2013年 10月 03日
夢と思い出をいっぱい冠った「麦藁帽子」 |
2013年10月3日(木)
麦藁帽子 堀辰雄
私は十五だった。そしてお前は十三だった。
私はお前の兄たちと、苜宿(うまごやし)の白い花の密生した原っぱで、ベエスボオルの練習をしていた。お前は、その小さな弟と一しょに、遠くの方で、私たちの練習を見ていた。その白い花を摘んでは、それで花環をつくりながら。飛球があがる。私は一所懸命に走る。球がグロオブに触る。足が滑る。私の体がもんどり打って、原っぱから、田圃の中へ墜落する。私はどぶ鼠になる。
私のためにお前が泥だらけになったズボンを洗濯してくれている間、私はてれかくしに、わざと道化けて、お前のために持ってやっている花環を、私の帽子の代りに、かぶって見せたりする。そして、まるで古代の彫刻のように、そこに不動の姿勢で、私は突っ立っている。顔を真っ赤にして……
―略―
とうとう休暇が終った。
私はお前の家族たちと一しょに帰った。汽車の中には、避暑地がえりの真っ黒な顔をした少女たちが、何人も乗っていた。お前はその少女たちの一人一人と色の黒さを比較した。そうしてお前が誰よりも一番色が黒いので、お前は得意そうだった。私は少しがっかりした。だが、お前がちょっと斜めに冠っている、赤いさくらんぼの飾りのついたお前の麦藁帽子は、お前のそんな黒いあどけない顔に、大層よく似合っていた。だから、私はそのことをそんなに悲しみはしなかった。
―略―
すこしうとうとと眠ってから、ふと目をさますと、誰だか知らない、寝みだれた女の髪の毛が、私の頬に触っているのに気がついた。私はゆめうつつに、そのうっすらした香りをかいだ。その香りは、私の鼻先きの髪の毛からというよりも、私の記憶の中から、うっすら浮んでくるように見えた。それは匂いのしないお前の匂いだ。太陽のにおいだ。麦藁帽子のにおいだ。……私は眠ったふりをしてその髪の毛のなかに私の頬を埋めていた。お前はじっと動かずにいた。お前も眠ったふりをしていたのか?
早朝、私の父の到着の知らせが私たちを目覚ませた。私の母は私の父からはぐれていた。そうしていまだにその行方が分らなかった。私の家の近くの土手へ避難した者は、一人残らず川へ飛び込んだから、ことによるとその川に溺れているのかも知れない。……
そういう父の悲しい物語を聞いているうち、私は漸くはっきり目をさましながら、いつのまにか、こっそり涙を流している自分に気がついた。しかしそれは私の母の死を悲しんでいるのではなかった。その悲しみだったなら、それは私がそのためにすぐこうして泣けるには、あまりに大き過ぎる! 私はただ、目をさまして、ふと昨夜の、自分がもう愛していないと思っていたお前、お前の方でももう私を愛してはいまいと思っていたお前、そのお前との思いがけない、不思議な愛撫を思い出して、そのためにのみ私は泣いていたのだ……
その日の正午頃、お前たちは二台の荷馬車を借りて、みんなでその上に家畜のように乗り合って、がたがた揺られながら、何処だか私の知らない田舎へ向って、出発した。
私は村はずれまで、お前たちを見送りに行った。荷馬車はひどい埃りを上げた。それが私の目にはいりそうになった。私は目をつぶりながら、
「ああ、お前が私の方をふり向いているかどうか、誰か教えてくれないかなあ……」
と、口の中でつぶやいていた。しかし自分自身でそれを確かめることはなんだか恐ろしそうにもうとっくにその埃りが消えてしまってからも、いつまでも、私は、そのまま目をつぶっていた。
<1933年(昭和8)>
堀辰雄の早い時期の短編小説。「麦藁帽子」は、誰にも心の底に微かに残っている幼いときの淡い思い出だ。「麦藁帽子」、夢と思い出をいっぱい冠った、素敵な表題だ。
この小説で高原でひとりの有名な詩人と一緒に歩くところが出てくるが、この詩人が軽井沢に滞在中の室生犀星である。現実に堀辰雄は大正12年8月に初めて軽井沢を訪れている。
また、父の悲しい物語とは、大正12年9月1日の関東大震災で、これも堀の実体験したことがふまえられている。
かみさんに「麦藁帽子」とよく似たことがあったなあ、と言うと「????、はいはいはいはい」
前から分っていることではあるが、どうみても男の方がロマンチストである。この主人公のように。
麦藁帽子 堀辰雄
私は十五だった。そしてお前は十三だった。
