
横浜の尋常小学校を卒業し、同時に東京木挽町(銀座二丁目)にあった質店の山本周五郎商店に徒弟として住み込む。ペンネームはこの時の世話になった先の屋号からとった。
また、1943年、40歳のとき『日本婦道記』で直木賞に選ばれるが断っている。「自分は作品を読んでくれる読者から、いつも目に見えない賞をいただいているから、それ以上に余計な賞はいらない」との弁であった。
後の『樅の木は残った』での毎日出版文化賞も辞退している。一見間違えば彼のそういった行為が嫌味に取られることもあるが、この人の”清さ”、”謙虚さ”はどうも正真正銘のものらしい。そして”謙虚さ”のうちには確固たる強い信念も垣間見える。
「完本・山本周五郎全エッセイ」をいくつか読んでみてもそういった彼の心情が良く伝わってくる。それは巻頭の”随筆 小説の効用”への序文の文章に集約されている。
ここでは私なりな心象風景が、なまのままに記してある。私は小説でも極めて手のよくない作者にすぎないが、その、手のよくない小説を生みだすに至った考えかた、ものの観方、理解のしかた、かくありたいという希望などが、比較的にではあるが正直に、装飾なしに書かれていると言っても誤りではないと思う。<略>
この小冊子を読んで、私の小説のほうも読んでみよう、という読者があれば仕合せだが、これでは小説なんか読むまでもない、とそっぽを向かれるようなことになると、私としては生活の手段を他に求めなければならなくなるので、どうかそんなことになりませんようにと、いまから祈っているわけであります。
昭和三十六年十二月 山本周五郎
山本周五郎は、「随筆のすぐれた人で小説も抜群だという作者はいまだこれあらざるなり、と言っても過言ではないだろう、などとひらき直る必要もないでしょうかな。」と語っているが、小説も大切だが、その作家の人物像を知ろうとすれば、実はエッセイ集を読んでみるとおぼろげに浮んで来るものだ。
つづく・・・
by kirakuossan
| 2014-03-01 10:51
| 文芸
|
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Tracked
from じゅうのblog
at 2022-02-21 21:41
タイトル : 『小説日本婦道記』 山本周五郎
「山本周五郎」の連作時代小説『小説日本婦道記』を読みました。 [小説日本婦道記] ここのところ「山本周五郎」の作品が続いています。 -----story------------- 千石どりの武家としての体面を保つために自分は極端につましい生活を送っていた「やす女」。 彼女の死によって初めて明らかになるその生活を描いた『松の花』をはじめ『梅咲きぬ』『尾花川』など11編を収める連作短編集。 厳しい武家の定めの中で、夫のため、子のために生き抜いた日本の妻や母の、清々しいまでの強靱さと、凜然たる美しさ、...... more
「山本周五郎」の連作時代小説『小説日本婦道記』を読みました。 [小説日本婦道記] ここのところ「山本周五郎」の作品が続いています。 -----story------------- 千石どりの武家としての体面を保つために自分は極端につましい生活を送っていた「やす女」。 彼女の死によって初めて明らかになるその生活を描いた『松の花』をはじめ『梅咲きぬ』『尾花川』など11編を収める連作短編集。 厳しい武家の定めの中で、夫のため、子のために生き抜いた日本の妻や母の、清々しいまでの強靱さと、凜然たる美しさ、...... more