2013年 10月 05日
「銀の匙」から・・・ |
2013年10月5日(土)
朝日文化人や進歩的文化人と岩波文化人は同義語か。誰の書いた本は読んでも、誰のをは読んではいけない、そんなことはどうでもいい。ただ読みたい衝動にかられれば読めばいい。読んでから自分で考えたらいい。
てなわけで、読書づいている。”読書の秋”とはうまくいったもんだ。図書館の紅葉はいつもこころもち早いような気がする。やっぱりキンモクセイの花がたわわになっていた。
ひと月ほど前に橋本武という灘中の元国語の先生が101歳の天寿を全うした。この人の授業方法は変っていて、中勘助の小説「銀の匙」一冊を3年間かけて読むといったスタイルであった。文章の語句からヒントを抽出して、そこからさまざまな語句を学ばせ、自ら掘り下げて学ぶことの大切さを教えた。50年間の教壇生活には教え子に遠藤周作などの著名人も多く育っていった。
「銀の匙」は、大正2年から4年にかけて東京朝日新聞に連載された小説で、単行本としては昭和元年に発刊されている。昔に読んだことがあるが今度は、この旧字旧仮名の単行本(第二版)で読みかえしてみようと思う。
教え子でもある中勘助(1885~1965)のこの小説を夏目漱石は絶賛し、和辻哲郎は脱帽した。当時の良識人にとっては、新鮮な印象として受けとめられた。作品の数はそう多くはないがこの「銀の匙」は古今東西、未来にわたって語り継がれる名作である。彼のことは多くは知られてないが、文壇ではずっと孤高を保った、”凛”とした作家であった。
つづく・・・
てなわけで、読書づいている。”読書の秋”とはうまくいったもんだ。図書館の紅葉はいつもこころもち早いような気がする。やっぱりキンモクセイの花がたわわになっていた。
ひと月ほど前に橋本武という灘中の元国語の先生が101歳の天寿を全うした。この人の授業方法は変っていて、中勘助の小説「銀の匙」一冊を3年間かけて読むといったスタイルであった。文章の語句からヒントを抽出して、そこからさまざまな語句を学ばせ、自ら掘り下げて学ぶことの大切さを教えた。50年間の教壇生活には教え子に遠藤周作などの著名人も多く育っていった。
「銀の匙」は、大正2年から4年にかけて東京朝日新聞に連載された小説で、単行本としては昭和元年に発刊されている。昔に読んだことがあるが今度は、この旧字旧仮名の単行本(第二版)で読みかえしてみようと思う。
教え子でもある中勘助(1885~1965)のこの小説を夏目漱石は絶賛し、和辻哲郎は脱帽した。当時の良識人にとっては、新鮮な印象として受けとめられた。作品の数はそう多くはないがこの「銀の匙」は古今東西、未来にわたって語り継がれる名作である。彼のことは多くは知られてないが、文壇ではずっと孤高を保った、”凛”とした作家であった。
つづく・・・
by kirakuossan
| 2013-10-05 10:06
| 文芸
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