私はお前の兄たちと、苜宿(うまごやし)の白い花の密生した原っぱで、ベエスボオルの練習をしていた。お前は、その小さな弟と一しょに、遠くの方で、私たちの練習を見ていた。その白い花を摘んでは、それで花環をつくりながら。飛球があがる。私は一所懸命に走る。球がグロオブに触る。足が滑る。私の体がもんどり打って、原っぱから、田圃の中へ墜落する。私はどぶ鼠になる。
私のためにお前が泥だらけになったズボンを洗濯してくれている間、私はてれかくしに、わざと道化けて、お前のために持ってやっている花環を、私の帽子の代りに、かぶって見せたりする。そして、まるで古代の彫刻のように、そこに不動の姿勢で、私は突っ立っている。顔を真っ赤にして……
―略―
とうとう休暇が終った。
私はお前の家族たちと一しょに帰った。汽車の中には、避暑地がえりの真っ黒な顔をした少女たちが、何人も乗っていた。お前はその少女たちの一人一人と色の黒さを比較した。そうしてお前が誰よりも一番色が黒いので、お前は得意そうだった。私は少しがっかりした。だが、お前がちょっと斜めに冠っている、赤いさくらんぼの飾りのついたお前の麦藁帽子は、お前のそんな黒いあどけない顔に、大層よく似合っていた。だから、私はそのことをそんなに悲しみはしなかった。
―略―
すこしうとうとと眠ってから、ふと目をさますと、誰だか知らない、寝みだれた女の髪の毛が、私の頬に触っているのに気がついた。私はゆめうつつに、そのうっすらした香りをかいだ。その香りは、私の鼻先きの髪の毛からというよりも、私の記憶の中から、うっすら浮んでくるように見えた。それは匂いのしないお前の匂いだ。太陽のにおいだ。麦藁帽子のにおいだ。……私は眠ったふりをしてその髪の毛のなかに私の頬を埋めていた。お前はじっと動かずにいた。お前も眠ったふりをしていたのか?
早朝、私の父の到着の知らせが私たちを目覚ませた。私の母は私の父からはぐれていた。そうしていまだにその行方が分らなかった。私の家の近くの土手へ避難した者は、一人残らず川へ飛び込んだから、ことによるとその川に溺れているのかも知れない。……
そういう父の悲しい物語を聞いているうち、私は漸くはっきり目をさましながら、いつのまにか、こっそり涙を流している自分に気がついた。しかしそれは私の母の死を悲しんでいるのではなかった。その悲しみだったなら、それは私がそのためにすぐこうして泣けるには、あまりに大き過ぎる! 私はただ、目をさまして、ふと昨夜の、自分がもう愛していないと思っていたお前、お前の方でももう私を愛してはいまいと思っていたお前、そのお前との思いがけない、不思議な愛撫を思い出して、そのためにのみ私は泣いていたのだ……
その日の正午頃、お前たちは二台の荷馬車を借りて、みんなでその上に家畜のように乗り合って、がたがた揺られながら、何処だか私の知らない田舎へ向って、出発した。
私は村はずれまで、お前たちを見送りに行った。荷馬車はひどい埃りを上げた。それが私の目にはいりそうになった。私は目をつぶりながら、
「ああ、お前が私の方をふり向いているかどうか、誰か教えてくれないかなあ……」
と、口の中でつぶやいていた。しかし自分自身でそれを確かめることはなんだか恐ろしそうにもうとっくにその埃りが消えてしまってからも、いつまでも、私は、そのまま目をつぶっていた。
<1933年(昭和8)>
堀辰雄の早い時期の短編小説。「麦藁帽子」は、誰にも心の底に微かに残っている幼いときの淡い思い出だ。「麦藁帽子」、夢と思い出をいっぱい冠った、素敵な表題だ。
この小説で高原でひとりの有名な詩人と一緒に歩くところが出てくるが、この詩人が軽井沢に滞在中の室生犀星である。現実に堀辰雄は大正12年8月に初めて軽井沢を訪れている。
また、父の悲しい物語とは、大正12年9月1日の関東大震災で、これも堀の実体験したことがふまえられている。
かみさんに「麦藁帽子」とよく似たことがあったなあ、と言うと「????、はいはいはいはい」
前から分っていることではあるが、どうみても男の方がロマンチストである。この主人公のように。
by kirakuossan
| 2013-10-03 17:34
| 文芸
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